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謎の来訪者

 その日のグノーサ市は、華やいだ空気に包まれていた。


 遠くから笛の音や弦をかき鳴らす音、人々の笑い声や歓声が聞こえる。

 俺は大通りの端に折り畳みの小さな椅子を出して絵を描いていたが、そこも朝から人通りが多くて浮かれてる奴らばかりだった。


 肩を組んで歌を歌って、まだ日も高いのに明らかに酔いが回りきっている奴もいる。

 面識もない奴に「この素晴らしい日に乾杯!」と声をかけられて、俺は無言で手をあげて応じた。

 その横を、子供が焼き菓子を手に駆け抜けていった。


 今日は祭りだ。

 剣神祭というらしい。

 例の剣神アジンノイルが古代樹を打ち倒して世界を作ったその日だとか。

 今日から一週間、街中競って飲んで食って踊り明かすそうだ。


 フラウも数日前からこの祭りを楽しみにしていて、朝方には隣の部屋からシエルをせかすフラウの声が聞こえていた。

 今は広場の方へ二人で遊びに出ている。


 俺も誘われたが、気が進まないといって断った。

 フラウは残念がったけれどこればっかりは仕方がない。

 嫌われ者の人生が長かったせいか、こういうイベントごとは苦手なのだ。


 下描きを終えたキャンバスを眺めながら、俺はパレットの上で絵の具の色を探っていた。

 混ぜ方を工夫しながらああでもないこうでもないとパレットナイフで顔料と溶き油をもてあそぶ。

 なかなかうまくいかない色づくりに頭を悩ませているうちに、心は別のところに漂っていった。


 古代樹を倒した……というより逃げられたその翌日の朝。

 俺たち三人は動けるようになってから追跡隊の生き残りと合流し、遺体を埋葬を手伝ったのちにグノーサへの帰路についた。


 帰りの道は疲れのせいか、行きよりも一段と長く感じた。

 あるいはグノーサについてからのカンザへの報告のことを考えてしまったせいかもしれない。

 あの脳髄狂人は怒り狂うに違いなかっただろうから、できればまた顔を合わせるのは正直憂鬱だった。


 まあ怒るよりも脳細胞の移植とやらをやってくる可能性も高かったが。

 その方が怖い。

 もちろん冗談だったんだろうが、それでも油断していると後頭部からぐさりと注入されるんじゃないかという恐怖は、なかなか拭い去りにくいものがあった。


 まあ結論としては、俺たちは無事に『石棺』を出ることができた。

 カンザは俺たちの報告にあまり興味を示さなかったのだ。

 ただ、全てを聞いた後、


「そうか」


 と言ったきり、机の上の資料を読む作業に戻っていった。

 俺たちはこれ幸いとばかりにいそいそと彼の執務室から退散した。


 蘇生禁術完成の手掛かりはつかめなかったが、今はそれはどうでもよかった。

 ただただ得体のしれない脳移植を免れたことを三人で喜んだ。

 ああおぞましいことにならなくてよかった。万歳。


「そういえばこの剣はどうする?」


 宿についてほっとしたところでそれに気が付いたのは俺だった。

 腰に提げた剣についてだ。


 これは俺たちが先の戦いのさなかに手に入れた聖剣だった。

 剣神教団の聖典で、女神アジンノイルが古代樹という化け物を殺すのに使った剣とされている剣だ。

 元は長剣の形をしていたが、今は長さが縮んでシルエットも変わり、ただの小ぶりな片手剣の形になっている。

 本当ならばカンザに提出した方がよかったのだろうが、


「別にいいでしょ。とっときましょう」


 シエルはそんな言い方をした。

 んなお気楽な。俺は不安になって訊ねた。


「大丈夫か? 後でバレたら問答無用で脳改造かもしれないぞ」

「これが本当に聖剣かもわからないのに?」

「え、いや、でも」

「いいのよ。気にしない気にしない。バレるならとっくにバレてるし、それでも手を出してこないならなんか考えがあるってことよ。それよりどうせこれを使えるのなんてあなただけなんだから、こっちで持っておいて有効活用させてもらいましょ」

