Part.6 本心
「アッハハハハ!! マジかよマジかヨォ!? こんなところで"一竿風月"のライラプス様に出会うなんてヨォ!!」
「いっかんふうげつ? ライラプス? なんだそれは?」
二つ名と思しき名称に加え、聞き慣れない単語に一樹は首を傾げる。ケパロスはやれやれと首を振った。
『我の本名だ……未だにその名前で通るとは複雑だな』
複雑、と言う割には懐古の情に喜んでいるようにケパロスの顔は見える。記憶を失って以来の長い付き合いだが、一樹もケパロスの過去を聞いたことはない。散々してくる自慢話からは彼がただならぬ身分だったことが伺えたものの、全部が全部胡散臭かったため話半分に聞いていたが……どうやら、二つ名を持つ余程の身分ではあったらしい。
「お噂はカネガネ伺ってるゼェ? 叛逆者ドノォ?」
『お前もそうであろう、"狂乱索餌"。昔話などどうでも良い。さっさとかかってこんか坊主!』
「アァ。烏飼一樹を仕留めてからナァ!」
気になる一言を挟んで来たのもつかの間。ムラサメの目標は未だ一樹にあったみたいだ。会話の最中に再生させておいた野太刀を一樹に向け、ムラサメは刃を殺到させる。不意打ち気味の攻撃で為す術もない。呆然と刃の雨を見るしかなかった一樹だが、
パチン!
指を鳴らした音と共にものすごい勢いで体が吹き飛ばされる。吹き付けてきた暴風が一樹の体だけを飛ばしたのだ。吹き飛ばされながら元いた場所を見てみれば、敷き詰められるように無数の刃が突き刺さっていた。
『つれないことを言うな、我と遊べ!!』
暴風に遮られながらも、高らかに叫ぶケパロスの声が聞こえてくる。
――あの犬ころ、後で色々聞かせてもらうからな?
吹き飛んでいる中、一樹の背中に柔らかな風が吹き付ける。吹き飛ばされる勢いを減速しながら一樹は地面に投げ出された。暴風によって濡れた髪の毛は逆立ち、決して良い気分とは言えない。ケパロスの得意げな顔に一樹は忌々しげに呟いた。
「クソ野郎が……」
しかし、一樹の口元は笑っている。
ケパロスの実力は知っていたつもりである。その師匠が、自分の知らない姿を取りながら戦うのだ。まだ見ぬ師匠の実力に胸が高鳴るのは仕方がないことであろう。ムラサメの戦法を見極める良い機会にもなる。冷静な分析者として、興奮した観客として一樹は身を乗り出して、ケパロスの元まで走り寄ったムラサメが刃を振りかざす所を見る。
「ウォラァ!?」
『おっとっと?』
標的を一樹からケパロスへと変えたムラサメは、しかし無邪気な笑顔は変わらない。力任せだが正確な狙いで喉元へと一閃を放つ。武器を出して受け止めるのではなく、ケパロスは体を後ろに倒すことでそれを回避した。
ムラサメは間髪入れずに叫ぶ。
「"地雨"ェエエ!」
振るった軌道から飛び出すかのように、カッターほどの刃が何本もケパロスの喉元へと殺到したのだ。サンゴの魔術、"軌槍"によく似た攻撃で、刀と刃の二重攻撃は幾重もの牙を持つサメを連想させる。
――鍔迫り合いがヤバイとも思ってたが、振るった軌道から刃も出せるとは……受けても避けてもダメっつーことかよ。
これをケパロスはどう対処するのか?
