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名もなき物語  作者: 白カギ
《解決の物語》
66/85

Part.5 雲泥

 その獣は、ただ笑っている。

 鋭い犬歯を見せつけ、瞳を爛々と輝かせるその姿はちゃんばら遊びに戯れる子どもその物だった。


 無邪気な鞘は、一樹の喉元を正確に狙って振り払われる。

 子どものように、一切の遠慮なくありったけの力を込めて。


 ただし、振りかざされた力は子どものそれでは断じてない。振り払われた鞘を自信の"風月"で押さえ込んだ一樹はあまりの衝撃に目を見開いた。


「くっ!?」

 ――なんだ、このバカみたいな力はっ!?


 刀にのし掛かる衝撃を抑えるだけで手が痺れる。普段は片手で扱っている日本刀"風月"を最初から両手で扱っている。サンゴから以前聞いていたムラサメの武勇……一樹にとってはピンと来ないが、魔界の頂点に位置する"魔統帥"とやり合ったという経歴を聞けば、その膂力は推して測ることができる。下手に片手で刀を扱おう物なら、自分の腕ごと吹っ飛ばされるのではないかと思ってのことだった。その読みは半分当たっていた。


 当たっていたのは片腕ならば吹き飛ばされていたであろうと言うこと。

 外れていたのは両腕でもなお吹き飛ばされかねないと言うこと。


「どうしたどうしたァ、本気出して良いんだゼェ!?」


 方やムラサメは野太刀を収めたまま、はしゃぐように声を張り上げる。居合い切りでもしてくるのかと思ったが、刀を抜くそぶりなど見せずに鞘を振りかざすだけ。殴られれば致命傷を負うことには変わらないが、刀を抜かないと言うのは自分に対して手加減をしているように見えてならない。


「望むんなら、やってやるよぉおっ!!」

 ――逃げるためにはどうすれば良いか……まずは、ムラサメの隙を突かなきゃならねぇ……


 "風月"を"重く"し、鞘を無理矢理押し切り、そのまま"風月"に魔力を込める。実戦経験は乏しいとは言え、毎晩のように修業を繰り返している身なのだ。最近ではサンゴにも稽古をつけてもらっていたこともあり、ヴァンと闘った時と比べてもその力は増している。押し出されたムラサメの歩幅に合わせて踏み込みながら、一樹は刀の表面に"風刃"の刃を纏わせ、そのまま振るう。


「うぐぉ!?」


 刀身に合わせて腹を引っ込めたムラサメだが、"風刃"による上乗せされたリーチまでは追いつかなかったらしい。風で作られた刃を腹に喰らい、痛みの声と共に僅かながらも隙を見せる。


 ――この隙に、叩き込むっ!

 一閃した刃を返し、そのまま逆袈裟斬りの要領で振り上げる。刀に付いたままだった"風刃"をムラサメに放つのが目的だったのだ。刀から離れた"風刃"は下方からムラサメの喉元へと突き進む。喉元まであと一息、その瞬間にムラサメは顔を上げ、ぎらつかせた目で"風刃"を捉える。


面白(おもしれ)ェ!」


 届くまで四半秒、そのぐらいの時間であるにも関わらずこのバケモノは反応したのだ。狂喜じみた声と共にムラサメは鞘で"風刃"を叩く。"風刃"は真っ二つに折れ、ムラサメの首の両脇を通り過ぎながら後ろへと吹っ飛んでいった。避けられた事は想定外だったとは言え、仮に当たったところでムラサメを倒せるとは端から思ってなどいない。"風刃"に連なる形で、一樹は既にムラサメの下まで走っていたのだ。


「まだまだぁ!!」


 低い姿勢をとりながらムラサメへと突っ込み、彼のふとももを狙って刀を振り払った。ムラサメの機動力を少しでも下げようと考えている一樹の狙いは、最初から一転して逃げることにある。


 ここまで打ち合ってきただけで分かる。

 とてもじゃないが、このムラサメを前にして自分が敵う要素など皆無である。経験、魔力、膂力、カン、センス……どれを持ち出してもムラサメには及ばない。


 勝てないのであれば、

 負けない戦をするしかない。


 消極的な理由かも知れない。だが、今の一樹が見せる力は自分が持てるありったけの物である。それを見抜いてか否か、ニヤリとムラサメはほくそ笑み、柄に手をかける。


「良い狙いじゃネェかァ!」 


 ムラサメは大きく跳躍する。軽業師のようにヒラリと空を舞いながら、ようやくその刃を抜く。大地に足を付けたと同時に一樹に向けて野太刀を横に一閃させたのだ。気配に合わせて一樹は"風月"で押さえ込む。自らの野太刀ごとへし折らんとする勢いの一振りは、押さえただけの一樹の腕に重くのし掛かり、手が震える。粗暴なイメージとは裏腹によく整備された滑らかさすら感じる刀身はただ見るだけであれば人の心を捉えられる見事な業物に違いない。尤も、今の一樹には自分の首を真っ二つに叩き切るギロチンの刃にしか見えず、鋭い切れ味が伝わってきて血の気が引けてしまう。手が震えたのは、恐怖の表れだった。


