第84話 年越しそば
大晦日。
一年が終わる。
振り返れば——今年の春、ボロアパートの隣の部屋にうずくまっていた女の子に、うどんを差し出した日から始まった。
合鍵。タッパー。味噌汁。おにぎり。柚葉の襲来。オムライス。包丁。キララのスプーン事件。令嬢の呪い。壁越しの出汁指導。暴露系配信者。妖精の手。鍋の夜の告白。
全部——食卓の記憶だ。俺たちの関係は、食卓の上で育った。
◇
年越しそばを打った。
手打ち。二八蕎麦。蕎麦粉八割に小麦粉二割。
蕎麦を打つのは——料亭では教わっていない。独学だ。大学に入ってから、暇な日にYouTubeを見ながら覚えた。
だが今日は——本気でやった。
水回し。練り。延し。畳み。切り。
鈴音が横で見ていた。
「……みなとさん。蕎麦も打てるんですか」
「独学だから、プロには遠く及ばない」
「……十分に見えます」
蕎麦を切った。均一な太さ。——ではない。少しムラがある。蕎麦打ちは和食の修行の範疇外で、俺の腕はまだ甘い。
「鈴音。つゆは頼んだ」
「……はい」
鈴音が——かけつゆを作った。昆布と鰹の出汁を引き、醤油とみりんと砂糖で割る。鈴音の舌で味見をして——微調整。
蕎麦を茹でた。冷水で締めた。
二椀の年越しそば。温かいかけそば。薬味はねぎと大根おろしとわさび。
ちゃぶ台に並べた。
「……年越しそば」
「ああ」
「……二人で年を越すのは——初めてです」
「俺もだ」
元々テレビなんてない部屋だ。紅白もカウントダウンも、今の俺たちには関係なかった。ただ——静かな六畳間で、二人で蕎麦を啜った。
鈴音が蕎麦を啜った。所作は完璧だが——蕎麦の啜り方だけは、少し不器用だった。
「……つゆが、いいですね。鰹の厚削りと昆布の比率を変えました。……蕎麦の味を邪魔しないように、かえしを少し薄めにして——」
「鈴音」
「……はい」
「年越しに分析するな」
「……すみません」
「うまいか」
「……美味しい、です」
除夜の鐘は聞こえなかった。この辺りに寺はない。
代わりに——台所の蛇口から、ぽたり、と水滴が落ちた。
「……明けましておめでとうございます」
「おめでとう」
新しい年が来た。
去年の今頃、俺は一人で年を越していた。コンビニの蕎麦を食べて、布団に入って、何も考えずに寝た。
今は——隣に人がいる。
来年も。再来年も。——ずっと。
「鈴音」
「……はい」
「今年もよろしく」
「……今年も。……よろしくお願いします」
蕎麦の椀を下げて、洗い物を二人でした。
新年の最初の家事が——洗い物。
悪くない。




