第4話 塔の少女
翌朝、宿の主人は、聞く前から話し始めた。
「ああ、北の塔だろう。昨夜も光ったってね」
恰幅のいい中年の女将だった。パンを運びながら、呆れたように肩をすくめる。
「あそこは昔、魔導院の観測塔だったんだよ。院が移ってからは空き家でね。それを、二年前から、変わり者の小娘が勝手に住み着いてる」
「小娘、ですか?」
ハルトが聞き返すと、女将は大きく頷いた。
「リュネって子さ。十六だったかね。どこぞの学院から飛び級で出てきた天才だって話だけど、人付き合いが苦手でね。町の誰とも話さない。月に一度、食料を買いに降りてくるだけさ」
「その子が、あの光を」
「爆発もだよ。月に二、三回はあるね。苦情も来てるんだが、あの子の研究は町の薬師組合にも役立ってるって話で、誰も強くは言えないのさ」
三人は、顔を見合わせた。
「行ってみるか」
カインが言った。
「興味があるんでしょう?」
「ああ。それに、組合の依頼は午後からだ」
ユノが、にっこり笑った。
「ハルも、気になってたものね」
「……う、うん」
(……ばれてる)
北の塔は、町のはずれの丘の上にあった。
古い石造りの塔だった。壁には蔦が絡み、窓の周りは煤で黒く汚れている。扉の横の石には、焦げた跡が何本も、爪痕のように走っていた。
「……爆発の跡、だよね」
「たぶんな」
カインが扉を叩いた。
返事はない。
もう一度、強く叩く。
その時、塔の奥から、どたん、と何かが倒れる音がした。
続けて、ガラスの割れる音。
「うわっ、ちょっと待っ――」
少女の声だった。
次の瞬間、扉の内側で、爆音が鳴り響いた。
扉が、内側から弾け飛んだ。
「ハル!」
カインの腕が、ハルトの肩を引いた。
破片が、さっきまでハルトの頭があった場所を、ひゅんと通り抜けていく。
白い煙が、塔の入口から噴き出した。
甘ったるい、焦げた砂糖のような匂いが広がる。
「けほっ、けほっ……ああもう、また失敗……!」
煙の向こうから、小柄な影が、咳き込みながら這い出してきた。
水色がかった銀髪を、頭の後ろでまとめている。大きなローブはあちこちが焦げ、袖にも煤がべったりとついていた。腰には工具のポーチ。
顔は、煤で真っ黒だ。
その顔が、ハルトたちを見上げて、固まった。
「……誰、あんたたち」
「あの、昨夜の光が気になって。大丈夫ですか?」
ユノが差し出したハンカチを、少女は、ひったくるように受け取った。
「大丈夫に見える? 見えるわけないでしょ。ていうか、見物なら帰って。研究の邪魔よ」
「でも、扉が……」
「扉は後で直す。今、実験の途中だったの」
少女は顔を拭きながら立ち上がった。
背丈は、ハルトより頭ひとつ低い。
けれど、その物言いは、年長者のようだった。
「あんたたち、観光客? 子供の遊びに付き合ってる暇はないの。さっさと帰りなさい」
「子供って……俺たち、そこまで年は」
「私より下でしょ。十四、五ってところ?」
「十五、ですけど……」
「ほら、子供じゃない」
ハルトは何も言い返せなかった。
(一つしか、違わないのに)
カインが、小さく咳払いをした。
「失礼した。ソーヌ村から来た、カインという。あなたが、リュネだな」
「……あんた、どうして私の名前を」
「宿の女将から聞いた」
「ち、あのおしゃべりおばさん」
リュネは、頬を膨らませた。
ハルトたちが帰らなかったのには、理由があった。
塔の入口から、どさどさと、何かが崩れる音が続いたのだ。
「また崩れた……!」
リュネが慌てて塔の中へ駆け戻る。
ハルトも、ほとんど反射的に、その後を追った。
「ハル!」
「ちょっと、見てくる!」
塔の中は、混沌としていた。
