↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
暁の盾 〜分け合う者と、背負う者〜  作者: 旬花祝桃
第一章 夜明け前の橋

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
16/106

第16話 暁の野営地

旗団の野営地は、渡し場から半日ほど川を遡った、古い砦跡にあった。

崩れかけた石垣。苔むした見張り台。その内側に、継ぎ接ぎの天幕が、ぎっしりと並んでいる。

ハルトは、門をくぐったところで、思わず足を止めた。

(……思ってたのと、違う)

反乱軍の本隊、と聞いて、もっと殺伐とした場所を想像していた。

けれど、そこにあったのは、洗濯物だった。

天幕と天幕の間に渡された縄に、色あせたシャツやズボンが、ずらりと並んで風に揺れている。井戸の周りでは、女たちが笑いながら桶を回している。その足元を、小さな子供が走り回っていた。

鍋の湯気が、あちこちで上がっている。

焼いたパンの香ばしい匂いが、鼻をくすぐった。

「……反乱軍って、もっと、こう」

リュネが、小声で呟いた。

「殺気立ってるものだと思ってた」

「失礼ね。ちゃんと生活してる人たちよ」

ユノが、肘で小突く。

先導していた斥候の青年が、振り返って、少し照れたように笑った。

「驚かれますよね。うちは、こんなものです。兵士より、家族連れのほうが多い」

「家族連れ?」

「帝国に、村を追われた人たちです。行き場がなくて、旗の下に集まってきたんです」

青年は、風に揺れる橙と藍の旗を見上げた。

継ぎはぎだらけの旗だった。

けれど、それは誇らしげに、はためいていた。


渡し守の老人は、野営地の奥の天幕に運び込まれた。

年配の薬師が、手慣れた様子で傷を洗い、ユノがその隣で風の癒しを重ねる。男の子は、祖父の枕元から、片時も離れようとしなかった。

「大丈夫じゃよ、坊や」

薬師が、皺だらけの手で、男の子の頭を撫でた。

「じいちゃんは、頑固者じゃ。こんな矢くらいで、くたばる玉ではない」

「……ほんと?」

「わしが保証する。ほれ、パンでも食べて待っておれ」

男の子は、おずおずとパンを受け取って、小さくかじった。

それを見て、ハルトは、ほっと息をついた。

天幕の外では、リュネが負傷兵の包帯を数えていた。

「清潔な布が、足りてない。煮沸もしてないじゃない」

「すみません、湯を沸かす薪が」

「だったら、私が沸かすわ」

リュネは、むっとした顔で杖を構えた。

けれど、その手の動きは、昨日までよりも、ずっとぎこちなかった。

水を呼ぶ指先が、小さく震えている。

(まだ、あの広間のことを……)

ハルトは、声をかけようとして、やめた。

代わりに、薪の山から枝を数本取って、リュネの隣に置いた。

「火は、俺がつけるよ」

「……当たり前でしょ。私の水は湯を沸かすための道具で、火の担当はあんた」

「うん」

「いい? 勘違いしないでね」

「うん」

リュネは、ぷいと顔を背けた。

けれど、その横顔は、少しだけ、ほどけていた。


夕方になると、野営地のあちこちで、煮炊きの煙が立ちのぼった。

広場の真ん中に、大鍋がいくつも据えられている。

人々は、器を持って、鍋の周りに集まってきた。

兵士も、女も、子供も、薬師も、みんな同じ列に並んでいる。

「ほら、あんたたちも」

湯気の向こうから、でっぷりした炊事係の女が、ハルトに器を押しつけた。

「旅の人だろ。遠慮はなしだよ。うちの決まりでね、飯は、みんなで分けるもんなんだ」

「分ける?」

「そう。誰が多く食べるとか、誰が少なくていいとか、ここにはない。盟主様も、あの一番下っ端のあんたの隣の子も、同じ量。それが、うちの流儀さ」

ハルトは、器を受け取った。

具だくさんの麦粥だった。ほんのりと、塩と香草の匂いがする。

(……「分ける」)

胸の奥が、少しだけ、温かくなった。

「ユノ姉、これ」

「ええ。素敵な決まりね」

ユノが、嬉しそうに微笑んだ。


広場の隅の丸太に腰掛けて、四人は粥をすすった。

「あったかい」

リュネが、ぽつりと言う。

「ユノの煮込みもだけど、これも悪くない。塩気が、疲れた体に染みるわ」

「でしょう」

「理論的に言えば、塩分と糖分の補給に、最適な」

「うん、おいしいって言いなさい」

「……おいしい」

ユノが、にこにこと頷く。

ハルトは、ちらりと、隣のカインを見た。

カインは、器を膝に載せて、ゆっくりと匙を動かしていた。

三分の二ほど減っている。

(今日は、食べてる)

少しだけ、安心した。

そこに、一人の兵士が近づいてきた。

「あんた、あの渡し場で、大きな剣を振ってた人だろ」

「……ああ」

「すげえ、一撃で三人。いや、剣を抜いてないのに、どうやって」

「地面を、少し借りただけだ」

「地面を借りる!」

兵士の目が、きらきらと輝いた。

「かっこいいな、それ。うちには、そんな芸当ができるやつ、いなくて」

周りに、他の兵士たちが、どんどん集まってくる。

「俺も見てた!」

「あんたら、どこの傭兵団だ?」

「いや、傭兵じゃなくて」

ハルトが言いかけた時、背後で、声がした。

「いや、いい。名前は、なんでもいい」


誰かが、人垣をかき分けて、近づいてきた。

粗末な麻の上着に、使い込んだ革の胴当て。

背は高く、肩幅も広かった。髪は、夕日の色に近い橙がかった茶色。笑うと目尻に皺が寄る、日に焼けた顔だった。

二十代半ばに見えた。

けれど、その人が歩いてくるだけで、周囲の兵士たちが、自然と道を空けた。

誰も、頭を下げたり、敬礼したりはしなかった。

ただ、みんなが、嬉しそうな顔をした。

「盟主様!」

「いや、盟主はやめてくれって、前から言ってるだろ」

その人は、頭を掻いた。

背中に、二本の剣が交差するように背負われていた。

(……双剣)

