第16話 暁の野営地
旗団の野営地は、渡し場から半日ほど川を遡った、古い砦跡にあった。
崩れかけた石垣。苔むした見張り台。その内側に、継ぎ接ぎの天幕が、ぎっしりと並んでいる。
ハルトは、門をくぐったところで、思わず足を止めた。
(……思ってたのと、違う)
反乱軍の本隊、と聞いて、もっと殺伐とした場所を想像していた。
けれど、そこにあったのは、洗濯物だった。
天幕と天幕の間に渡された縄に、色あせたシャツやズボンが、ずらりと並んで風に揺れている。井戸の周りでは、女たちが笑いながら桶を回している。その足元を、小さな子供が走り回っていた。
鍋の湯気が、あちこちで上がっている。
焼いたパンの香ばしい匂いが、鼻をくすぐった。
「……反乱軍って、もっと、こう」
リュネが、小声で呟いた。
「殺気立ってるものだと思ってた」
「失礼ね。ちゃんと生活してる人たちよ」
ユノが、肘で小突く。
先導していた斥候の青年が、振り返って、少し照れたように笑った。
「驚かれますよね。うちは、こんなものです。兵士より、家族連れのほうが多い」
「家族連れ?」
「帝国に、村を追われた人たちです。行き場がなくて、旗の下に集まってきたんです」
青年は、風に揺れる橙と藍の旗を見上げた。
継ぎはぎだらけの旗だった。
けれど、それは誇らしげに、はためいていた。
渡し守の老人は、野営地の奥の天幕に運び込まれた。
年配の薬師が、手慣れた様子で傷を洗い、ユノがその隣で風の癒しを重ねる。男の子は、祖父の枕元から、片時も離れようとしなかった。
「大丈夫じゃよ、坊や」
薬師が、皺だらけの手で、男の子の頭を撫でた。
「じいちゃんは、頑固者じゃ。こんな矢くらいで、くたばる玉ではない」
「……ほんと?」
「わしが保証する。ほれ、パンでも食べて待っておれ」
男の子は、おずおずとパンを受け取って、小さくかじった。
それを見て、ハルトは、ほっと息をついた。
天幕の外では、リュネが負傷兵の包帯を数えていた。
「清潔な布が、足りてない。煮沸もしてないじゃない」
「すみません、湯を沸かす薪が」
「だったら、私が沸かすわ」
リュネは、むっとした顔で杖を構えた。
けれど、その手の動きは、昨日までよりも、ずっとぎこちなかった。
水を呼ぶ指先が、小さく震えている。
(まだ、あの広間のことを……)
ハルトは、声をかけようとして、やめた。
代わりに、薪の山から枝を数本取って、リュネの隣に置いた。
「火は、俺がつけるよ」
「……当たり前でしょ。私の水は湯を沸かすための道具で、火の担当はあんた」
「うん」
「いい? 勘違いしないでね」
「うん」
リュネは、ぷいと顔を背けた。
けれど、その横顔は、少しだけ、ほどけていた。
夕方になると、野営地のあちこちで、煮炊きの煙が立ちのぼった。
広場の真ん中に、大鍋がいくつも据えられている。
人々は、器を持って、鍋の周りに集まってきた。
兵士も、女も、子供も、薬師も、みんな同じ列に並んでいる。
「ほら、あんたたちも」
湯気の向こうから、でっぷりした炊事係の女が、ハルトに器を押しつけた。
「旅の人だろ。遠慮はなしだよ。うちの決まりでね、飯は、みんなで分けるもんなんだ」
「分ける?」
「そう。誰が多く食べるとか、誰が少なくていいとか、ここにはない。盟主様も、あの一番下っ端のあんたの隣の子も、同じ量。それが、うちの流儀さ」
ハルトは、器を受け取った。
具だくさんの麦粥だった。ほんのりと、塩と香草の匂いがする。
(……「分ける」)
胸の奥が、少しだけ、温かくなった。
「ユノ姉、これ」
「ええ。素敵な決まりね」
ユノが、嬉しそうに微笑んだ。
広場の隅の丸太に腰掛けて、四人は粥をすすった。
「あったかい」
リュネが、ぽつりと言う。
「ユノの煮込みもだけど、これも悪くない。塩気が、疲れた体に染みるわ」
「でしょう」
「理論的に言えば、塩分と糖分の補給に、最適な」
「うん、おいしいって言いなさい」
「……おいしい」
ユノが、にこにこと頷く。
ハルトは、ちらりと、隣のカインを見た。
カインは、器を膝に載せて、ゆっくりと匙を動かしていた。
三分の二ほど減っている。
(今日は、食べてる)
少しだけ、安心した。
そこに、一人の兵士が近づいてきた。
「あんた、あの渡し場で、大きな剣を振ってた人だろ」
「……ああ」
「すげえ、一撃で三人。いや、剣を抜いてないのに、どうやって」
「地面を、少し借りただけだ」
「地面を借りる!」
兵士の目が、きらきらと輝いた。
「かっこいいな、それ。うちには、そんな芸当ができるやつ、いなくて」
周りに、他の兵士たちが、どんどん集まってくる。
「俺も見てた!」
「あんたら、どこの傭兵団だ?」
「いや、傭兵じゃなくて」
ハルトが言いかけた時、背後で、声がした。
「いや、いい。名前は、なんでもいい」
誰かが、人垣をかき分けて、近づいてきた。
粗末な麻の上着に、使い込んだ革の胴当て。
背は高く、肩幅も広かった。髪は、夕日の色に近い橙がかった茶色。笑うと目尻に皺が寄る、日に焼けた顔だった。
二十代半ばに見えた。
