第62話 キララの涙
学食事件の翌日。
キララに会った。大学の中庭。
キララは——一人でベンチに座っていた。いつもの友達の輪にはいない。スマホを見ている。
声をかけようか迷ったが——キララのほうが先に気づいた。
「あ、湊くん」
笑顔。だが——目が笑っていなかった。
「隣、座ってもいい?」
「……聞き返されると思わなかった」
「初めて聞くからな」
座った。ベンチの端と端。距離を取って。
キララが最初に口を開いた。
「ねー湊くん。私さ、昨日の氷室さんのセリフ聞いてから——うんうん、って思ったんだよね」
「うんうん?」
「なんていうんだろ。氷室さん、ずっと我慢してたんだなって。私がいつも湊くんにベタベタしてるの——辛かったんだろうなって」
「……」
「私ね、気づいてなかった。本当に。『誰とでも仲良くできる自分』が当たり前だと思ってたから。氷室さんが私と同じようにはできないって——わかってなかった」
キララの声が、低くなっていた。いつものテンションが完全に消えて——芯だけが残っている。
「……キララ」
「うん」
「お前は悪くない。鈴音もお前を恨んでない。ただ——距離感の問題だったんだ」
「距離感」
「お前の距離感は普通だ。でも鈴音にとっては、その五十センチの隙間を埋めるのに、普通の人が三メートル分も歩み寄るのと同じくらいの覚悟がいるんだ。そういう人間なんだ」
キララが空を見上げた。秋の空が高い。
「……私も、そういう人間になりたかったな」
「え?」
「鈴音さんみたいに。——一人の人にだけ、全部の気持ちを向けられる人。私は——みんなに少しずつ配ることしかできないから」
キララの目から——涙が落ちた。
ぽたり。一滴だけ。
慌てて袖で拭った。
「あはは、ごめんね。泣くつもりなかったんだけど。——私ね、湊くんのこと好きだったよ。ちょっとだけね」
「……」
「でも『ちょっと』なんだよね。いつもそう。誰のことも『ちょっと』しか好きになれない。全部を注ぎ込めない。——だから鈴音さんが羨ましかった。あの子は百パーセント、湊くんのことだけ見てる。——私にはできないことだから」
キララが笑った。今度は——目も笑っていた。涙目のまま。
「湊くん。鈴音さんのこと、大事にしてね」
「……柚葉にも同じこと言われた」
「柚葉って誰?」
「前に来た、もう一人の面倒くさい女」
「もう一人。——湊くん、どんだけモテるの」
「モテてない。面倒見がいいだけだ」
「それをモテるっていうんだよ」
キララが立ち上がった。スカートの裾を払って。
「——あ、でもね。私、アリアのほうではリリさんとこれからも仲良くやっていきたいんだ。あの子の毒舌、本当に好きだから。——ネットのことはネットのこととして。いいよね?」
キララは——アリアであることを隠そうとはしなかった。気づかれていることに気づいているのかもしれない。
「好きにしろ」
「やったー!」
いつものテンションが戻った。百パーセントではないかもしれないが——キララなりの全力。
「じゃあまた授業でねー! 湊くん、お弁当の隣は予約しないから! ——鈴音さんの席だもんね」
手を振って去っていった。
明るい茶髪が中庭の日差しに溶けていく。
いいやつだ。キララも——いいやつだった。
柚葉も、キララも。面倒で、うるさくて、距離感がおかしくて。——でも、根っこはまっすぐで。
俺が恵まれているのか。それとも——鈴音が恵まれているのか。
たぶん両方だ。