体を後ろに倒したままのケパロスは、爪が伸びきった人差し指をピッと横一線に振るう。先からしているようにそれがケパロスにとって風を操る基準となるのだろう。刃を飛ばす風が吹き込んだのだ。横殴りに起きた小さな突風は刃の軌道を反らし、ケパロスの首筋を通過する。下手をすれば頸動脈を切られかねないきわどい位置を通過しながらも、ケパロスの涼しげな微笑は変わらない。最低限の魔力で攻撃を避けるその姿に一樹は舌を巻く。
が、ケパロスの行動はそれだけではなかった。
『雲を飛ばすのは、やはり風よなぁ?』
顔の目の前でくるくると指を回す。その指の動きと同様、先の風は渦巻いていく。円盤上に回転し続けた風は鋭い刃へと変わっていき、ケパロスはふぅとそれを吹き飛ばす。
「アァン!?」
吐息で飛んだとは思えぬ早さでチャクラム状の風はムラサメの眉間へと向かう。当たる瞬間ムラサメは首を傾けてやり過ごし、傾いた体幹をムラサメはそのまま攻撃に利用。右手の鞘を振り上げ、一息にケパロスを殴りつけたのだ。
『昔遊んでやった時と比べると痛む……我も老いたな』
バシンという強い音を響かせながら、ケパロスは鞘を左腕で押さえつける。防御したにも関わらず、骨が数本折れたのではないかと思う鈍い音が鳴り響いたが、ケパロスの口元に見える余裕の笑みは変わらない。
そこで一樹は気付く。左手に握った野太刀を、ケパロスの死角からムラサメは突き付けているではないか。ムラサメは牙を誇示する獣の如き、獰猛な笑顔を見せる。
「己が強くなってンだヨォ。素直に認めやがレェ!」
ケパロスは気付いているそぶりがない。野太刀が形を崩し、小さな刃へと姿を変えていき、散弾銃のようにケパロスに飛びかかる。
思わず、一樹は声を張り上げた。
「危ない、ケパ――はっ?」
声をかける主は、気付いたらいなかった。飛びかかる行方を見失った刃だけが音を立てながら地面に突き刺さっていくだけである。
いつ吹き付けるか読めない風のように、ケパロスの姿はどこかへ消え去った。どこに行ったのか、一樹もケパロスも辺りを見渡す。ムラサメのギラついた目がこちらを向き、刃を一直線に飛ばしてきた。急に自分を? と思った一樹だが、
『ぬかせ、若造!』
不意に背後から聞こえた声と共に、後ろから風が吹き付ける。"五月雨"をたたき落としていき、ムラサメが悔しさに歯噛みする様子が見られる。振り返れば、そこには左腕をぶらりと下げたケパロスの姿があった。
「いつの間に……?」
『アイツとの鍔迫り合いはヤバイからな。直後に逃げさせてもらった』
答えているようで答えになっていないコトを口走る。
次の瞬間、ごうっ、と鈍い音が吹き付ける。目の前にいたケパロスはまたも消え、振り返ってみれば、
『我に近づくなど10年早い!……が、年寄りはそろそろ帰らせてもらうぞ!』
ケパロスはムラサメの顔を掴みかからんとする勢いで右腕を伸ばしていた。顔と手のひらの間には犬の肉球を象った風の塊が見える。
『"おあずけ"』
その肉球は凝縮したかと思えば、一瞬の内に炸裂。水風船のように不意に炸裂した肉球は、離れている一樹の元にすら風を強く吹き付ける。
「ぐぉおおっ!?」
眼前でそれを食らったムラサメは勢いよく体をのけぞらせた。無事で済むはずがない一撃だが、しかし彼の体には思っている以上にダメージがない。ケパロスはどうするんだと思っていると、襟首の辺りに強い拘束感が訪れる。
『逃げるか』
「はぁ!? 今がチャンスだろ!?」
『黙れ、舌噛むぞ!!』
ケパロスとの問答もつかの間、台風を思わせる強い風が吹き付けて思わず一樹は目を閉じた。
***
強風が四方八方から吹き付けられ、耳に響くのは暴風が吹き付ける強い音だけ。目を明けることもできない激しい風に包まれていたが、首元を引っ張られていることだけは分かる。
いつまで続くのだろうか、そう思っていると不意に風は止み、腰を打ち付ける感触に思わず声を上げてしまう。
「痛ぇ!」
『ふむ、ここなら大丈夫だろう』
「ここ、だと……?」
痛む腰を押さえながら一樹は周りを見渡す。どの方向を見てもさび付いたフェンスが張り巡らされていて、そのフェンス越しにはビルの頂上が立ち並んでいる。日浪市で一番高く町の中央に佇立している日浪タワーも、ここから見ると小さく感じてしまう。驚いて地面を見てみればそこにはアスファルトや砂ではなく、薄汚れたコンクリートが広がっていた。この場に一樹は立ち入った覚えなどない。が、周囲の景色には見覚えがある。確認も含めてケパロスに一樹は問いかける。
