第87話 二人の器
二月。バレンタインデーの二日前。
鈴音が——チョコレートを作ろうとしていた。
壁越し——ではなく、目の前の台所で。
「……みなとさん。チョコの湯煎は何度ですか」
「五十度前後。沸騰させるな。水が入ったら終わりだ」
「……五十度。……温度計は——」
「ない。手で感じろ。ボウルの底を触って熱すぎなければ大丈夫だ」
鈴音は——真剣な顔でチョコレートを溶かしていた。
結果。溶けたチョコレートが——水が一滴入ったせいで、分離した。
「……失敗しました」
「チョコの湯煎は難しい。水分が入ると脂肪が分離する」
「……もう一枚、チョコレートがあります」
「やり直せ」
二回目。今度は——成功した。滑らかなチョコレートが、シリコンの型に流し込まれた。
冷蔵庫に入れる。固まるまで待つ。
◇
バレンタインデー当日。
鈴音が——チョコレートを差し出した。
四角い板チョコ。表面にうっすら霜がついているのは、冷蔵庫での保管が長かったからだ。形はいびつ。サイズも不揃い。
「……手作りです」
「ありがとう」
一つ食べた。
——うまい。ビターチョコレート。カカオの苦味がしっかりしている。甘さは控えめ。
「……みなとさんは甘いものが苦手だと——以前言っていたので。……カカオ七十パーセントで作りました」
覚えていた。俺が一度だけ言った好みを。
「うまい。九十——」
「……点数は、つけないでください」
「え」
「……バレンタインのチョコに点数をつける彼氏は——嫌です」
——それはそうだ。
「……美味い。すごく美味い」
「……ありがとうございます」
鈴音は——安堵したように、息を吐いた。
「……あと。みなとさん」
「ん」
「……ホワイトデーは——何を作ってくれますか」
「もう催促してるのか」
「……レビュアーですから。……期待値は高いです」
挑戦状だ。鬼舌のリリからの。
「……了解。三月十四日までに、考えておく」
チョコレートをもう一つ食べた。いびつな形。甘さ控えめ。鈴音の味。
百個のおにぎりから始まって——チョコレートまで来た。この女の成長速度は、本当に規格外だ。




