第17話 迎えに来た声
旗団の野営地を発って二日目の夕方、四人は川沿いの宿場町にたどり着いた。
街道が三本、ここで交わっている。石畳の広場には荷車が何台も並び、馬のいななきと、商人たちの呼び声が重なっていた。
「やっと、屋根のあるところで寝られる」
リュネが、荷袋を背負い直して、しみじみと言った。
「あなた、野宿の間ずっと文句を言ってたものね」
「言ってないわ。事実を述べただけ」
「毛布の端に、虫がついたって」
「事実でしょ」
ユノが、くすくすと笑う。
ハルトも笑いながら、広場を見回した。
宿の看板が、通りの両側にずらりと並んでいる。まず宿を押さえて、それから夕飯を探そう。そう思って、一番手前の宿の戸口に向かった、その時だった。
「カインお兄ちゃーん!」
甲高い声が、広場の向こうから飛んできた。
ハルトは、振り向いた。
荷車の列の間を、小さな影が、全力で駆けてくる。
栗色の髪を二つに結んだ、七つくらいの女の子だった。赤いリボンが、走るたびに跳ねている。
(……ミア?)
そう思った時には、もう、少女はカインの胸に飛び込んでいた。
「うわっ」
カインは、よろけながらも、しっかりと受け止めた。
「ミア! どうして、ここに」
「お母さんと一緒に来たの! お父さんが、行ってきなさいって!」
少女は、カインの外套にしがみついたまま、顔を上げた。
そばかすの浮いた頬が、真っ赤に染まっている。目の端に、光るものがあった。
「会いたかった。ずっと、会いたかったの」
「……ああ。俺もだ」
カインの声は、驚くほど柔らかかった。
ハルトは、はっとした。
カインが、笑っていた。
いつもの穏やかな笑みとは、違う。構えのない、本当に力の抜けた顔だった。
(こんな顔、久しぶりに見た)
胸の奥が、きゅっと鳴った。
「ハル兄! ユノお姉ちゃん!」
ミアは、カインから離れて、今度はハルトの腰に飛びついてきた。
「元気だった? ちゃんと食べてた?」
「それ、俺が言う台詞だよ」
「だって、ハル兄、すぐ無理するもん」
「ミアに言われた」
ユノが、笑いながら、ミアの頭を撫でた。
「ほんとに、元気ね。そのリボン、かわいい」
「うん! お母さんが、結んでくれたの!」
「こら、ミア! 走らないの!」
人混みの向こうから、声が追いかけてきた。
ふくよかな体つきの女性が、荷物を抱えて息を切らしながら、こちらへ歩いてくる。
エプロンの上に、旅用の厚い外套を羽織っていた。丸い目に、笑い皺が深い。
「マーサさん!」
ユノが駆け寄る。
「ユノ! まあ、また一段と綺麗になって。ハルトも、カインも、無事で、よかった」
マーサは、荷物を地面に置いて、三人の顔を順番に見た。
目が、少し潤んでいた。
「ゴードンさんは、お元気ですか」
ハルトが尋ねると、マーサは苦笑した。
「元気も元気。あんたたちがいなくなって、一日目に『静かでいい』って言ってたくせに、二日目からは毎晩『あいつら、飯は食ってるか』って」
「え」
「三日目には、あんたたちの部屋を掃除しはじめたわ。誰もいないのに」
ユノが、口元を押さえた。
ハルトも、鼻の奥がつんとした。
(隊長……)
「それで、どうしてここに」
カインが、ミアの肩に手を置いたまま尋ねた。
マーサは、少しだけ表情を曇らせた。
「このところ、村の周りに魔物が増えてるのよ。畑の端まで来る日もあって、あの人、ずっと夜の見回りをしてるの」
「村が」
「大丈夫。守備隊は、ちゃんと動いてる。ただね、あの人が言うの。『ミアは、しばらくベルナに行かせろ』って。あそこなら、騎士様の部隊も常駐してるし、あんたたちもいるでしょ」
「俺たちは、今、ベルナにいないんですが」
「そうだったの? でも、これから戻るんでしょう?」
「あ……はい」
ハルトは、慌てて頷いた。
そうだ。戻る道は、遠くない。
(ベルナには、リュネの塔もある。遠くには、行ってない)
「じゃあ、ちょうどいいわ」
マーサは、にっこり笑った。
「この宿場の商隊が、明日の朝、ベルナに向かうの。一緒に行きましょう。護衛を頼める人が少なくて、困ってたのよ」
夕食は、宿の食堂の、大きな円卓を囲んだ。
ミアは、ハルトとカインの間に陣取って、一歩も動かなかった。
「ミア、ちゃんと座って」
「やだ。ここがいい」
「やだじゃなくて」
「いいよ、マーサさん」
ハルトは、笑って言った。
「ミアは、小さい頃から、ここが定位置だから」
「そうなのよ。まったく、誰に似たのか」
「お父さんに似たの!」
ミアが胸を張る。
全員が、思わず笑った。
