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36 未来を変える力

 天海村遠征が終わって早々、俺たちは椎名研の研究室に来ていた。


「君たちね~、もうこっちは大変なことになってるよ」


 到着してすぐ椎名教授に言われてしまった。

 大変? 知りません。


「いや、何処から話たらいいかもわからん」


 困った顔の椎名教授。いろいろ考えあぐねた後なのかな?


「まずは、学生実験じゃないかしら?」


 研究室には氷室玲子助教授も来ていた。


「あぁ。そうだな」


 話はこうだった。

 他の大学の事情は知らないが、うちの大学で物理科に入った学生は、まず基本的な物理実験を学ぶ。いろんな物理現象を実験を通して肌で感じてもらうためだ。ただ、実験は時間が掛かることが多く帰宅時間が遅くなりがちなのに加えて、実験レポートの出来が悪いと再レポートとなり夜になっても帰れないなんてこともある。


 もちろん、いろんな種類の実験があるので難易度はまちまちなのだが、その中に特に有名な実験があった。

 人呼んで「地獄の針落とし」。

 この実験、なんのことはない。板に同心円の図を貼って、一定の高さから針を中心めがけて落とすという単純な実験だなのだ。もちろん針と言っても千枚通しのような針だ。

 要するに確率分布を得る実験だ。結果は、中心付近に一番多く落ち、中心から離れるにしたがって徐々に数が減る。これを集計すると奇麗なポワソン分布のグラフができる筈なのだが、いい加減にやると歪なグラフしか描けない。奇麗なグラフができるまで帰してもらえないので学生たちは延々と針を落とすことになる。悪名高き実験なのである。


 その「地獄の針落とし」の結果がおかしなことになったという。


「みんな、中心に落ちてしまうんだよ!」


 なんだって~っ?

 椎名教授はありえないことを言った。


「全員がですか?」

「いや、それが僕が見ていた学生だけだったんだよ」


 どうも、椎名教授が担当していたグループの学生全員の結果が変だったようだ。


「何度やっても、針は中心に真っすぐ落ちてしまう。いつまでたっても学生は帰れない」


「そりゃ、泣きますね」

「泣いてたわね」

「泣くでしょうね」

「あれは、うんざりした」


 1回の実験で何百本も針を落とすのだ。再レポート判定されたら同じ実験を繰り返さなければならない。次第に集中力もなくなってくるというのに。

 氷室助教授も学生時代を思い出した荻野と乙羽も同情した。


「それで、何が原因だったんですか? 先生がマジカルパワーを発揮したんですか?」


「何言ってるんだ君は!」

「当たらずとも遠からずね!」


 どっちだよ。


「どういうこと?」

「椎名教授は魔石をポケットに入れてたのよ」


「はぁ?」


 どうも、魔石の分析の最中に学生実験に駆り出されて付き合っていたようだ。いや、試料を持ってうろうろしちゃダメでしょう!


「いや、しっかり封止した魔石だよ、もちろん!」


 さすがに教授も不味かったと思ったようだ。でも、そのため見つけた現象でもある。


 怪訝な顔の俺を見て、にっと笑う氷室助教授。


「ねぇ、あの魔石って、なんだと思う?」


 なぜか氷室助教授が謎をかけて来た。


「ええと、発電機構を持ってる……」

「持ってる?」

「超電導神経回路……でしたっけ?」

「そう。超電導神経回路。それってなんだと思う?」


「えっ? 神経回路と言ったら」

「言ったら?」


「まさか?」

「ふふ。気が付いた?」

「脳ですか?」


 思わずありえないことに思いついてしまった。

 でも生きてないよな?