「そうかもしれねえけど……」


 この剣は、使用者の生命力を根こそぎ奪い取って力を発動させるらしい。

 聖剣というよりは魔剣の方が近い。

 だが、だとするなら確かにこれを振るえるのは俺のような不死者だけということになるだろう。


 そのあたりのことを言い訳にして、俺は深く考えることをやめた。

 ベッドに入り、それで古代樹捕獲に関する一連の件は終わったと思うことにした。


「うーん、やっぱ色がなあ……」


 つぶやきながら意識を現在に引き戻す。

 大通りの端でなかなかドンピシャが見つからない色づくりにも飽きて、俺はため息をつきながら顔を上げた。


「カズキー!」


 ちょうど通りの向こうから、ローブの少女の手を引っ張るようにして小さな人影が走ってくる。

 フラウとシエルだ。

 人込みの通行人に何度かぶつかるようにして俺の前までやってきた。


「見て、カズキ! 買ってきた!」


 嬉しそうに言うフラウの腕の中には、焼いた果物や砂糖菓子、おいしそうなパンがいっぱいに抱えられている。


「ちょっとはしゃぎすぎよ……」


 シエルはきっとさんざん引っ張りまわされたんだろう、疲労困憊といった様子だ。


「ああもう無理、きつい」

「まだあと六日もあるんだぞ。大丈夫か?」

「なわけないでしょ。代わってよ」

「断る」


 やり取りする俺たちの傍らでフラウはさらに元気回路を爆発させる。


「ろく? あといち、に、さん、し、ご、ろく? ろく日!?」

「あ? うん、そうだな」

「すごい! タウ! たのしいがタウだー!」


 野良着からはみ出るしっぽが大きく揺れる。

 ぴょんぴょん跳ねるフラウの腕の中からこぼれた焼き菓子を、さっと受け止めて返してやってから俺は立ち上がった。


「あーだめだ。俺も疲れたわ」

「あなたはここでずっと座ってただけじゃない」

「絵を舐めんじゃねえよ。めっちゃきついんだからな」

「なに言ってるの。たかが手慰みでしょうよ」


 カチンときた。

 こちとらじいちゃんの指導の下で十年近くやってたんだ。

 甘く見られちゃたまらない。


「まあそう思うなら? とりあえず見てみたらいいんじゃねえの?」


 ヒクつく顔面を抑えてキャンバスを示す。

 シエルは「じゃあ遠慮なく」と言って俺の横に立った。


「……上手いじゃない」


 じっくり覗き込んだ後、シエルは意外にも素直にそう認めた。

 嫌味でも言って来たら打ち返してやろうと待ち構えていた俺は肩透かしを食らった。


「ま、まあな」

「でも……」

「あ? でも、なんだよ?」

「なんで人がいないの?」


 キャンバスの中には、シエルの言う通り人物の姿は一人もなかった。

 あるのは大通りの風景だけ。

 飾り付けられた家々や、日の当たる屋台、無人に華やかな景色だけがそこにあった。


「苦手なんだよ、人物画」

「なんで? 描けないことないでしょ。上手いんだから」

「こればっかりはうまく言えないけど。ただ……出るんだよ。描いた奴の、なんていうか、目線っつーか」


 何かを描くには、対象を見つめる必要が、当たり前だがある。

 そして、描くときにはその時の描き手の視線が必ずキャンバスの上に現れてしまう。

 俺はそれが苦手なのだ。

 特に描く対象が人の場合は特に。


 相手との間のつながり、のようなものを意識してしまう。

 その具体的で繊細な部分を人に知られるのは怖い。のだと思う。


 そう説明するとシエルはわかったようなわからないような顔で首を傾げた。


「……ふうん?」

「でもフラウのことは描いてくれたよね?」


 菓子を大事そうにかじりながらフラウが言う。

 俺はしみじみうなずいた。


「まあな。あれは一大決心だった」

「え。なにそれずるい。見せなさいよ。ていうかわたしも描いてよ」

「なんでだよ。やだよ」

「いいじゃない。ほら」

「やだって」


 無理に筆を押し付けてくるシエルをかわしていると。


「あの。すみません。ちょっといいですか?」

「あん?」


 声をかけられて俺は振り向いた。

 そこには帽子を深くかぶった旅装の男が立っていた。

 すらりと長身で、気品のあるたたずまい。

 そいつはシエルを見て、はっと小さく息を吸ったようだった。


「やはり……」


 俺は怪訝に思って訊ねた。


「ええと、うちのリーダーに何か?」

「ああ、申し訳ない。僕はアロン・ベゼルエルというものです」


 今度は背後から息が震える音がした。

 振り向くと、シエルがフードの奥で瞳を揺らしていた。

 シエルとの付き合いはそんなに長くはないが、それでもこんなに彼女が動揺するところは見たことがなかった。


 俺はアロンと名乗った男にゆっくりと向き直る。

 アロンはそんな俺には目もくれず、ただまっすぐシエルを見ていた。

 そして言う。


「お久しぶりです、シエル王女。ご無事でよかった……」


 それは優しい口調なのに、俺にはなんだか不吉な響きがまじっているように聞こえた。

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