エピローグ
「ん……」
寝苦しさを感じ、総真はゆっくりと目蓋を上げる。
カーテンの隙間から差し込む朝日が、柔らかなベッドを照らしていた。時計を見れば、朝食を取るのに丁度良い時間である。
(あぁ……起きるかぁ……)
まだ寝ぼけたままの頭でそう考え。
やけに重い身体に疑問を感じ、視線を下へと動かした。
「……んぅ……」
「西加?」
己に重なるように眠る家族の姿に、目が覚める。
(ああ、そういえば。昨日は一緒に寝たんだったか)
つい先日の、時空崩壊の危機を乗り越えた後。西加はよく、総真に甘えるようになった。
家族の大切さを改めて実感した為だろう。また、総真を失いかけた事で、より傍に居たいと想ったのかもしれない。
今この状況も、そんな変化の産物である。これまではちゃんと自分の部屋で眠っていたのだが、時折こうして共に眠りたいと言い出すようになったのだ。
総真としては大歓迎である。彼にとっても西加は大切な家族であるし、前々から思っていたのだ。
(こいつはまだ子供だ。もっと周りに甘えた方が良い)
天才である彼女には、色々と複雑な事情がある。
あまりに優れた技術力を世界は放っては置かないのだ。だからこそ下手に甘える事は許されず、彼女は大人相手に大人として対応しなければならなかった。
でも、本当は子供だ。まだ十にも満たない子供なのだ。大人に甘え、守られるべき存在のはずなのである。
それを言えば総真とてまだ十七の子供なのだが、少なくとも西加よりは大人だ。だからこそ彼は、家族である西加から頼られない、甘えられない状況を、密かに歯痒く感じていた。
切欠はどうあれ、そんな彼女が甘えてくれるようになった事は素直に嬉しい。故に総真は頬を綻ばせ、寝息を立てる家族の髪を撫で。
「うわぁ……これはロリコンですね。最低です」
ドアの開く音と共に掛けられた言葉に、身を硬直させる事となった。
ギギギ、と顔を動かす。引いた顔で此方を見る冷夏と目が合った。
「いや……別に俺はだな」
「何ですか、言い訳ですか? 別に構いませんが、結論は覆りませんよ。幼女をベッドに連れ込み一夜を過ごし、あまつさえ眠る彼女を撫でながら厭らしく笑うなんて、どう見ても幼児性愛者ですし。百人が百人賛同してくれるでしょう」
「違ーう! 俺は幼児性愛者じゃないっ! 第一だな、俺と西加は家族なんだ。娘を見守る父親みたいなものなんだよ!」
「知ってますか。娘に手を出す鬼畜な父親というのも居るそうですよ」
「俺がそうだって言いたいのか手前!?」
これには総真、流石にきれた。
上半身を一気に起こし、顔全体で怒りを表す。安全の為、自身に重なる西加は抱きかかえたが、それがまた冷夏の視線を冷たくする。
「怒りの中でも幼女を抱きしめる事を忘れないとは。真性ですね。ゾウリムシに格下げです」
「こっちが直ぐに動けないからって調子に乗りやがって……! ロケットパンチ喰らわすぞっ!」
「おお怖い。自分の意見が通らなかったら直ぐ暴力ですか。屑ですね」
「言葉の暴力って知ってるか……? お前も同罪だぞっ」
「残念ですが。人と微生物じゃあ同じ法では裁けないんですよ。知りませんでした?」
ああ言えばこう言う。
一切悪びれる気の無い冷夏に、総真はこれ以上の舌戦を諦めた。正直慣れたやり取りではあるし、続けるだけ無駄に疲弊するだけだ。
(此処は俺が大人になって、受け止めてやるべきだな)
ふふん、と内心余裕を見せ付ける総真だが。
(何だか自分のヘたれ具合を、都合よく誤魔化している顔ですね)
冷夏にはお見通しであった。単純な彼の思考は実に読み易い。
とはいえ冷夏も、これ以上の罵倒は愚行だと判断し追撃を行わなかった。自身が捻くれているという自覚はあるし、ここら辺が彼の限界ラインだという事も、共に過ごす中で理解しているのだ。
双方、一瞬黙り。小さな呻き声が沈黙を破る。
「うぅ……そうまぁ……?」
「ん。起きたか、西加」
腕の中、此方を見上げてくる彼女が眠たげに目を擦る。
直後、身を丸めて抱きついて来た。
「ん~…………」
「おいおい、また寝るなよ。もう朝飯の時間だ」
「う~。もうちょっと……」
甘えるのは良いのだが、駄々っ子にもなった気がする。
そう思いながら、どうしたものかと総真は頭を搔いた。開けっ放しのドアからは、美味しそうな匂いが漂ってくる。
(今日の当番はアルトリーナだったか)
せっかく彼女が用意してくれた朝食を冷ましてしまうのは勿体無い。