「おまえらが、渡し場の旅人だな」

その人は、ハルトたちの前で足を止め、ふっと笑った。

「俺は、レオニス。ここの旗を掲げてる、もの好きな男だ」


レオニスは、ハルトの隣の丸太に、どかりと腰を下ろした。

近くで見ると、思ったより、若かった。

けれど、その目は、人の話を聞く時に、ひどく静かになる。

(この人は、人の話を、ちゃんと聞く人だ)

そんな気がした。

「斥候の連中を、助けてくれたそうだな。礼を言わせてくれ」

「そんな、俺たちは、たまたま」

「たまたまでも、助かった。あいつらは、うちの大事な目と耳なんだ」

レオニスは、少し離れたところで粥をかき込んでいる、あの斥候の青年に目をやった。

「それから、あの渡し守のじいさんと、孫のことも」

「いえ」

「聞いたぞ。どっちの味方でもない、と言ったそうだな」

ハルトは、はっとした。

「……はい」

「いい答えだ」

レオニスは、意外なほど、あっさりと言った。

「俺は、帝国を倒したいわけじゃない」

「え」

「奪われたものを、取り戻したいだけだ。村、畑、渡し舟。じいさんが五十年守ってきた場所。それを守るために、旗を立てた」

粥の湯気の向こうで、レオニスの目が、遠くを見ていた。

「どっちの味方、じゃなくて、目の前の人を守る。それが、俺たちの戦いだ。……ただ、それが綺麗事だってことも、知ってる」

「綺麗事」

「ああ。守るために、斬る時もある。帝国の兵にも、家族がいる。それでも、斬る。……だから、俺は、胸を張れない」

その声は、どこまでも、穏やかだった。

けれど、ハルトの胸には、重いものが落ちた。

(この人は、わかってるんだ)

(自分のやってることの痛みを、ちゃんと)

「だから、おまえの選択を、尊重する」

レオニスは、ハルトを、まっすぐに見た。

「怪我人の手当てを手伝ってくれて、ありがとう。それ以上は、頼まない。ただ、また道が交わったら、いつでも飯を食いに来い」

そして、にっと笑った。

「うちの粥は、なかなかうまいだろ?」

「……はい。すごく」

ハルトも、思わず笑っていた。


夜が更けて、野営地は、静かになった。

ハルトは、天幕の脇の丸太に座って、星を見ていた。

眠れなかった。

昼間の疲れは、残っている。けれど、胸の中が、ざわざわしていた。

(レオニスさん、か)

あの人は、一度会っただけなのに、ずっと前から知っていたような気がする。

どこか、ゴードンに似ていた。

いや、違う。

もっと、遠い何かだった。

「眠れんのか」

声がして、振り向くと、レオニスが、焚き火の向こうから歩いてきた。

手に、小さな皮の水筒を二つ持っている。

「ほら、水だ。酒は、まだ早いからな」

「ありがとうございます」

ハルトは、受け取った。

レオニスは、隣に腰を下ろした。

しばらく、二人で、星を見ていた。

「その盾」

不意に、レオニスが言った。

ハルトは、膝の上の盾に目を落とした。

「古いが、手入れが行き届いてる。いい盾だ」

「……村の、隊長がくれたんです」

「隊長?」

「ゴードンさん。俺たちが、小さい頃からお世話になった人で。村を出る朝に」

ハルトは、盾の縁に刻まれた、無数の傷を、指でなぞった。

「その人が、ずっと使ってた盾で」

「そうか」

レオニスは、静かに頷いた。

「大事にしろよ。盾ってのは、守るためのもんだ。自分のためじゃなく、後ろにいる誰かのために持つもんだ」

「……はい」

「その傷は、全部、誰かを守った証拠だ。使うやつが変わっても、傷は消えない。ちゃんと、背負ってやれ」

ハルトは、胸が熱くなって、盾を抱く腕に力を込めた。

「また、な」

レオニスは、水筒を軽く持ち上げて、立ち上がった。

「朝は、早起きしてみろよ。ここの東の空は、なかなかいい色になる」

そう言って、焚き火の向こうへ戻っていった。


翌朝。

東の空が、ゆっくりと白んでいく頃、ハルトは天幕を出た。

見張り台の上に、人影が立っていた。

レオニスだった。

朝日が、地平線から顔を出す。

雲が、橙に、藍に、染め分けられていく。

旗団の旗と、同じ色だった。

(……暁)

ハルトは、見張り台の下で、その光景を見上げた。

風が、野営地を抜けて、旗を揺らす。

「綺麗ね」

いつの間にか、隣にユノが立っていた。

その後ろに、リュネも、カインもいた。

「ええ、まあ、悪くはない景色ね」

リュネが、むくれたまま言う。

カインは、何も言わなかった。

ただ、朝日の中に立つレオニスの後ろ姿を、じっと見つめていた。

「眩しい人だな」

低い声だった。

「……眩しすぎる」

その言葉の意味を、ハルトは、そのときは、まだ知らなかった。

旗団の人々に見送られて、四人は野営地を後にした。

風が、背中を押す。

橙と藍の旗が、朝日の中で、いつまでも小さく揺れていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。