第64話 九十点
オムライスの翌朝。
鍵の音。
「……おはようございます」
「おはよう」
鈴音が——鍋を持っていた。
味噌汁が復活していた。
テーブルによそう。一口飲んだ。
出汁が——変わっていた。
昆布と鰹の配分が、今までと違う。昆布の比率を上げている。鰹節は薄めに削ったものを使っている。味噌は控えめで、出汁の旨味を前面に出す構成。
そして——具材が変わっていた。
豆腐、なめこ、三つ葉——に加えて、油揚げが入っている。油揚げは油抜きされて短冊切り。サイズが揃っている。
「……新しいレシピか」
「……はい。……昨日の夜、考えました」
「何を考えた」
「……分析しなくていいなら。……自分が食べたい味を作ればいいんじゃないかって」
そうだ。
今まで鈴音は「湊の舌に合わせる」ために味噌汁を作っていた。それは——母親の呪いの延長だった。「相手に合格点をもらわなければならない」という強迫観念。
だが昨日のオムライスで——その呪いが緩んだ。
自分が美味しいと思うものを作ればいい。それだけ。
「……私が一番好きなのは、昆布出汁の強い味噌汁です。……鰹の香りは好きですが、主役は昆布の旨味がいい。……みなとさんの好みとは違うかもしれませんが——」
「うまい」
遮った。
「え」
「九十点」
鈴音の目が——見開かれた。
「……九十」
「お前が自分の好みで作った味噌汁は、俺の好みに合わせた味噌汁より上だ。味に迷いがない。出汁の引き方が安定してるし、具材の選択も的確だ」
「……」
「何より——味噌汁に意志がある。お前自身の味がする」
鈴音の手が——鍋の取っ手を握りしめた。
「……九十点」
「ああ」
「……みなとさん。おかわりは——」
「二杯飲む」
二杯目をよそった。三杯目はさすがに遠慮した。
鈴音は——椀をゆっくり下ろした。
「……お粗末さまです」
その声は——もう震えていなかった。