心を鬼にし、総真は西加を揺さぶり起こす。漸く、半眼だった彼女の眼がきちんと開いた。
「ほら。しっかりしろ、西加」
「はかせだぁ~。まちがえるな、そうまぁ」
「分かった分かった。だからきちんと立て、な?」
まだ意識までは覚醒しきっていないらしい。
ふらふらと揺れる彼女の格好は酷いものだ。可愛らしい猫柄のパジャマは大きくずれて、素肌や下着が露になっている。
それを親か兄のように直してやりながら、総真は共にベッドから降りた。一連の動作を見ていた冷夏が大きく息を吐く。
「はぁ。とりあえず、貴方の言い分を少しは認めましょう。……早く身支度を整えて来て下さい。お腹が空きました」
呆れたように部屋から出て行く冷夏。
それを見送り、総真はもう一度頭を搔くと、
「何だか日常に戻ってきた、って感じがするなぁ」
穏やかに呟き、着替えの用意をし始めたのであった。
~~~~~~
『それでは次のニュースです。先日の時空崩壊事件に関してですが……』
朝食を食べ終え、一息ついている最中耳に入ったニュースに、お茶を飲む手を静かに止める。
じっとテレビの画面を見詰め、総真は耳を傾けた。流れるのは、先日の事件に関する情報・続報。
あの宗教組織について。その実態や供述。被害の程や時空への影響。
その中に実際に事件を解決した自身に関する情報が無いのは、西加が上手く手を回してくれたおかげだろう。彼女の繋がりは、想像よりもずっと広いのだ。
(あんまり騒ぎになっても面倒だし、良かったけど)
ほっと一安心。
総真としては、『世界を救った英雄』というのも満更では無い。彼にとて承認欲求はあるし、ちやほやされたいとも少しは思う。
だが、流石に規模が大きすぎて、現実にそんな事態になれば旨み以上に面倒事が降りかかるのは容易に想像が付いた。はっきり言って、毎日マスコミに付きまとわれるような、そんな事態はご遠慮願いたい。
(俺一人な訳でも無いしなぁ。絶対、西加やアルトリーナも巻き込まれるだろうし)
崩れずに済んだ平穏を噛み締める。
お茶を一口、口に含み……テレビから発せられた名前に意識が引き付けられた。
『続いて、現在行方不明となっている丹羽鹿野比呂容疑者についてです』
世界有数の時流者にして、此度の事件の実行犯。丹羽鹿野比呂。
彼は未だ見つかっていない。警察や各国政府が総力を上げて捜索しているが、影も形も見当たらないようだ。上手く隠れているのか、それとも――。
「時空の狭間に、呑まれちまったのかねぇ……」
ぼそりと呟き、背もたれに身を預ける。
あの状況を客観的に見れば、その可能性が最も高いだろう。今、こうして総真がこの世界に戻ってこれている事自体、奇跡のようなものなのだから。
だが。そんな理屈とは裏腹に、自身の本能は告げていた。
(多分、生きてる。あいつは、今も何処かで)
総真としては正直複雑な気分だ。
彼は自分達の住む世界を壊そうとした大罪人である。だが同時に、全力で想いをぶつけ合い、決着を付け、共にあの歪みから脱出しようとしたせいか、奇妙な友情を感じてもいた。
特に、隣に並び立ったあの時。不思議と胸が熱くなるような、そんな感覚を確かに覚えていたのだ。
「丹羽さんの事、ですか?」
朝食を片付けたアルトリーナが隣の椅子を引く。
彼女はそのまま席に座ると、ちらりとテレビに目を向けた。
丹羽の写真と共に、有識者とやらが彼について語り合っている。実際に彼の心の核に触れた総真からしてみれば、てんで的外れな意見ばかりだった。
「……世間一般じゃあいつは悪人扱いだ。でも、実際どうなんだろうって思ってさ」
「総真様は、どう思っているのですか?」
「俺か? 俺は……。俺も、あいつは間違ったことをしたと思う。それは確かだ。でも……全てが間違っている、とも言い切れない」
それは、この世界でただ一人。丹羽鹿野比呂の事情を、何故彼があんな真似をしたのかを知っているからこそ言える事だった。
総真は丹羽の事情――両親を救う為に過去に戻ろうとした――を誰にも話していない。西加やアルトリーナにさえ、だ。
何だか、話してはいけない気がした。あまりに強く、心の底から搾り出すような想いだったからこそ……彼自身の口以外からは、語られるべきでは無いと感じていた。
「あいつには、あいつの事情があった。決して譲れない事情が。それは、多くの人間が間違っていると言うかもしれないもので……でも。その想い自体は、決して悪なんかじゃなかった」