けれど、その人が歩いてくるだけで、周囲の兵士たちが、自然と道を空けた。
誰も、頭を下げたり、敬礼したりはしなかった。
ただ、みんなが、嬉しそうな顔をした。
「盟主様!」
「いや、盟主はやめてくれって、前から言ってるだろ」
その人は、頭を掻いた。
背中に、二本の剣が交差するように背負われていた。
(……双剣)
「おまえらが、渡し場の旅人だな」
その人は、ハルトたちの前で足を止め、ふっと笑った。
「俺は、レオニス。ここの旗を掲げてる、もの好きな男だ」
レオニスは、ハルトの隣の丸太に、どかりと腰を下ろした。
近くで見ると、思ったより、若かった。
けれど、その目は、人の話を聞く時に、ひどく静かになる。
(この人は、人の話を、ちゃんと聞く人だ)
そんな気がした。
「斥候の連中を、助けてくれたそうだな。礼を言わせてくれ」
「そんな、俺たちは、たまたま」
「たまたまでも、助かった。あいつらは、うちの大事な目と耳なんだ」
レオニスは、少し離れたところで粥をかき込んでいる、あの斥候の青年に目をやった。
「それから、あの渡し守のじいさんと、孫のことも」
「いえ」
「聞いたぞ。どっちの味方でもない、と言ったそうだな」
ハルトは、はっとした。
「……はい」
「いい答えだ」
レオニスは、意外なほど、あっさりと言った。
「俺は、帝国を倒したいわけじゃない」
「え」
「奪われたものを、取り戻したいだけだ。村、畑、渡し舟。じいさんが五十年守ってきた場所。それを守るために、旗を立てた」
粥の湯気の向こうで、レオニスの目が、遠くを見ていた。
「どっちの味方、じゃなくて、目の前の人を守る。それが、俺たちの戦いだ。……ただ、それが綺麗事だってことも、知ってる」
「綺麗事」
「ああ。守るために、斬る時もある。帝国の兵にも、家族がいる。それでも、斬る。……だから、俺は、胸を張れない」
その声は、どこまでも、穏やかだった。
けれど、ハルトの胸には、重いものが落ちた。
(この人は、わかってるんだ)
(自分のやってることの痛みを、ちゃんと)
「だから、おまえの選択を、尊重する」
レオニスは、ハルトを、まっすぐに見た。
「怪我人の手当てを手伝ってくれて、ありがとう。それ以上は、頼まない。ただ、また道が交わったら、いつでも飯を食いに来い」
そして、にっと笑った。
「うちの粥は、なかなかうまいだろ?」
「……はい。すごく」
ハルトも、思わず笑っていた。
夜が更けて、野営地は、静かになった。
ハルトは、天幕の脇の丸太に座って、星を見ていた。
眠れなかった。
昼間の疲れは、残っている。けれど、胸の中が、ざわざわしていた。
(レオニスさん、か)
あの人は、一度会っただけなのに、ずっと前から知っていたような気がする。
どこか、ゴードンに似ていた。
いや、違う。
もっと、遠い何かだった。
「眠れんのか」
声がして、振り向くと、レオニスが、焚き火の向こうから歩いてきた。
手に、小さな皮の水筒を二つ持っている。
「ほら、水だ。酒は、まだ早いからな」
「ありがとうございます」
ハルトは、受け取った。
レオニスは、隣に腰を下ろした。
しばらく、二人で、星を見ていた。
「その盾」
不意に、レオニスが言った。
ハルトは、膝の上の盾に目を落とした。
「古いが、手入れが行き届いてる。いい盾だ」
「……村の、隊長がくれたんです」
「隊長?」
「ゴードンさん。俺たちが、小さい頃からお世話になった人で。村を出る朝に」
ハルトは、盾の縁に刻まれた、無数の傷を、指でなぞった。
「その人が、ずっと使ってた盾で」
「そうか」
レオニスは、静かに頷いた。
「大事にしろよ。盾ってのは、守るためのもんだ。自分のためじゃなく、後ろにいる誰かのために持つもんだ」
「……はい」
「その傷は、全部、誰かを守った証拠だ。使うやつが変わっても、傷は消えない。ちゃんと、背負ってやれ」
ハルトは、胸が熱くなって、盾を抱く腕に力を込めた。
「また、な」
レオニスは、水筒を軽く持ち上げて、立ち上がった。
「朝は、早起きしてみろよ。ここの東の空は、なかなかいい色になる」
そう言って、焚き火の向こうへ戻っていった。
翌朝。
東の空が、ゆっくりと白んでいく頃、ハルトは天幕を出た。
見張り台の上に、人影が立っていた。
レオニスだった。
朝日が、地平線から顔を出す。
雲が、橙に、藍に、染め分けられていく。
旗団の旗と、同じ色だった。
(……暁)
ハルトは、見張り台の下で、その光景を見上げた。
風が、野営地を抜けて、旗を揺らす。
「綺麗ね」
いつの間にか、隣にユノが立っていた。
その後ろに、リュネも、カインもいた。
「ええ、まあ、悪くはない景色ね」
リュネが、むくれたまま言う。
カインは、何も言わなかった。
ただ、朝日の中に立つレオニスの後ろ姿を、じっと見つめていた。
「眩しい人だな」
低い声だった。
「……眩しすぎる」
その言葉の意味を、ハルトは、そのときは、まだ知らなかった。
旗団の人々に見送られて、四人は野営地を後にした。
風が、背中を押す。
橙と藍の旗が、朝日の中で、いつまでも小さく揺れていた。




