第86話 健太への約束
一月末。
健太に——約束通り、手料理を食わせた。
場所は俺の部屋。健太と俺と鈴音の三人。
メニューは出汁巻き卵、肉じゃが、ほうれん草のおひたし。鈴音の味噌汁。
健太は——出汁巻き卵を一口食べて、固まった。
「……何これ。うまっ。えっ。うまっ。何これ」
「語彙力がリリのリスナーと一緒だな」
「待ってくれ。俺の二十年のカップ麺人生は何だったんだ。出汁ってこんな味すんの?」
「当たり前だ。お前がカップ麺の粉末スープを出汁だと思っていたのが間違いだ」
「氷室さん。これ何点?」
「……九十四点です」
「九十四!? 高っ! え、プロの料理人の飯って九十四なの? じゃあ百点はどこにあるの?」
「……百点はありません。料理に百点はないと、みなとさんが言いました」
「哲学かよ」
健太は肉じゃがも食べた。おひたしも。味噌汁も。
全部食べ終わって——カップ麺のように器を傾けて汁まで飲み干そうとして、鈴音に睨まれた。無表情の圧力で。
「……すみません」
「……気にしていません」
最後に。健太が真面目な顔で言った。
「湊。お前——料理人になれよ」
「……」
「いや、なるべきだ。この味を俺みたいなカップ麺バカに食わせるだけじゃもったいない。もっと多くの人に食べてほしい」
「……考えとく」
「考えとくって、また先送りか。——まあいいや。お前のペースでいい。でも、いつかは」
健太は帰り際に、靴を履きながら振り返った。
「氷室さん。湊のこと、よろしくな。こいつ、料理は天才だけど人生は不器用だから」
「……はい。……よろしくお願いします」
ドアが閉まった。
二人きりになった六畳間で、洗い物をしながら——俺は考えていた。
料理人になれ。
柚葉も同じことを言っていた。親父も——直接言葉にはしていないが、思っているだろう。
逃げた先で——何をするのか。
答えは——まだ出ていなかった。だが——出汁巻き卵を食べて固まる健太の顔を見た時、何かが胸の奥で動いた。