 その恐怖が、牙を剥く。


「はァッ!!」


 ムラサメのかけ声が聞こえたかと思うと、不意に一樹の右半身に小さく、鋭い痛みが数段突き刺さる。


「ぐっ!?」


 なにをされたのか分からない。謎の痛みに体勢がずれるが、その瞬間、ある事実に気付く。


 ――刀が……短いっ!?


 ずっと押さえていた長い野太刀が気付けば自分の持つ"風月"と同じほどの長さになっているではないか。


 ――どういうことだ? なぜ刀が――

「よそ見してンじゃネェッッ!!」


 ムラサメの怒号と共に、一樹は頭をぶん殴られる。鞘に殴られた痛みに、頭を押さえる。生暖かい感触が手のひらに広がると共に、ツーッと頭を伝って血が流れてくる気味の悪い感触に背筋が強ばる。怯んだ隙を、ムラサメは見逃さない。


「"五月雨"ェッ!!」


 一樹へと突き付けた刀は、ムラサメのかけ声と共に形を崩す。立体パズルのピースのように、"分解された"日本刀の1つ1つが刃へと姿を変えて行く。


 ――刃を分解させただと!?


 小さな刃は雨のように、一樹に向けて降り注ぐ。

 一瞬の判断で一樹は大地を蹴ってその場を離れるが、縦横無尽に降り注ぐ"雨"を避けられるハズがない。体の至る所に"五月雨"は突き刺さる。狙いを集中させた、言うなれば"ゲリラ豪雨"だったからか、少し体を動かすだけで刺さる刃の数を3割ほどに軽減できたのはまだ救いだった。


 ――痛ぇ!! 致命傷にこそならねぇが、だからこそ体中が痛いっ!


 だからと言って、一樹の受けたダメージが浅いと言うことにはならない。紙で指を切ったとき、たったあれだけの傷にも関わらず指を動かすのが億劫になるように小さな痛みと言えど決して軽い物ではない。それも、突き刺さった刃は正面だけではなかった。先程痛んだ右半身を見てみれば、そこにも細かい刃が突き刺さっているではないか。いつ付けられたのか、先程感じた違和感と先のムラサメの魔術を見て一樹の中で繋がった。


 ――鍔迫り合いの最中ってか!? 触れてるだけで傷つくって、サメかよ!?


 突き刺さった刃を乱雑に払いながら、体勢を立て直す一樹に、怒号が聞こえてくる。


「この程度でなにヒルんでンだヨォ!? 致命傷にはなっちゃいネェはずだゼェ!?」


 左手に握る刃を見る見る内に"再生"させながら歩を進めてくるムラサメは、けしかける言葉を吐いている割にはどこか楽しそうである。自分を楽しませる相手と闘いたいと言っていたが、今の自分にその価値は本当にあるのだろうか?


「あんだよ……俺の実力なんざ、この程度だぜ? 見損なっただろ?」

「アァン? ここまでの攻防だけでもヒカるモン感じてるゼェ?」

「そうか、よぉっ!!」

 ――ダメだ、やるしかねぇ……


 自分を見くびって見逃してもらえないだろうか、そう思ってついた悪態だがどうやら思っているよりもムラサメの評価は高いようだった。頭から流れる血を拭いながら、一樹は大地を蹴り、自分から攻撃をしかける。


「はぁっ!!」

「はんッ!!」


 案の定、"風月"はムラサメの野太刀に遮られる。鍔迫り合いの状況を長く作っていると、また刃を飛ばされかねない。そこで、一樹は、即座に右の足を振り上げる。ムラサメが身を引いて蹴りを避けたのに合わせて、野太刀も引かれる。その隙を狙って一樹は突っ込み……鞘の方へと手を伸ばす。


 ――ありったけ、"重く"するっ!!