向かいの席で、リュネが、居心地悪そうに身を縮めていた。
「あの、私は、その、子供は苦手で」
「リュネお姉ちゃん?」
ミアが、じいっとリュネを見つめた。
「ふしぎな髪の色」
「え」
「お水の色みたい。きれい」
「……あ、ありがとう」
リュネは、顔を真っ赤にして俯いた。
「あれ、照れてるわ」
「照れてない」
「照れてる」
「ユノ!」
ミアが、くすくす笑いながら、リュネの隣にぴょこんと移った。
「ねえ、お水のお姉ちゃん、魔法が使えるの?」
「……使えるわ。一応」
「見せて!」
「ここで?」
「ちっちゃいやつでいいの!」
リュネは、周りを見回して、渋々、卓の水差しの上に指をかざした。
水が、ふわりと持ち上がった。
小さな球になって、くるくると宙に浮かぶ。
「わあ!」
ミアが、目を輝かせた。
球は、ミアの鼻の先でぷるんと揺れ、それから水差しにすとんと戻った。
「すごい、すごい!」
「……別に、基本の応用よ」
そう言いながら、リュネの口元は、緩んでいた。
ハルトは、その様子を見て、ほっとした。
(リュネ、最近、笑うことが増えた)
夕食の途中、マーサが、カインの皿にじっと目を落とした。
「カイン。あんた、ほとんど食べてないじゃない」
「あまり、腹が減ってなくて」
「嘘おっしゃい」
マーサは、自分の皿から、焼いた鶏肉を一切れ取って、カインの皿に載せた。
「ちゃんと食べなさい。顔色が、前より悪いわよ」
「マーサさん、俺は」
「食べなさい」
有無を言わせない母の声だった。
カインは、観念したように、匙を持った。
その時、ミアが、自分のパンをちぎって、半分を差し出した。
「はい、カインお兄ちゃん」
「ミア」
「半分こ。ユノお姉ちゃんが、教えてくれたの」
ユノが、目を丸くした。
「私、いつ」
「去年の収穫祭の時! お祭りの飴を、半分にしてくれたでしょ」
「ああ、あれ」
ユノは、微笑んだ。
カインは、差し出されたパンを、黙って受け取った。
そして、鶏肉もパンも、少しずつ、口に運んだ。
「……おいしいか?」
ハルトが、小声で尋ねた。
カインは、一瞬、答えに詰まって、それから、小さく頷いた。
「ああ。……ちゃんと、あったかい」
(あったかい?)
ハルトは、その言葉に、少しだけ引っかかりを覚えた。
けれど、尋ねる前に、カインは、ミアの話に付き合いはじめていた。
夜が更けた。
子供と女性陣は、二階の部屋に上がり、ハルトとカインは、階下の簡易寝台に横になった。
けれど、ハルトは、なかなか眠れなかった。
窓の外で、風が鳴っている。
寝返りを打つたびに、隣の寝台のカインの呼吸が、聞こえる。
「……ハル」
小さな声が、闇の中で呼んだ。
「起きてるのか」
「うん」
「ミアのこと、どう思う」
「どう、って」
「魔物が、増えてるらしい。村の近くまで来ているなら、ベルナも、安全とは限らない」
ハルトは、天井を見上げた。
「ベルナには、騎士様もいるよ」
「そうだな」
「それに、俺たちもいる」
「……ああ」
カインは、しばらく黙っていた。
やがて、ぽつりと言った。
「俺は、あの子を、守りたいんだ」
静かな声だった。
「ミアも、マーサさんも、ゴードンさんも。お前もユノも。守れるものは、全部」
「カイン」
「できるだろうか」
その問いは、ハルトに向けられたものではなかった気がした。
自分自身に、問いかけているような響きだった。
ハルトは、少しだけ考えてから、答えた。
「できるよ。……できなくても、一人で守らなくていい」
闇の中で、カインが、ふっと息を吐く気配がした。
「そうだな」
その声は、ほんの少し、笑っていた。
けれど、ハルトには、わかった。
(カインは、納得してない)
それでも、今夜は、いい。
目を閉じる。
遠くの方で、宿場の夜番の拍子木が、かん、かん、と二度、鳴った。
翌朝、まだ空が薄暗いうちに、商隊は出発した。
荷車が六台。護衛は、ハルトたち四人を含めて、十人ほど。
先頭の荷車の御者席で、商隊長の男が、帽子を持ち上げて笑った。
「道中、頼みますよ。街道の魔物は、先月から、倍に増えてましてね」
「倍に?」
「ええ。群れで出るようになった。おかげで、護衛料は倍。商売あがったりだ」
冗談めかした口調だったが、その目は、笑っていなかった。
ハルトは、荷車の列の後ろを歩きながら、街道の先を見つめた。
朝霧の向こうに、ベルナの方角の空が、薄く光っている。
(魔物が、増えている)
昨日、マーサが言ったことと、同じだ。
偶然では、ない気がした。
ハルトは、盾の革ベルトを、ぎゅっと握り直した。




