↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
暁の盾 〜分け合う者と、背負う者〜  作者: 旬花祝桃
第三章 借り物の盾

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
56/103

第56話 横に立つ者

--- カイン視点 ---

知らせは、雨の朝に来た。

門番の声で、カインは、中庭へ出た。

馬が一頭、門の内側で首を垂れていた。泥が腹まで跳ねていた。乗っていた兵は、鞍から下りると、そのまま膝をついた。

将軍の軍の伝令だった。

イゾルデが、館の階段を駆け下りてきた。

三つ編みが背中で跳ねた。

「父上は」

伝令は、顔を上げなかった。

「……川を渡りました。軍は、退きました」

「父上は、と、聞いているの」

伝令の肩が震えた。

「沢の出口で。反乱軍の盾の小僧と。……将軍は、剣を折られて」

イゾルデの息が止まった。

カインには、それが聞こえた。

「自分で退かれました。兵の肩を借りずに。……血の跡が、葦の中へ入っていって」

伝令は、そこで言葉を切った。

「見つかりませんでした。どこにも」


雨が、中庭の石を叩いていた。

イゾルデは、立ったまま、動かなかった。

カインは、その横に立っていた。

前ではなかった。

横だった。

ガルドにそう言われた場所だった。

盾の小僧。

剣を折られて。

カインは、その言葉を、頭の中でもう一度並べた。

ハルトが。

あのハルトが、ガルドの剣を折った。

あの剣を受けた。

(生きている)

先に来たのは、それだった。

その次に別のものが来た。

もっと冷たいものが。

ハルトが勝ったから、ガルドは、いない。

「……その、盾の小僧は」

自分の声だった。

伝令が、初めて、カインを見た。

「光ってました。腕が。……灰色の腕が白く」

カインは、自分の右腕を見なかった。

見なくても、わかっていた。肘まで灰色。

(まだ、流れている)

あいつの腕を、灰色にしたのは、自分だ。

その腕で、あいつは、ガルドの剣を折った。


イゾルデが動いた。

厩のほうへ。

「馬を出して」

厩番が立ちすくんでいた。

「お嬢様、どちらへ」

「川へ。父上を探しに」

カインは、イゾルデの手首をつかんだ。

左手で。

イゾルデが振り返った。

目が赤かった。泣いてはいなかった。

「離して」

「伝令が、三日かけて来た道だ。今から行っても、雨で、跡は、もうない」

「だから何」

「将軍の兵が探してる。おまえが一人で行っても、一人分しか、探せない」

イゾルデの手首が、カインの手の中で強張った。

「……私を、守らないで、って、言ったはずよ」

「守ってない」

カインは、言った。

「横に立ってるだけだ」

イゾルデは、長いこと、カインを見ていた。

それから、手首を引いた。

カインは、離した。

イゾルデは、厩へは、行かなかった。

館の階段のほうを見た。

二階の窓に小さな顔があった。

ミアだった。

窓に、両手をついて、こちらを見ていた。

イゾルデは、目を閉じた。

開けた時には、もう、声は、震えていなかった。

「……兵を出すわ。館の兵を半分。私は、残る」

カインは、頷いた。

イゾルデは、階段を上がっていった。

ミアのいる窓へ。


その夜、カインは、寝台の上で紙を広げた。

外套の内側に、ずっと入れていた紙だった。

折り目が、擦り切れかけていた。

金色の目の若者へ。流れを断ちたければ、帝都の工房はいつでも扉を開けている。

一行だけ。

何度も読んだ一行だった。

ガルドの声がした。

俺がいなくなった時に、もう一度それを読め。

その時、自分の横に誰が立っているかを、見てから決めろ。

カインは、紙から、目を上げた。

部屋には、誰もいなかった。

扉の向こうの廊下の先に、イゾルデの部屋があった。その隣にミアの部屋が。

横に立っているのは。

イゾルデと、ミア。

(だから、決められない)