「どこだ?」
『物好きにもお前がよくいる所だよ。我は通った事などないが、そんなに楽しいのか?』
「別に好きではねぇよ。そうか、学校か……」
案の定、一樹が通う高校の屋上だった。普段は閉鎖されているため立ち入ったことはない。なにかの機会で入ってみたいと思ってはいた物の、まさかこんな入り方をすることになるとは思っていなかった。
『ここならすぐには追って来まい』
「なら安心だ……」
ムラサメと向かい合った場所からこの学校まで病院を挟んで反対側と言っても良いぐらいに距離は離れている。魔術を用いた移動ができれば話は別だが、通常の方法でムラサメが追ってくるのは不可能であろう。頭では分かっていながらも、体の震えはまだ止まらない。いつぞやの音和など比べものにならないほどの殺気と迫力を見せながら向かってくるムラサメの姿が頭に貼り付いているのだ。
不意に扉がギィッと音を立てる。
「うおおっ!?」
反射的に立ち上がり、"風月"を構えながらも恐れの声を上げてしまった。ケパロスの声が一樹を宥めてくる。
『落ち着け、ただの風だ』
「あっ、あぁ……ビックリした」
荒くなった息を整えながらも、強い恐怖に心臓は中々鳴り止まない。今にでも、そこの扉を開けて襲いかかってくるのではないかと一樹はじっと扉を眺めていた。驚くほどムラサメの殺気に当てられていた自分に、ふと音和を前に怯えきっていたサンゴの事を思い返す。音和の事を説明し、サンゴに同情して言った言葉に対してサンゴが言っていた、聞き取れなかったあの言葉が今なら分かる。生半可な同情などでは決して味わえない真の恐怖を、分かった気で言っていてはそれは不満も出るだろう。ようやく鼓動が収まってきた……フェンスから外を眺めるケパロスの横に腰掛ける。
「強いな、アイツ」
『強いぞ。単純な膂力だけで言えば当代の魔王随一、歴代の魔王で見ても屈指の実力者と言っても過言ではあるまいて。拘束期間、魔力量の薄い人間道という要因もあって、全盛期のヤツと比べれば魔力も落ちているだろうが、それでも今のお前では勝てんだろうな』
「んなこた分かってる。俺でも見た目だけでヤベェって分かったぜ?」
『アイツの殺気は分かりやすいからな』
クックックと笑うケパロス。ヒトの姿を取っているのは一樹も初めて見るが、それでも不思議と彼の雰囲気はイヌの頃と大きく変わっていない。正確には、イヌの頃から尋常ならざる威圧感を放っていたからなのであろうが、それでも一樹は特に気構えることなく話す事ができるのだ。
『まさに獣の如き強さと迫力を持った男よ。あいつの前では大抵の魔物は文字通り尻尾撒いて逃げ出す。そう、我レベルの魔獣でなければ……』
「待った、1つ聞きたいがお前は魔物で良いのか?」
『構ワンが、魔物という言い方はやや差別的なニュアンスを含んでいるから気をつけろよ?』
「そうなのか? そりゃ失敬」
恐らく魔"物"という響きがマイナスに働いているのであろう。特にケパロスは気にした様子もなく自分の姿を指さして言葉をつなげる。
『これは"人化の術"と言ってな、ヒトと戦闘を繰り広げる際、時としてヒトの姿を取っている方が有利に働くこともある。それ故に編み出された魔獣のための術だ』
「ほう……つーこた、魔力を常に使ってる状態ってわけか?」
『その通り。故に、そろそろ戻らせてもらうぞ。まぁ、こっちの姿はこっちの姿で我は好きなのだがな。具体的には魔人のメスと体を――』
「良いから戻りやがれ」
そんなことだろうと思っていた一樹は間髪入れずにケパロスに突っ込みを入れる。ケパロスはガハハと笑いながらイヌの姿に戻っていった。可愛らしい子犬の姿に戻ったケパロスを見て、自分も体を休めるか……そう思って一樹は屋根のあるところまで行ってあぐらをかいた。ケパロスもとことこと犬の姿で歩いてきて、自分の足の所に乗ってきた。
『で、お前はこれからどうするんだ?』
「さしあたっては、七曜との合流かねぇ……ケンカしちまったよ。どう謝ろうかねぇ?」
『どう謝る、だと?』
「あぁ。時間が惜しい今なんだ、感情的にさせないよう端的に終わらせたい」