螺旋階段の途中まで、本や紙束が積み重なっている。床には、ひっくり返った椅子と、割れたガラス器具。壁際の棚には、色とりどりの液体が並んでいたが、半分は倒れて床に染みを作っていた。
その真ん中で、リュネが、必死に何かを押さえている。
大きな水晶のような塊だった。表面で、青白い光が、不規則に脈打っている。
「あっ、ダメ、暴れちゃ……!」
水晶が、ぐらりと揺れた。
光が、一気に強くなる。
「伏せて!」
リュネが叫んだ。
ハルトは、考えるより先に、盾を前に出していた。
爆発が、来た。
衝撃が、盾に叩きつけられる。
腕が、押し潰されそうだった。足が床を削る。歯を食いしばる。
重い盾が、ハルトの前に、壁のように立った。
光が、消えた。
破片が、ばらばらと床に落ちる。
「……っ、はあ、はあ」
ハルトは、盾を下ろした。
左腕が、じんじんと痺れている。だが、後ろのリュネは、無傷だった。
「……あんた」
リュネは、床に座り込んだまま、ハルトを見上げていた。
大きな目が、さっきまでの不遜な光を失って、驚きに丸くなっている。
「どうして、守ったの」
「えっと……危なかったから」
「初対面の私を?」
「うん」
リュネは、しばらく、黙っていた。
それから、気まずそうに視線を逸らす。
「……別に、頼んでない」
「でも、助かったよね?」
「うるさい」
そう言ったリュネの耳が、赤くなっていた。
結局、ハルトたちは塔の片づけを手伝うことになった。
ユノが割れたガラスを集め、カインが崩れた本棚を元に戻す。ハルトは床の液体を拭いていた。
「……あんたたち、お人好しね」
リュネが、小さな声でぼやいた。
「よく言われる」
ユノが、笑って返した。
「私の研究はね」
しばらくして、リュネが、ぽつりと言った。
「代償を、軽くする理論なの」
「代償を?」
「理を書き換える時に、人は何かを失う。体温、記憶、寿命。それは、世界の仕組み。だけど、理を深く理解すれば、その代償は軽くできる。私は、その仕組みを、理論で突き詰めたい」
リュネは、床に散らばった紙束の一枚を拾い上げた。
細かい文字と、複雑な図が、びっしりと書き込まれている。
「理論は、できてる。完璧よ。でも、実際に、重い代償を払う人間のデータがないと、証明できない」
「データ?」
「実戦で、代償を払った人間の記録。私は塔にこもってるから、実験台は自分しかいなかった。それじゃ、足りないの」
リュネは、紙を握りしめた。
「だから、いつも暴発する。理論と現実が、噛み合わない」
その時だった。
リュネの視線が、ハルトの右手に向いた。
「……あんた、右手、握力が落ちてるわね」
「え?」
「さっきから、雑巾の持ち方がおかしい。指先の感覚が、鈍ってる。昨日、火の紋を使ったでしょ。使いすぎ」
「……なんで、わかるの」
「見ればわかる。基本紋で一番ありふれてるのは火。その代償は、指先の知覚の低下。持続は半日から一日。あんたのは、まだ回復途中」
ハルトは、自分の右手を見た。
まだ、指先の感覚は少し薄い。
(見ただけで、そこまで)
リュネは、にやりと笑った。
先ほどまでの警戒が、いつの間にか、別の光に変わっていた。
好奇心だった。
「あんたたち、昨日、実戦に出たのね? 魔物と戦った?」
「ああ」
カインが、短く答えた。
リュネは、立ち上がった。
「いい。決めた」
「何を?」
「あんたたち、私の研究を手伝いなさい」
「……え?」
「報酬は出す。実験台になってもらうけど」
リュネは、煤だらけの顔で、堂々と胸を張った。
「ただし、勘違いしないで。子供の面倒を見るんじゃなくて、私が、あんたたちを使ってあげるの」
ハルトは、思わずユノと顔を見合わせた。
ユノが、肩を震わせて、笑いをこらえている。
カインは、窓の外を見つめたまま、静かに言った。
「……断る理由は、なさそうだな」