そう思った。

そう思いたかった。

けれど、本当は、逆だった。

ガルドがいない。

この館を、帝都から隠していたのは、ガルドだった。ガルドの手柄と、ガルドの剣と、ガルドの名前だった。

それが、なくなった。

次に帝都が手を伸ばすのは、「保護した若者」だけでは、ない。

将軍の娘と。

将軍が預かった、人質の子供と。

カインは、紙を折り畳んだ。

横に立っている者を、見てから、決めろ。

見た。

だから、決めた。


帝都の使いは、五日後に来た。

黒い外套の男が、三人。胸に細い銀の鎖を下げていた。

夏の初めに、館に来た男たちと、同じ鎖だった。

先頭の男は、イゾルデに深く頭を下げた。

「お嬢様。将軍閣下のこと、帝都も深く案じております」

イゾルデは、答えなかった。

男は、顔を上げて、カインを見た。

「保護した若者を、お迎えに上がりました。将軍閣下とのお約束どおりに」

約束。

ガルドは、約束はしない、と言った。戦場では。

館の外では、したのだろうか。

カインには、わからなかった。

「それと」

男の目が階段の上へ動いた。

イゾルデの外套の陰にミアがいた。

「将軍閣下がお預かりになっていた、お子様も。閣下がご不在の今、帝都で、お守りするのが、筋かと」

イゾルデの手が腰の剣にかかった。

カインは、一歩前に出た。

横からでは、なかった。

前に。

今だけは、前だった。

「俺が行く」

カインは、言った。

男がカインを見た。

「自分の足で行く。鎖は、要らない。……工房の扉は、いつでも開いているんだろう」

男の目が細くなった。

笑ったのだと、少ししてから、わかった。

「ええ。いつでも」

「その代わり、この子は、ここに置いていけ」

カインは、振り返らなかった。

後ろに、ミアがいるのは、わかっていた。

「将軍の館で、将軍の娘のそばにいるのが、この子には、いちばん安全だ。……帝国が、自分でそう決めたはずだ」

男は、しばらく何も言わなかった。

カインの右腕を見ていた。

灰色の肘までの腕を。

値踏みする目だった。

それから、もう一度頭を下げた。

「よろしいでしょう。強い使い手が、自分から扉をくぐってくださる。それに比べれば、子供一人のことは」

男は、言葉を最後まで言わなかった。

言わなくても、わかった。

小さなことだ、と。

カインの左手が拳になった。

開いた。

「出立は、三日後に。……支度を、なさってください」


男たちが、客間へ下がった後、イゾルデが、カインの前に立った。

前に。

「……なんで、一人で決めたの」

声が低かった。

カインは、答えなかった。

「私の横に、立つんじゃ、なかったの」

「立ってた」

カインは、言った。

「だから、見えた。……おまえと、ミアが」

イゾルデの唇が震えた。

何かを言おうとして、言わなかった。

その後ろで、ミアが、イゾルデの外套の裾を握っていた。

ミアは、何も言わなかった。

ただ、カインを見ていた。

じっと。

何かを覚えようとするみたいに。


その夜、カインは、薬草の庭へ行った。

木戸をくぐった。

ガルドの小さな鋏が、畝の端の石の上に置いたままになっていた。

秋の初めに、出陣する前の晩に、置いていったのだろう。

刃に、薄く、錆が浮いていた。

カインは、畝の前にしゃがんだ。

一本ずつ、指で示していった。

熱を下げる草。

傷に塗る草。

眠れない夜の花。

名前を言った。

帝国の古い言葉の名前。

一つも間違えなかった。

間違えても、もう、直してくれる人は、いなかった。

カインは、鋏を拾った。

錆を親指で拭った。

外套の内側の紙の隣にしまった。

俺が、忘れたら、おまえが教えろ。

(教えに、行く)

どこにいるのかも、わからない人に。

カインは、立ち上がった。

月は、出ていなかった。

庭の向こうの館の窓に、一つだけ、灯りがついていた。

ミアの部屋だった。

その灯りが、カインが館の中へ入るまで、消えなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。