優しい手のひら
俺とフラウは走っていた。
さっき歩いていた道なき道を逆方向に。
全速力で駆けているのに、不思議と木の根も枝葉も邪魔はしなかった。
もうすぐ着く。
悲鳴も爆発音ももう散発的になっていたが、もう目の前まで迫っている。
「フラウ、お前はここで待ってろ!」
「わかった。シエルをおねがい!」
その会話を最後に湖岸へと飛び出す。
聖剣を右手にひっつかんで。
着地したブーツの裏が粗い砂利に擦れる。
制動はかけずにそのままさらに加速する。
見上げると光と轟音。
小さな影が吹き飛んできて浅瀬に落ちて水しぶきを上げる。
「ぐ……っ」
シエルだ。
受け身もろくに取れなかったらしく苦しげにうめいている。
ローブもあちこち焦げてぼろぼろ。
杖は先端が折れていた。
俺はそれを飛び越えて、腕を広げた。
鈍い衝撃。鋭い痛み。
俺は体全体で何本もの触手の刺突を受け止め、血を吐いた。
「カズキ……!?」
シエルの声。
同時に触手が引き抜かれて、古代樹の方へと戻っていく。
俺は支えを失って膝をつきながらも、悪態をついて振り向いた。
「くっそ、ってえな……!」
「なんで戻ってきたの!」
「お前が言わねえからだろうが! 助けてって。手伝えって!」
「はあ?」
ようやく傷が治り、痛みが引いて立ち上がる。
頭がクリアになっていた。
もういらだちはない。
俺は戦える!
「いいか、一度しか言わないから一度で聞けよ。俺は、お前を死なせたくない! 俺は不死だけど、お前は違うだろ!」
シエルの表情が変わった。
いつもの冷たい顔つきのままだったが、目の硬い光が少しだけほどけた気がした。
まだまだ言いたいことはあった。
でもそれだけ確認できればよかった。
敵もこれ以上は待たないだろう。
前に向き直って身構える。
「ま、そういうことでだな。ちゃっちゃと片付けるぞ」
「勝算はあるの?」
シエルは余計なことは言わずにそれだけを訊いてきた。
俺はにやりと笑って剣を持ち上げてみせる。
「これだ」
「聖剣……でもそれで勝てる保証は」
「知るか。フラウが勝てるって言った。俺は信じるぞ。どうせ負けりゃ負けだしな」
「わかった。わたしも信じる」
シエルは口を引き結んでうなずいた。
そして同時に飛び出した。
俺は前に、シエルは空に。
「ぐ……っ」
次の瞬間、高速で飛んできた触手が右胸に突き刺さった。
多分肺まで貫いている。
が。
「――らァッ!」
そのまま触手を剣で断ち切った。
古代樹の驚きの気配を、確かに感じた。
因果の断裁も許さずに、確かに攻撃が入った瞬間だった。
空中からシエルが攻撃を加える。
白い光がいくつもいくつも古代樹に殺到して、その手前ですべてが消える。
古代樹の意識がそちらに行った隙に、俺は引き戻されていく触手をつかんだ。
体が宙に浮く。
あまりに引き戻しが速かったせいで、ついていけずに途中で空に投げ出された。
夜空。
月があって星がある。
広さはまるで果てのない海のようだ。
その水面に一瞬浸って――
俺は剣の切っ先を古代樹に向けた。
遠くから声がする。
「頑迷強度! シルクの階梯!」
瞬間、古代樹に向けて、空中に白く輝く階段がかかる。
俺はその一段目に足をかけて、走り出した。
「おおおおおおおおおっ!」
雄叫びを上げる。
向かっていく先は三対の翼で宙に浮かぶ古代樹だ。
飛来する触手を切り裂きいなし、かわし、避けきれない分はシエルに叩き落してもらって、どんどん距離を詰めていく。
遠い。
それでも一歩一歩を敵の方へとつなげる。
古代樹が大きく息を吸い込んだ。
のけぞるようにして気をためて。
ゴッ!
