第75話 準備
配信出演を決めてから、三日間の準備期間を設けた。
やるからには完璧にやる。——いや、完璧という言葉は鈴音の前では使わないようにしている。ただ——圧倒的に、やる。
◇
まず配信の構成を決めた。
鈴音がリリとして進行。俺が「お料理担当」として手元と声のみで出演。顔は出さない。名前も出さない。ただ——「妖精」として。
「……みなとさん。本当に——声を出して大丈夫ですか。……料亭の関係者が聞いたら——」
「大丈夫だ。ボイチェンは使わない。だが、声だけで特定されることはない」
「……本当に?」
「料亭の人間はVTuberの配信なんか見ない。親父はスマホの電源の入れ方すら怪しい」
「……そうですか」
次に、メニューを決めた。
配信で作る料理。インパクトがあって、技術が見える料理。家庭の台所で作れるが、プロの技術が光る料理。
「……何を作りますか」
「だし巻き卵」
「……だし巻き卵」
「シンプルだからこそ、技術の差が一番出る料理だ。出汁の引き方、卵の扱い、火加減、巻き方。全部が見える」
「……それだけですか」
「いや。もう一品——造りもやる」
「……造り。……お刺身ですか」
「鯛の薄造り。柳刃包丁で引く。——あの暴露系に見せてやる。素人の家庭料理がどうとか言ったな。俺は素人じゃない」
鈴音は——もう震えていなかった。
「……みなとさん。包丁……」
「ん?」
「……柳刃、持っていますよね」
「ああ。引き出しの奥にしまってある。料亭を辞めてから一度も使ってない」
「……使うんですね」
「使う」
引き出しを開けた。柳刃包丁。刃渡り二十四センチ。親父からもらったもの。
取り出した。布巻きを解く。刃が——鈍く光っていた。手入れはしていたが、使っていない。
「研がないとな」
砥石を出した。荒砥、中砥、仕上げ砥。三段階。
砥石に水をかけた。荒砥の上に柳刃を当てる。角度をつけて——引く。
シュッ。シュッ。シュッ。
規則的な音が、六畳間に響いた。
鈴音は——その音を、じっと聞いていた。
「……きれいな音、ですね」
「……」
「……みなとさんが包丁を研ぐ音は……すごく——」
「すごく?」
「……安心します」
中砥に移った。さらに刃を整える。仕上げ砥で、鏡面に近い輝きを出す。
柳刃を持ち上げた。光がまっすぐに反射した。
——久しぶりだ。
この包丁を握ると——料亭にいた頃の感覚が戻ってくる。背筋が伸びる。呼吸が深くなる。
「鈴音」
「……はい」
「俺が本気で作った料理を——お前の舌で、ちゃんと評価してくれ。配信の中で。全世界の前で」
「……はい」
「容赦するな。鬼舌のリリとして、俺の料理を斬れ。そして——本当に美味かったら——」
「……美味しいと——」
「言ってくれ」
鈴音は——頷いた。強く。
「……任せてください」