ケパロスはなるほど、と短く肯定する。その姿は、どこか溜息をついている姿に見えて……
『ガブッ!』
「痛ってぇ!!」
直後、ケパロスは勢いよく一樹の手を噛みつける。顎にかけられた力は甘噛みなどでは断じてない。噛みちぎられかねない本気の噛みつきに、一樹は無我夢中に手を振り続ける。乱雑に振り払い飛ばされたケパロスは猫のように綺麗な着地を見せながら、一樹の方をじっと見ている。噛みつかれ、血が垂れている左手を振りながら、涙混じりにケパロスを睨み付ける。
「何しやがるっ!?」
『ふん、まだあったみたいで安心したぞ』
「はぁ!? あっただと!?」
なにを言っているのか分からない。声を荒げながら強く睨む一樹にケパロスはこくり、と頷いた。
『ヒトとしての心だ。今、我に噛まれて文句を言うまでにどうやって言おうかとか考えたか?』
「今のは反射的だから考えるもクソも……」
『そうだろう。お前に足りないのはそこだ』
足りないもの……? 疑問符を浮かべている一樹に、ケパロスは今度は間違いなく溜息を漏らした。
『今、考えていたのはどうやって誠意を見せようかと言うことよりも、どうすれば短い時間で謝れるか、と言う事ではないのか?』
「っっ!!」
手の傷を忘れるぐらいにハッとしてしまう。実際に自分の心を見透かしていたケパロスに、一樹は声が出せなかった。
『くだらん。短い時間で到達した事実が正解とは必ずしも限らないんだぞ。その結果今お前はどうなっているんだ?』
「……」
つい先日まで隣で笑い合っていたサンゴと七曜の顔が思い浮かぶ。
その幸せな顔が、怒りに染まり自分と決別した時へと書き換えられていく。
書き換えたのは、他でもない自分なのに……何故だろうか、自分が引き起こした事なのに、その事実が一樹にはとても悲しく写っている。
『考え抜き、合理的に行動することは決して間違った事ではない。だが、人の心は必ずしも合理的な物ではない事をそろそろ学べ』
「…………」
『七曜やサンゴとぶつかったとき、お前はなんて言われたんだ? そこに立ち返らない限り、二の轍を踏むだけだ』
――「感情を剥き出しにして、それに任せるって事を考えた方がいいんじゃないかしら!? その方がずっと人間っぽいわよ!!」
―― 「見損なったぞ!! どうして君はいつもいつでも自分の事だけを考えているんだ!?」
――「こうやって怒ってるのに、それをただ受け流すことだけを考えている……? 自分の事を適当にあしらわれてると知れば、そう言う態度はなおさら腹が立つのよっ!!」
――「目標に対する執着心……僕は好きだった。だけど、そこまで自分のことしか考えてないヤツだったなんてね。今は心から軽蔑してるよ」
彼らから言われたことが、次から次へと脳内に響き渡る。
「感情……自分の事……」
彼らと向き合っていた時の自分を思い返す。
自分の思いをまっすぐぶつけてきた彼らを、自分はどう思って受け止めていたのか……ただ、向かい合うのが面倒くさい、そう思ってただ打算的に行動しようと努めて考えようとした。
内心では、彼らに対する自分の思いも間違いなくあった筈なのに、
それをねじ曲げて早く終わらせようと思って言葉を選んでいたのだ。
『打算的に行動することに慣れているお前だからこそ、無駄だと思う道を踏むことを嫌うのも無理はない。それはそれで賢い生き方だ』
ケパロスの言葉もまた一樹に突き刺さってくる。
『だが、お前は本当にそんな生き方が良いのか? 一人きりになろうとも、無駄ならば仲間をすべて切り捨てて生きていく。そんな生き方を望むのか?』
「嫌だ!」
拳を握り締め、アスファルトの床を叩きながら吐き出した。
考えるまでもない即答は、雨音をかき消す大きな声で、強く否定していたのだ。
「嫌だから、今辛いんだろうが……」
殴りつけた拳が痛む。握り締めた拳が震える。
握った拳は自分の心臓と同じぐらいの大きさだと言う話が、ふと一樹の脳裏を過ぎり……これが、紛れもない自分の思いなのだと改めて気付かせてくれる。
『その辛さを忘れるな』
ケパロスが一瞬笑う。年季を詰んだその微笑みは、自分の思いが可愛い孫に向けて真っ直ぐ届いた事に満足する老人のように柔らかくて暖かい物だった。
『それがお前の本心であり、打算や合理性でどうにか出来るものでもなければ、どうにかして良い所でもない』