と吐き出した炎は今までの攻撃の中で一番の大きさだった。
このまま進めば焼かれる。
不死の回復力をも上回って削りきられるかもしれない。
が、俺は前進をやめなかった。
信じていたからだ。
「逆天獄より垂れる糸!」
火炎の塊を地上から伸びた赤く長い針が貫いた。
俺はそのまま炎の中を突っ切った。
熱さはない。痛みはない。
針は刺したものの五感情報をすべて遮断する!
抜けた先はもう古代樹の目の前だ。
俺は、聖剣の切っ先を古代樹に向けて飛びかかった。
――――その時俺が考えていたことは。
これから突き刺す古代樹の胸部の手ごたえのことでも、勝ち台詞のことでも、あ、このままじゃ勝っても湖に墜落するな、ってことでもなかった。
シエルのことだ。
シエルはやっぱりいい奴だ。
どうしても通したい自分の意思を通すってときに、言い訳をしない。
だから嫌な奴だ。
でも誠実な嫌な奴なんだ。
だから俺は。
そんなシエルと友達になりたいと、そう思った――――
剣が古代樹の胸に突き刺さった。
確かな手ごたえだった。
古代樹の大きな悲鳴が上がる。
そして突き立つにとどまらずにそのまま腹へとずるずる切り裂いてずり下がる。
下腹部まで裂いたところで剣の刀身が古代樹から抜けた。
俺は再び空中に投げ出された。
暗闇の中で自由落下が始まる。
遠く星を見やりながら、冷たい風の中を落ちて落ちて落ちて。
そのままドボンと湖に落ちて、沈んだ。
水中でまぶたを開けると、暗闇の中できらきらと泡が浮上していくのが見えた。
息を吐くと、それも泡になって浮かんでいく。
重い体から達成感が水に溶けていくような感じがした。
ああ、やったな、俺……
水面下から見上げる月が、ぼやけて輝いていた。
◇◆◇
痛みがあって。俺は目を覚ました。
激しくせき込む。
水を吐いた。さらにせき込んで、ようやく楽になった。
体は横になったまま動かなかったけど。
水の音がする。まだ湖岸か。そして夜なのも同じらしい。
溺れたのか?
でも、あれ、おかしいな……俺は不死なんじゃなかったっけ。
「どうやらそういうものらしいわね」
シエルだ。
俺はまた閉じかかっていたまぶたを開けて、声のした方を見上げた。
俺と同じく濡れねずみの少女がそこにいる。
「……そういうものって?」
訊ねるが、舌がもつれてしゃべりにくかった。
体が猛烈にだるい。
またまぶたが閉じかかる。
「聖剣発動の代償よ。使用者から莫大な生命力を吸い上げるの。不死が一時的に無効化されてる。これじゃあ聖剣というよりは魔剣ね」
「魔剣……」
「この子もそう呼べって言ってるよー」
今度はフラウの声だ。
そちらを見る。
小ぶりの剣を抱えた幼女がそこにいた。
俺はほっとした。
終わったのか。
「うん、終わったよ。終わったからこの子も休んでる。ちぢんじゃった」
この子……剣のことか?
「そだよ。もうねむいんだって。でも必要なときはまたおきるから呼べって」
「そ、うか」
よくわからないが安心した。
もう大丈夫なら、それでいい。
「古代樹は逃がしちゃったけどね。でもしょうがないわ。今は休みましょう」
グノーサに帰るのは、それからだ。
もうそろそろ俺の意識も飛びそうだった。
「お疲れ様、カズキ」
「シエルも……」
俺は手を伸ばした。
シエルがそれを取って握る。
そこでふと思い至った。
俺を水の中から助けてくれたのはシエルか。
そっか。なるほど、そうか。
「ありがとうな……」
礼を言って、そこで意識を失った。
多分、だから気のせいだったんだろう。
額を撫でる、優しい手のひらの感触なんて。
俺はそれから数時間、眠り続けた。
第二章終わりです。
次の話から第三章に入ります。