「生きてるんですか?」

「それは、スマホが生きてるかって聞くのと同じよね」


「えええっ? それってコンピューターだってことですか?」


「君、意外と鋭いね」


 意外ですみません。先生のゼミ出身です。


「でも、何のためにそんなものが?」


「そこよ。普通は気づかないかもね。特に物理専攻じゃ」

「そうなんですか?」


 そう言って氷室助教授は含み笑いをした。


「いや、もう教えてくれていもいいじゃないか!」


 椎名教授も聞いてないようだ。


「いい? 生物の脳組織はすべからく、未来を探すためにあるの!」


 氷室教授は良く分からないことをドヤ顔で宣言した。


「どういうことです?」

「まったく、しょうがないわね!」


 氷室助教授は、笑いながら続けた。


「人間の脳も普通の動物の脳も皆、未来を予測するためにあるの。動物によって予測する期間はそれぞれだけどね。その予測に基づいて行動を決定する」


 ああ、なるほど。言われてみればそうかも。


「その予測する時間が高等生物になるにしたがって長くなる。なるべく先の未来を正しく予測するためにね。それが有利に働くから。当然脳は肥大化した。これが進化」


 俺たちは、そのまま氷室助教授の説明を聞いた。


「つまり、必ず進化はこの方向なの。魔物であろうが何だろうが、脳組織である以上、目的は未来を知るため。より長く、より正確に」


「ということは?」


 氷室助教授はみんなが一拍置いて続けた。


「シミュレーターでしょうね。動物の脳の速度は遅いので、高速に演算するユニットを別に作ったんだと思う」


 コプロセッサってことか!


「それって、気候変動のシミュレーターのように使うんですか?」

「そう、自分の周りの世界を正確にシミュレーションして行動を決めていると思う」


 俺たちも、スーパーコンピューターを使った天気予報で行動を変えているからな。ってことは、魔物は体内にスパコンを作ったのか!


「なるほど。でも、それが確率の実験とどう関係するんでしょう?」


「そこよ。もし、正確に未来が予測できるとしたら、人間の行動はどうなるかしら?」


「えっ?」

「未来を知っていたら、当然変化するわよね?」

「ええ、まぁ。そうかもしれません」

「針が左にずれてると分かったら修正するでしょ?」

「えっ? それを学生が無意識にやったと?」


「そこの原理は分からない。どうやって学生が動いたのかも。でも、現象としては同じことが起こっているのよ」


 氷室助教授は魔石が学生の行動を修正したと考えているらしい。

 あれ?


「そういえば、魔石を持ってる人は魔動機関砲の命中率が異常に高かったな」


「それよ!」

「それは本当かね君」


 椎名教授もびっくりしている。


「それは、確実です。俺が作った照準器があってもなくても命中率が同じく高かったんです」


 乙羽が俺の意見を補強した。


「ほう」

「決まりね。あの魔石は、未来を変えてる!」


「「「「ええええええ~~~~~~~っ」」」」


「ど、どうやって?」


 椎名教授は思わず詰め寄った。


「だから、知らないわよ原理なんて。そもそも、超電導神経回路そのものも解明できてないんだから」


「ただ、『命中させたい』と願った未来になっているのよ。いえ、もしかすると選んでいると言うべきかもね?」


「選んでいる?」


 思わず聞き直してしまった。


「シュレーディンガーの猫って知ってるでしょ?」


「ああ、箱の中の猫が生きているか死んでるか分からない状態の思考実験ですね」


「そう、それの多世界解釈ってわかる?」


「えっと、いろんな可能性の世界が同時に存在するという?」

「そう。つまり、電子雲のように猫がどうなっているかの確率分布があるのよ」


「ああ、ポワソン分布のように?」

「そう。で、あの魔石はそれを箱を開けずに決めてしまえるものなのよ」


 なんだって~っ!

 未来を変える? 自分の希望するように?


 それで、針は中心にしか落ちなかったんだ!

 マジかよ。やっと分かったよ。


「つまり、本来なら沢山ある可能性を1つにしてしまう訳ですね?」

「そうね。正確に1つかどうかは分からないけど、希望する答えに向かって集束させる効果があるのは確かね」


「集束させるんですか!」

「未来を集束させる効果ね」


「猫が生きてほしいなら」

「猫は生きてるわね。何度やっても」


「それって、最強じゃないですか!」


 ポーカーで毎回ロイヤルストレートフラッシュが出せる!


「しっ、大声出さないで。これが本当なら、大変な話よ」


 それはそうですね。


「はい。確かに」

「うん、大変な話だな」

「大変よね」

「大変すぎるだろう!」


 研究室には一気に緊張が走った。

 最近のこの研究室、極秘事項の塊なんだけど? まぁ、今更だが。


 ともかく、大変な研究がスタートすることになった。

 っていうか、研究していいんだろうか?

 いや、研究して答えが出るんだろうか?

 ちょっと目が眩みそうだ。

 いろんな意味で。


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