第66話 健太の全知
九月末。
後期の講義も軌道に乗り、日常は緩やかに回り始めていた。
鈴音の味覚は完全に復活した。味噌汁のスコアは九十一点を記録し、安定して九十点前後を維持している。食材鑑定も以前のレベルに戻った——いや、以前より一段階上がっていた。「分析」と「感覚」の両方を使えるようになったからだ。
キララとの関係は——変わった。距離を取ったが、険悪にはなっていない。学食で会えば普通に挨拶するし、キララも鈴音に気を使って距離を保つようになった。大人だ。
そんなある日の昼休み。
健太がカップ麺を持って隣に座った。いつもの光景。
「湊」
「ん」
「お前さ、氷室さんとは結局どうなんだ」
「どうって」
「付き合ってんの?」
「……付き合ってない」
「嘘だろ」
「嘘じゃない。名前をつけてないだけだ」
「名前をつけてないだけって——それ、全員付き合ってると思ってるぞ。学食であんな宣言された後に」
学食事件。「みなとは私のです」。あれは確かに——大学中に広まった。
「あとさ」
「ん」
「お前に聞きたいことがある。——氷室さんがリリだって、いつから気づいてた?」
フリーズした。
「……何のことだ」
「とぼけんなよ。俺だって馬鹿じゃない」
健太がカップ麺を啜りながら、指を折った。
「一。リリのレビューに出てくる料理の写真と、お前が作る料理が酷似している。盛り付けの癖が同じ。二。リリの『妖精』は壁の向こうから出汁の独り言が聞こえるって言ってた。お前はボロアパートに住んでいて、隣に氷室さんがいる。三。リリの味噌汁の点数推移と、お前が最近やたら味噌汁に詳しくなった時期が完全に一致してる」
——健太。お前、考察ガチ勢だったのか。
「しかもだ。リリの配信でオムライスの話をした直後に、氷室さんが急に元気になった。そしてお前は翌日、やたら機嫌が良かった。一プラス一は二だ」
「……いつから」
「確信したのはオムライスの回。でも疑い始めたのは、お前が『あいつ、最近ちゃんと食べてるか?』って、画面の向こうのリリを身内みたいに心配してた時かな」
無意識の、あまりに身内すぎる呟き。健太はそれを、聞き逃してはいなかった。
「……で、どうする気だ」
「どうもしないよ。俺はただのリリの一ファンで、お前の友達だ。バラしたりしない」
「……ありがとう」
「ただし、条件がある」
「条件?」
「今度、お前の手料理を食わせろ。リリが語彙力壊すレベルの飯を、一回でいいから食ってみたい」
「……カップ麺好きの奴が何言ってんだ」
「カップ麺好きだからこそ、たまにはいいもん食いたいんだよ」
健太はカップ麺の残り汁を飲み干した。
「あと、もう一つ」
「まだあるのか」
「氷室さんのこと——ちゃんと、名前つけてやれよ。あの子、ずっと待ってるぞ」
健太は立ち上がった。トレイを返しに行きながら——振り返った。
「ところでキララって、アリアだろ」
「……お前、何者だ」
「ただの大学生だよ。——観察力がちょっと高いだけ」
去っていった。
健太。お前——最初から全部わかってたのか。
頭を抱えた。
考察ガチ勢が一番近くにいた。




