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第8話 星ゼロの処刑台

鬼舌のリリの過去動画を全部見た。


 講義が終わってから深夜二時まで、六時間ぶっ通しで。総再生回数は億を超えている人気チャンネル。動画は百本以上。その全てに目を通した。


 結論。


 この女は、異常だ。


 まず、毒舌のレベルが桁外れだ。ただ悪口を言っているのではない。料理の欠陥を、食材の産地、調理過程、温度管理、盛り付けの意図——全てのレイヤーから精密に分解し、一切の感情を挟まず論理で切り刻む。それも、ボイスチェンジャー越しの冷たい低音で、淡々と。


 動画のコメント欄は二極化していた。


『リリ様のレビュー聞いてると、料理される側の素材の気持ちがわかる気がする』

『これはレビューじゃない。解剖だ』

『星ゼロ動画で泣いたのは、俺が初めてだと思う。店の方が』


 そして——あの星一千万のハンバーグ動画だけが、完全に浮いている。


 他の全ての動画で一切崩れなかった冷徹な語り口が、あの一本でだけ完全に崩壊している。語彙力が消滅し、泣き声が混じり、ひらがなだけの感想になっている。


 コメント欄の空気も、その動画だけ異質だった。


『リリが壊れた』

『え、待って。リリに感情あったの????』

『俺たちの教祖が人間に戻ってる……』

『この料理を作った人間、出てこい。世界を救った罪で逮捕する』


 そして——動画に白飛びぎみの写真として映っていた、あの百均のタッパー。


 間違いない。俺の部屋のタッパーだ。蓋の傷、中身のハンバーグ。その全てが、俺の記憶と完全に一致していた。


 ◇


 翌日の昼、大学の図書館で健太と合流した。


「なあ健太」


「ん?」


「リリの配信、全部見た」


「マジ!? お前もハマったか!」


「ハマったというか……一つ聞いていいか」


「おう」


「あの星一千万の動画、料理の写真が出てたよな。あの容器って——」


「ああ、あのタッパーな。リリの眷属の間では『聖遺物せいいぶつ』って呼ばれてるよ。どこのメーカーの保存容器かで特定班が血眼になって探してたけど、結局『どこにでも売ってる百均のやつ』って結論に落ち着いたらしい」


「……百均だよ。俺の部屋にあるのと全く同じだ」


「だよな。でも、あの美食家のリリがタッパーのまま食って絶賛するってのが、逆にリアリティあるってバズってんだよ」


 危なかった。


 いや、健太に正直に言うべきか? あの動画に映っている料理は俺が作ったもので、食べているのは俺の隣の部屋の住人です——と。


 言えるわけがない。


 まず信じてもらえない。そして万が一信じてもらえたとして、それは鈴音の秘密を暴くことと同義だ。彼女はアバターとボイチェンで完璧に身元を隠して活動している。それには理由があるはずだ。


 黙っていよう。


 ◇


 その日の夕方、いつも通り料理を作った。今日は鶏の唐揚げ。


 鶏もも肉を一口大に切り、生姜とニンニクと醤油のタレに三十分漬ける。衣は片栗粉と薄力粉を混ぜたもの。油の温度は百七十度。一度目の揚げで中まで火を通し、引き揚げて余熱で休ませてから、高温で二度揚げする。カリッという音が変わる瞬間がある。その音を聞き逃さないことが全てだ。


 ——唐揚げにここまでの手順を踏む大学生は、たぶん日本に三人くらいしかいない。


 六時十分。チャイム。


 ドアを開ける。鈴音。無表情。鼻が動く。


「……揚げ物」


「唐揚げ。二度揚げしてある」


「……」


 入ってくる。靴を脱ぐ。定位置に座る。


 テーブルに唐揚げの山、千切りキャベツ、レモン、味噌汁、白飯を並べた。


 彼女は唐揚げに箸を伸ばす前に——今日も匂いを嗅いだ。


 そして一口。衣をかじった瞬間、カリ、という乾いた音が小さな部屋に響いた。


 咀嚼。


 飲み込む。


 次の一つに手を伸ばす速度が——いつもより、格段に速い。


 五分で唐揚げが半分になった。七分で全滅した。白飯を頬張る。味噌汁を啜る。おかわり。また唐揚げ——もうない。皿の上はレモンの絞りかすだけだ。


 鈴音は空になった皿を見つめていた。食べ尽くしたことに、自分で驚いているような間があった。


 ——あの、鬼舌のリリ。星ゼロの処刑台に高級レストランを並べ、冷徹な言葉で解体していく恐怖の配信者が。


 今、俺の目の前で、唐揚げを全滅させて呆然としている。


 その対比が——なんだかおかしくて、笑いそうになった。堪えた。ここで笑ったら不審がられる。


 ◇


 洗い物をしながら、頭のなかで整理する。


 事実を並べよう。


 一、隣人・氷室鈴音は極度の口下手で無表情。


 二、超人気VTuber「鬼舌のリリ」は、アバターとボイチェンで完璧に身元を隠している最強の毒舌グルメレビュアー。


 三、リリが星一千万をつけた「神の料理」は、俺が作ったハンバーグで、写っていたのは俺のタッパー。さらに、あのブロッコリーとミニトマトの付け合わせ。


 四、鈴音は「食べる側のプロ」としか思えない舌を持っている。出汁の構成、昆布締めの有無、茶の温度——一口でわかる。


 五、鈴音はタッパーで俺の料理を持ち帰ったことがある。


 一から五を足すと——氷室鈴音=鬼舌のリリ。


 状況証拠は真っ黒だ。


 ◇


「……みなとさん」


 洗い物の手を止めた。鈴音が台所の入り口に立っていた。布巾を手にしている。いつもの「拭きます」のポジション。


「——今日の唐揚げ」


「ん」


「……二度揚げの温度差が完璧でした。一度目で肉汁を閉じ込めて、二度目で衣だけを高温でカリッと。この二段階の温度コントロールは……」


 そこで言葉を止めた。自分が語りすぎていることに気づいたのか、口をつぐむ。


 俺は蛇口の水を止めて、彼女を見た。


 無表情。けれど視線がわずかに泳いでいる。左右に——ではなく、下に。俺の胸元あたりを見ている。目を合わせないいつもの癖。


 言いたいことがある。だけど言えない。


 この女は——画面の向こうでは何千字もの辛辣なレビューを一息で語るくせに、目の前の人間には「美味しい」の四文字すら出せない。


 その不器用さが——なんだか、苦しくなるくらい、よくわかった。


 俺だって、そうだから。


 実家では千回、「お粗末さまです」と言わされた。完璧に丁寧に、心を込めて。けれど目の前の客が本当に美味いと思っているかどうかは、いつもわからなかった。


 鈴音は言葉では言えない。けれど体が言っている。箸の速度が。指先が。瞳孔が。唐揚げを七分で全滅させた、あの速度が。


 それで充分だと、思った。


「唐揚げ、また作るよ。好きだったんだろ」


「……」


 鈴音は布巾を握ったまま、動かなかった。


 耳の先だけが、いつもの赤に染まっていた。

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