第53話 アリアとリリ
キララには——もう一つの顔がある。
俺がそれに気づいたのは、健太のせいだった。
「湊、『アリア・スターライト』って知ってる?」
「知らない」
「VTuberだよ。登録者百万超え。今、鬼舌のリリとめっちゃ絡んでて話題なんだよ」
八月中旬の昼休み。図書館のソファで、健太がスマホを見せてきた。
画面には、華やかなピンク髪のアバターが映っていた。背景はキラキラしたステージ。「アリア・スターライト」。ポップで明るくて、画面越しにでもエネルギーが伝わってくる。
声が——聞き覚えがあった。
ボイチェンすら通していない。あのテンション、話すリズム、笑い方。まごうことなき「生声」だ。さらに——
『先日ねー、大学の友達が可愛い女の子と駅前で包丁買ってたの! なんか同棲カップルみたいで超羨ましかったー!』
そんなエピソードまで飛び出してきた。これには確信を持たざるを得ない。
「この声」
「ん?」
「いや……なんでもない」
星野キララだ。間違いない。あの生声と、数日前の出来事が完全に一致する。
——キララがVTuberだったのか。
アリアのチャンネルを見た。ゲーム実況、雑談配信、コラボ配信。登録者数百二十万人。企業グループ所属。トップクラスだ。
そして——「鬼舌のリリ」との絡み。
アリアがリリの毒舌レビューを切り抜いてリアクション動画を出している。コメント欄が盛り上がっている。
『アリアがリリにちょっかい出してるのほんと好きwww』
『大型犬と黒猫の構図で草』
『リリのリアクション見たい 無視してそう』
リリ側のコミュニティも確認した。
【おしらせ】
あるVTuberさんから、コラボのお誘いをいただきました。
わたしは人見知りなので、お断りしようかと思いましたが。
わたしは人見知りなので、お断りしようかと思いましてが。
……少し、考えています。
コメント欄。
『リリがコラボを「考えている」だと!? 大事件!!』
『アリアでしょ絶対 あの子ずっとリリ推しだから』
『リリのコラボ配信……見たすぎる……でもリリが他人としゃべれるのか!?』
鈴音がコラボを検討している。
相手は——キララ。
リアルでは俺にベタベタ絡んでくる女。ネットでは鈴音にコラボを申し込んでくる大型犬VTuber。
——これは、三角関係の二層構造だ。
リアル:キララ → 湊 ← 鈴音
ネット:アリア → リリ(=鈴音)← 妖精(=湊)
——キララは、リリの正体が鈴音であることも、妖精の正体が俺であることも全く知らない。
鈴音は、アリア=キララであることを——知っているのか?
◇
夕食の時間。鈴音が合鍵で入ってきた。
「……おかえりなさい」
「……いや、俺はずっといた。お前が来たんだろ」
「……おかえりなさい、と言いたかっただけです」
——かわいい。いやそうじゃない。
「鈴音」
「……はい」
「アリア・スターライトって知ってるか」
鈴音の箸が——止まった。
一秒。二秒。
「……知っています」
「コラボの話、来てるのか——」
言いかけて止めた。配信のこと自体はお互い暗黙の了解になっているが、現実の食卓で、俺から彼女の『裏の顔』の事情にずかずか踏み込むのは——少し遠慮があった。
「……友達が教えてくれた。アリアってVTuberがリリと絡んでるって」
「……はい。……有名な方です」
「……」
「……みなとさんは。……アリアさんの配信、見たことありますか」
「ない」
「……そうですか」
嘘だ。さっき見た。だが「キララ=アリア」だと気づいたことは言えない。
鈴音は箸を動かし始めた。今日のメニューは豚キムチ丼。いつもの速度で食べている。
だが——小指が跳ねていなかった。味に集中できていない。何かが引っかかっている顔だった。
食後の洗い物を済ませて、鈴音が帰った後——壁の向こうからパソコンが起動する音がした。
配信の準備だろうか。それとも——アリアのコラボについて考えているのだろうか。
壁に背を預けた。
リアルで。ネットで。キララという存在が、鈴音の日常に食い込み始めている。
太陽は——暖かいが、近すぎると目が焼ける。
鈴音の目が焼ける前に、何かをするべきなのかもしれない。
だが——何を。
答えは出ないまま、壁の向こうのタイピング音を聞いていた。