 鞘を掴んだ直後、一樹はかけられるだけの魔力をかけ、鞘の重さを"変える"。変わった重さに対処できない隙を突いて一撃を食らわせる。これで逃げる隙が生まれるはずだ、そう思って顔を上げた一樹は絶句する。


「ンなもんくれてやらァッ!!」


 その鞘の先にムラサメの姿などいなかった。

 声は真横から聞こえ――


「ぐおっ!?」


 ムラサメの蹴りが一樹の腹に突き刺さり、一樹は真横に吹き飛ばされる。

 ヴァンと闘った情報がつきぬけであったことからも、が"重さを変える"魔術を使えることを知っていてもなんらおかしくはない。恐らく、自分の狙いに気付いていたのだろう。今の蹴りで、先程払いきれなかった刃が深く突き刺さり、ただの蹴り以上のダメージを一樹に与えている。地面に投げ出された一樹に向けて、ムラサメは一歩ずつ近づく。


「良い動きだったゼェ? ヒヤリとしちまったわ」

「くっ、クソ野郎が……」


 立ち上がらなければ……そう思って手を大地につくが、上手く力が入らない。雨で濡れたコンクリートは一樹の手のひらを滑らせ、再度地面へと転倒させる。そのくせ、後ろから聞こえてくるのはブーツの足音はゆっくりと近づいてくる。


「だが、ここまでみたいだナァ?」

「うぐぉおおっ!!」


 着いた手にムラサメのブーツが突き刺さり悲鳴を上げる。自分を見下ろす形で立ちふさがるムラサメは、刀を頭上に掲げている。


「退屈しのぎにはなったゼェ? でも(おれ)にも"仕事"がアンだヨォ。悪いが、ここまでだな」


 ムラサメの刀が振り下ろされる。首を叩き切られるのかと身構えた一樹だったが、しかし振り下ろされたとき、ムラサメの刀は空を切るだけだった。

 いや、正確には……振り下ろされたとき、そこに刃はなく、ただ柄が握られているだけだったのだ。


「おっと、己じゃなくて上を見ナァ?」

 ――上……っな!?


 ムラサメの言葉に従って頭上を仰ぎ見た瞬間、一樹は目を疑った。


 そこには小さな雲ができていた。小さな、と言っても他の雲と比べて、である。些か以上に低い位置に垂れ込むその雲は、一樹をすっぽりと覆い込むほどの大きさはある。

 今にでも雨が降りそうなその灰色の雲は、しかし一樹を雨から守りながら頭上を漂っている。

 ムラサメの刀の特性を鑑みれば、それが守るためのものだとは考えられない……現に、普通の雲であればゴロゴロと鳴る雷の音がするのが関の山だが……その雲からは、しゃりしゃりと刃同士を擦り合わせるような音が聞こえてくるのだから。聞こえてくる鋭い音が、一樹の体全体の神経を断ち切るかのように聞こえて、これからムラサメが何をやろうとしているのかが分かり尚のこと体が震えてくる。


「喰らって()ねヨォ!! "驟雨(しゅうう)"!!」


 ムラサメのかけ声と共に、その雲は雨を降らせる。

 その雨は、見る見る内に小さな刃へと変わっていき……動くことのできない一樹めげかけて降り注いでくる。空を仰ぐ一樹は、降り注いでくる刃に責めてもの抵抗だと目を閉じた。


 ――無理だ、死ぬ……


 閉じながら、彼は歯を噛みしめる。

 志半ばで散ってしまうと言う事を思い知って、今まで自分が積み上げてきた努力はなんだったのか……心の中で思うことは、強い後悔と……仲間達への未練だった。


 ――こんな別れ方になるなんてな……サンゴ、七曜……すまなかった。


 紛れも混じり気もない、かつての友達への謝罪の言葉だった。


 ――所詮俺なんか、こうやって死んでくのがお似合いなんだろうな……。


 悔恨の思いが胸を締め上げる。

 ……しかし、いつまで経っても胸を貫く音が聞こえないことに目を開ける。

 そこに広がっていたのは、風でできた厚い層だった。


『成長しないな、お前は……』


 ハッとなってムラサメを見てみれば、わなわなと震えている。「オイオイオイオイオイオイオイ、ウソだろウソだろ!?」と呟き続ける顔には怯えの色とはほど遠い、明らかな喜色が浮かんでいる。


『いや、今のは失言だ。少なくとも、ムラサメを目の前にして逃げようと思うだけ成長したと見るべきだろう』


 聞こえてくる声には不思議と覚えがある。

 ただ、その声は普段自分よりも低い場所から聞こえてこなかったからその人物だとは思わなかったのだろうか……スラリとした華奢な肉体に銀色の毛皮を纏う高身長の男がいた。鼻の下には犬のように短い髭を蓄え、上がっている口角からは鋭い牙が覗き見える。ほとんど人と言って差し支えない姿だが、どこか犬っぽい印象を与えるその男に、一樹は思いついた名前を口から漏らす。


「ケパ、ロス……?」

『イヌにも』


 一瞬何を言っているのか分からなかったが……しかし、この訳のわからなさこそ、烏飼家の犬にして師であるケパロスに違いないと一樹は思った。

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