運営直前準備
「はぁ~、今日も疲れた」
「お疲れ様」
座りながら労いの言葉をかけてくる玲奈を横目で見つつ、俺はダンジョンにある我が家に入るや否や、すぐにベッドに座り込んだ。
ここに戻ってから一か月。
ダンジョンの名は『惑わしの魔宮』となり、冒険者ギルドもそれを受理したことで、この場所が正式にダンジョンとして認められた。
そしてイネアたち奴隷の働きもあり、都市と呼ぶには足りないが、初期段階の開拓地と名乗ることができるほどには迷宮都市の建築も進んでいる。まあ、それがいつ完成するのかの見通しはつかないが。
ダンジョンも徐々に深くなっており、安住の地には着々と近づいているといってもいい。
また留守の間やここ一か月の間に、玲奈が魔物の訓練やエクスペリエンス・スライムの育成を行ってくれたおかげで、俺たちのレベルも上がり、またダンジョン内の魔物の平均レベルも上がった。
それ以外にも玲奈は、ダンジョンの構造にも意見を出してくれたり、あまりこの場所にこれない俺に代わってダンジョンの雑事をやってくれたりと、本当に頭が上がらない。今となっては俺が気兼ねなく話せる唯一の人間でもあるし、本当に一緒に来てくれてよかった。
「ありがとな」
「どうしたの? 急に」
「別に」
変なの、と玲奈は呟き、手元にある珈琲に口をつける。先ほど入れたばかりなのか、まだ湯気が立つそれを見ていると、玲奈はこちらに顔を向ける。
「雷も飲む?」
「うん、頼むわ」
俺がそう答えると玲奈は席を立ち、キッチンへと向かう。数年前の俺が見たら、あり得ないと結論付けるだろうこの光景を見ると、人生は何が起きるか分からないと思わせられる。
だが、それは決して自分たちに都合の良い側面にしか作用しないというわけではない。
謎の男の襲撃から時間がたつが、あれから俺たちに忍び寄る不穏な動きは確認されていない。しかしそのことが、逆に嵐の前の静けさを連想させる。
その他にも、Aランクを超えるような強者がパーティを組んでこのダンジョンの攻略を始められたならば、今の俺たちでは窮地に立たされることになるだろう。このダンジョンには地力がない。一刻も早いダンジョンの繁栄が望まれる。
そのためにも、Cランク以下の壁を超えていないような者たち多数攻略に参加し、それでいてBランク以上の強者たちが一切来ないようなダンジョンにすることが望ましい。
だが、そんな簡単に事態は進まないだろうなぁ、と思う。意外とこの場所は、いつ崩れてもおかしくない絶妙なバランスの上に成り立っているのだ。
「お待たせ」
「ありがと」
しかし、玲奈と過ごすこの場所での時間は、俺が今まで渇望してきたことそのものなのだ。そう簡単に失わせなんかしない。
緩んでいた顔を引き締め、俺はベッドから腰を上げた。
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「あ~、楽しみだなぁ~」
冒険者ギルドの職員の手によって建てられた、ギルドの仮設テントの中で、ミュディガは熱に浮かされたような表情を浮かべる。
その理由は、近々大きな戦いが来ると、己の直感が言っているからだ。そしてミュディガの中でそういう予感が外れたことは、今までに一度もない。
「きっと相手は~、暗殺者ギルドの相手かなぁ~? 誰が出てくるのかなぁ~? 楽しみだなぁ~?」
依頼者の正体に、ミュディガは興味を持たない。
そもそも、ミュディガに恨みを持つ者は多い。知りたいならば刺客を捕らえて拷問するしかないのだが、仮にも元Aランク冒険者に自分に放たれる暗殺者である。前日の黒マントのように、捕らえたとしても自殺し、情報など残さないだろう。
ミュディガが興味を持つのは、一体誰が自分を殺しに来るのか。常にギリギリの戦いを渇望するミュディガにとって、戦う相手の強さというのはとても重要だ。
だがその点では、あまり心配していない。
Bランクのスミギナと互角の戦いを繰り広げるような人物が偵察ということは、向こうは決してこちらを甘く見ていないということ。きっと、己を殺す算段をたててくるはずだ。
あれから一か月。
もう、いつ来てもおかしくない。もしかしたら、今この瞬間に来るかもしない。その緊張感がある空気が、ミュディガはたまらなく好きだ。
「早く~、来ないかなぁ~」
決戦の時は、もうそこまで来ている。
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薄暗い洞穴の中、頼りない松明の明かりだけが中の様子を照らし出す。
そこには木造りの机といくつかの椅子、そして一人の暗殺者が眠るハンモックのみがあり、おおよそ生活感を感じることのできない場所だ。
「これで、大体の情報は出揃ったはずだぜ」
「そうか、ご苦労だったな、ジャクソン」
ジャクソンに渡された資料を見て、『冷徹鬼』の異名を持つ暗殺者、べラルドは労いの言葉をかける。
そこに記されている内容は、主に今回の標的である、ミュディガに対する情報だ。ジャクソンは《マインド・コントロールⅣ》を使い、勘が鋭いミュディガに感づかれることなく、ミュディガに関する情報を集めていた。
そしてその結果、ミュディガの趣味嗜好や生活サイクルを始めとした、一か月で調べ上げたとは思えないほどの情報がそこにある。
またその他にも、この迷宮都市領主代行権を持ったオブザについてや、その奴隷であるスミギナについてのこともあり、ジャクソンの情報収集能力の高さが窺えた。
「それで? 計画は順調かい?」
「ああ。ミュディガ・ジークリンス、そしてその周辺戦力は大体把握した。ケイトを亡くしたのは痛手だったが、これ以上の犠牲を出すことはないだろう」
「へぇ。そこまでの自信があるのか」
「ああ。お前の得た情報が正しければ、ミュディガは必ずこの計画に乗ってくる」
「ほーん。ま、リーダーがそう言うなら俺たちはそれを信じるまでさ」
ジャクソンの受け応えは軽い。
それは己の力に自信を持っているといったものではなく、べラルドがそこまで言うのならば失敗するわけがないという、信頼に基づくものだった。
しかしべラルドには、この計画に対する一つの不安要素があった。
それは、ダンジョンの妨害。
発見されたばかりの未知のダンジョンで、ミュディガ・ジークリンスを殺す。それがべラルドの計画だ。ダンジョンという場所は暗殺を行うにはとても都合がよく、過去にべラルド自身何度もダンジョンで殺しを成功させている。
だが、今回ばかりはダンジョンが発見されたばかりで、不確定要素が多い。基本的には魔物による妨害が入ったとしても大丈夫だが、何か計画を破綻させるようなイレギュラーが起こらないとも限らない。
それでも、地上で行うことに比べたらダンジョンで行う方が、遥かに利点は大きかった。
できれば、もう少しダンジョンの調査を進めたいが、ギルドマスターであるレイシクルから、なるべく速やかに行うようにと言いつけられている。これ以上、準備に時間を割くことはできない。
「ジャクソン、お前の魔法でメリースとナーガにここへ戻るよう伝えろ。全員が集まり次第、計画を伝える」
「りょーかい」
この判断が後に、世界を揺るがす大きな事件に繋がることになるとは、まだ誰も知らなかった。