あれこれと考えるよりも先に、まるで心の底から望んでいるからこそ出てきた……素直な、言葉だった。
『時には自分の心に素直になってみろ……そうしなければ、人と共に生きることなど出来んぞ』
――人と、共に生きる……か。
ムラサメから言われた獣という言葉がケパロスの言葉と重なり、一樹の心にのし掛かる。
「心、か……言わなきゃ、分かんないことってのもあるよな」
『どうした、急に?』
「いや……思い返してたんだがよ、俺は打算的な道を求めるばっかりにサンゴや七曜の思い込みを利用してたな、って思ってさ」
感情を出さない自分に対して怒ったサンゴに対して、あくまで感情を表に出さないことを選んだ。
記憶を取り戻す事しか考えてないと言われた七曜には……今の、自分の思惑をまったく話さないことを選んだ。
どっちも、自分の思いを引っ込めてでも彼らとの"無駄な"諍いを終わらせたいとしか思っていなかったのだ。打算的だと自分の心に嘘をついて、手っ取り早く済む道を求めていたのだ。
「素直に言ってたら、また違ったのかな……怒ってることを、表に出したら違ったのかな?」
『かもしれんな……だが、一度起きた事は取り返しが付かない。お前が口を酸っぱくして言い続けるその言葉の意味が、少しは身に染みたか?』
「あぁ……だけどさ、ケパロスよ。一つ聞いて欲しい」
――『……"君"は私の中で生き続けてくれればいい……"お前"は、別にそのままで良いさ』
彼らの顔が浮かんでくると同時に……一樹が打算的だと選んだ行動で豹変した彼女の顔が浮かんできたのだ。
彼女から言われて、どこか心の中で引っかかっていたことをケパロスに吐き出した。
「……記憶のない俺がそんなこと言っても、所詮は上っ面の面なんじゃねぇかって俺は思うんだ」
『上っ面、とな?』
一樹の頭の中にあるのは昨日、サンゴとケンカ別れする切っ掛けともなったある少女との出会いのこと……あの時もまた、自分は打算的に嘘を繰り返し続けていた。それを見抜かれて、彼女は自分に対する態度を改めていた。
あの変化がショックで……何より、自分がやはり過去の自分とは違うのだと言うことを思い知らされてしまったのだ。彼女との僅かながらの会話も、もしかしたらこの悲劇を引き起こす要因だったのかもしれない。
「あぁ、上っ面だ。所詮今の俺は過去のない空っぽなヤツなんじゃないかって思うんだよ」
『ふん……何を変なことを言っている?』
「変なことだと? 下地のない俺なんか所詮、うわべだけの人間だろ!?」
一蹴してきたケパロスに素直に怒りが沸いて、声を荒げてしまう。その様子を、ケパロスは泰然と答えを返したのだ。
『なら聞くが、お前はアイツらと対等な付き合いができてないとでも思っているのか?』
「いや、そんなことは……」
――「なんて言いますか、平和な生活って言うのは、そう言う当たり前なことを一切考えなくても良い生活のこと、なんでしょうね」
昨日、火蓮と交わした何気ない言葉が一樹の頭の中に響く。
当たり前だったのだ。
七曜や、サンゴを始めとした自分を取り巻く色んな人達と一緒にいてバカ騒ぎをしながら生きていく毎日が。
そんな生き方が一樹は当たり前だと思っていたし、失ったからこそ分かる。確かに幸せの中に自分はいたのだ。
それは何故か?
「そんなことは、なかった。記憶がなくたって、どいつもこいつも俺のことを……今の俺を、しっかりと見てくれていた」
記憶があろうとなかろうと……彼らは、間違いなく自分を見て、認めてくれて自分と接してくれたからだった。
そんな人達と共に生きる生活だからこそ、一樹は記憶を早く取り戻してもっと深く自分を見てもらおうと思っていたのだ。
『ならばよかろう? 今お前が思っている心とて、それは間違いなくお前自身だ』
ケパロスはそう言いながら、あぐらをかいている一樹の足の上に座る。
「俺自身……か」
『せいぜい悩め若者! 作戦は経験豊富な年寄りに任せておけ』
「頼むわ……って、お前、いくつなんだよ? 別に言うほど年じゃないんじゃねぇのか?」
『"人化"の見た目はある程度自由に変えられる。参考にならんぞ!』
「吠えてろ駄犬」
雨に濡れきった肌寒さが一樹の身を襲う。それでも、自分の足の上でガハハと笑い続けるケパロスを撫でつけるその手の感覚は、ほんのりと暖かかった。




