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しあわせと呼ばれた人  作者: なつのいろ
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1.



 夢を見ていた。


 ざわざわと人の話し声がする。男、女、子ども、それぞれの笑い声が反響しては楽しそうに弾む。軽快で陽気な音楽、高らかな手拍子、それに合わせて踊る大人たちの、床を叩く靴の音。人々の高揚感が溶け込んでいるのか、空気までもが熱を持って肌を火照らせる。


 わあっと一際人々の声が大きくなった。中央で舞っていた人物が、その痩身を捻りくるくるとターンする。色鮮やかな衣装の裾がふわりと広がり、金の装身具がしゃんと音を立てて煌めいた。ゆったりと結い上げられた艶やかな黒髪には花簪や生花が品よく散りばめられ、踊り手の中性的な美貌がいっそう引き立てられている。いつもは優しく細められている目が今はただ凛と前を見据えていて、コチョウは思わずほうっと息をついた。


 やっぱり、お兄様はすごい。

 コチョウは、舞を終え人々の拍手喝さいを一身に受ける兄をきらきらした目で見つめた。



「お兄様、コチョウもいつかお兄様みたいに舞えるようになる?」



 肌触りの良い衣装を着た兄の首に両手を回し、ぎゅうっと抱き着く。慣れた手つきでひょいとその小さな体を抱き上げた彼は、なれるさと朗らかに請け合った。



「おまえもいつか舞えるようになる。そうしたら、兄妹で月を舞おう」


「つき?」


「そう、月。私たちの一族が代々受け継いできた大切な舞なんだよ」



 私も早く覚えたいと目を輝かせるコチョウの頭を撫で、彼は目を細めて優しく微笑んだ。



「コチョウ、私の大切な妹。おまえの未来がたくさんの幸福に彩られることを、兄はいつも祈っているよ」



 額に降ってきた唇がくすぐったくてくふくふ笑う。この穏やかな時間がずっとずっと続いてほしい、目を覚ましたくない。そう願ってしまうほど、幸せで懐かしい夢だった。








 目を覚ますと同時にぱたりと涙が頬を伝った。覚醒しない意識のまま見覚えのない天井をぼうっと見つめる。


 とても懐かしい夢だった。果たして本物の記憶なのかただの自分の願望なのか、初めてはっきりと思い浮かべることのできた優しい兄の姿。胸が締め付けられて、無性に切なくて涙が出た。


横になったままぱたぱたと落ちる涙をそのままにしていると、不意に髪を梳かれる感覚がした。



「悲しいの?」



 いつからいたのか、ベッドの上にルノが座り込んでいた。白魚のような手で頭を撫でながら、宝石のように無機質な目でじっとコチョウを見降ろしている。その不思議な赤い瞳を見ているうちにだんだん頭が覚醒してきて、コチョウは困惑し体を強張らせた。



「そんな怖がらなくていいって。ほら、深呼吸でもしてみたら」



 はっと息を吸い込んだ拍子に喉がかさついて、けほけほと咳が止まらなくなる。体を丸めて咳き込んでいると、氷のように冷たい手が首の後ろに差し込まれた。そしてそのまま唇が重なり、生温い水が口内に流し込まれる。驚いて吐き出しそうになるが、ゆるゆると冷たい舌が絡みついてきて気づけばこくりと嚥下していた。



「もうちょっと飲む?」



 慌てて首を横に振るコチョウに意地悪そうに笑いかけて、ルノはちゅっと可愛らしい音を立ててコチョウの額にキスをした。目を見開いて、至近距離にある端正な顔をまじまじと見る。こてんと首を傾げてみせるその少年はとても華奢で、もしかしたらコチョウよりも幼いのかもしれなかったが、その匂い立つような色気が彼を年齢不詳に見せていた。



「本当はもっと早くに迎えにいくつもりだったんだけど。あいつ、このボクが絶対大丈夫だって言ってんのにもう少し待てとしか言わなくてさ」



 ぶつぶつと文句を言いながら、コチョウの背中に手を回して起き上がらせる。



「そうそう、ボク時々コチョウのこと見にいってたんだけど、全然気づいてなかったでしょ」



 ぽかんと固まるコチョウを見て、ルノは呆れたようにため息をついた。



「まあ今はいろいろ封じ込められちゃってるし仕方ないか。そのうち嫌でもボクの気配が分かるようになるから」



 水差しを手渡されて、今度こそ口をつけてこくこくと飲み下す。その様子をまた呆れた顔で見守っていたルノは、ふと部屋の外、扉の方に視線をやった。



「いい、コチョウはただボクの言うことに頷いてればいいから。逆らわなかったらひどいようにはされないし、ボクが守ってあげる」



 指先でコチョウの頬を撫でたルノは、次の瞬間ふわりと宙に浮きあがった。そのまますいっと扉の方へと飛んでいく。そして、ばんっと音を立てて乱暴に扉が開いた。



「ネイサン、ただいま」



 首元に抱き着くルノに腕を回し、がっしり受け止めた大柄の男と視線が絡む。

 人間離れした黄金の瞳が、刺すようにコチョウを見据えた。エキゾチックな顔立ち、たてがみを思わせる深い色の髪が、男を獣のように獰猛に見せている。



「お前がコチョウか」



 名を呼ばれたことに驚いているうちに、男はコチョウのいるベッドのすぐ近くまで近づいていた。



「ルノから話は聞いてる……ふん、ルノの方がよっぽど可愛い顔してるじゃねえか」



 腕の中のルノの細い顎を掴んでコチョウと見比べる男の、少々柄の悪い話し方に思わず緊張する。男の手を逃れたルノは、またふわっとコチョウのベッドに舞い降りた。



「そりゃ、ボクに比べたらね。ねえ、この子の封印解いてあげようよ。ボクがちゃんと面倒みるからさ」



 隣に座ったルノが、するっと肩に手を回して抱き着いてくる。ルノのひやりと冷たい小さな耳がコチョウの耳を掠め、思わずびくっとしてしまう。



「あ、びっくりしちゃった? ボク体温低いから。コチョウはあったかぁい」



 むぎゅ、といっそう抱き着かれて思わず赤面する。あわあわさまよわせていた手すらルノに捕まってしまい、恥ずかしいやら混乱するやらで、ぎゅうっと目を閉じた。



「……」



 その様子をじっと眺めていた男――ネイサンは、ふむ、と顎の下に手をあてて考え込む素振りを見せる。



「ありだな、微笑ましい」



 何のことだかコチョウにはさっぱり分からなかったが、ネイサンは何やら一人で頷いている。ルノが耳元で、あいつ小動物に弱いからと囁いた。



「今日は休め。明日また来る」


「ねえネイサン、今日はコチョウと一緒に寝てもいい?」



 ルノが驚くほど甘えた声を出した。あっさり許可が出て、やったあとコチョウの頬に頬擦りする。お腹すいた?と尋ねるルノに首を横に振っていると、扉の方に向かったネイサンがふと振り返った。



「っと、まだ名乗ってなかったな。俺はネイサン。この世界の王になる男だ」



にっと不敵に笑うその横顔に思わず固まる。ルノがコチョウの髪を勝手に三つ編みにし始めたことに反応する余裕もなく、ただその雰囲気に圧倒される。

 入ってきた時と同じく勢いよくしまった扉から目を離せずにいると、ルノがあいつさ、と口を開いた。



「バカみたいだけど、本気で世界を統べる王になろうとしてるんだ」



 だからボクは、それを最後まで見届けなくちゃ。

 静かな声でそう呟いたルノは、次の瞬間にはああ見えて優しいヤツなんだぜとからっと笑った。



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