手段に、問題はあっただろう。
でも、両親を救いたいという想いは正しいはずだ。それに、大切な人達を救う為に世界中の人々に犠牲になってもらうという過程も……或いは、正しい。
(大切な人と見知らぬ人。二つが危機に晒されて、どちらか一方しか助けられないのなら、大切な人を助ける。その選択を、世界中の誰もがきっと当然だと言うだろう。当たり前で、正しい選択だ、と)
今回はただ、その規模が大きかっただけ。
ならば正しいのだ、丹羽の行いは。『見知らぬ人』が『見知らぬ人々』に変わっただけ。だから大切な人達の救済を優先した丹羽は、正しい。
「けど、それ以上に正しい想いがあった。丹羽の正しさよりも大きな正しさがあったから……あいつは負けた。きっと、それだけの話なんだ」
力だけで見れば総真と丹羽、二人に大きな差など無い。
特に世界の趨勢を巡って争っていた時は顕著だ。互いに制限された力の限界は、共に同程度のレベルにあった。
そして、そんな戦いの行く末を決定付けたのは。最後の瞬間の二人の想い。
「俺は、迷い無く自分の正しさを信じて拳を振るった。でもあいつは……少しだけ、自分よりも大きな正しさに心が迷った。その差が勝敗を決定付けた」
少なくとも総真はそう考えている。
結局は何処まで自分の正しさを信じられるか、なのだろう。そして最後まで自分の正しさを信じられた者が強いのは、良きにつけ悪しきにつけ当然なのだ。
大切な人達だけを想った丹羽と、大切な人達に加え世界の事を想った総真。正しさで言えば後者の方が大きいのは当然で、もしそれでも屈する事なく丹羽が自分の正しさを最後まで信じられていれば……この世界の行方は、運任せになっていたことだろう。
「……ですが、例え正しくとも、あの方の行為は許されるものではありません」
「あぁ、分かってるよアルトリーナ。だから余計に複雑なんだ。結末はどうあれ、きちんと表に出てきて罪を裁かれるべきだとは思う。でも同時に、あいつに情を感じている今となっては、このままひっそりと行方を眩ませているべきだ、とも思う」
「もう、丹羽さんがあのような行いをするとは思っていないのですね」
「まぁな。多分、目的を諦めてはいないだろうけど……過程を考慮するようには成った、んじゃないか?」
何とも無責任な言葉である。が、こんなもんだ、とも思う。
「どちらにしろ、血眼になって探して、ひっ捕らえてやろうなんて気は俺には無いって事さ。後は丹羽だとか警察だとか政府だとか、そこら辺の連中で勝手にやれば良い。その結果がどうだろうと、俺には関係ねぇよ」
皆に被害が及ばないならな、と付け加えて総真はぬるくなったお茶を啜る。
小難しく考えたってしょうがないのだ。四速総真という人間は単純馬鹿である。だから、その時の自分の想いに従ってまっすぐ生きる。
それが、彼という人間の短所であり、長所でもあった。
「ほんっと、適当な人間ですねぇ。勿論悪い意味で」
こっそり話を聞いていたのか、リビングのソファーに寝転がっていた冷夏がぼそりと突っ込む。
しっかりとそれを聞き、総真は苦笑。
「そんなもんさ。人間だもの」
「そんなもんですか」
これには珍しく、冷夏も納得したようであった。
はぁ~あ、と脱力し、総真は背もたれに身を預ける。テレビから流れる音だけが微かに静寂を乱していた。
――ピンポーン
「ん? お客さんか?」
静寂を破るチャイム音に、総真は椅子から立ち上がる。
隣のアルトリーナもまた立ち上がり、玄関に向かおうとするが、以前と同じ理由で抑え……ようとして、それより先に元気な声が辺りに響く。
「はーい! ちょっと待っていろー!」
西加だ。
彼女は自分の部屋に戻って研究室へ行く準備をしていたはずだが、どうやら丁度出てきたタイミングだったらしい。
バタバタと階段を駆け下りる音がする。そのまま廊下を小走りしていく彼女を、慌てて総真とアルトリーナが追った。
何せ西加、あの性格である。誰が訊ねてきたか知らないが、知り合い以外への接客には向いていない。というかまだ幼い彼女一人出すのは無用心である。
そんな訳で急いだ二人が玄関まで来た時、彼女は丁度ドアを開ける所であり。自分を棚に上げて『モニターで確認してから開けろ』と内心文句を言った総真が隣に並んだ所で、
「やぁ総真君。久しぶり」
「は……?」
一同はポカンと呆気に取られる事となった。
目の前で揺れる短い金の髪。貴公子然としながらも、何処か憎たらしい顔が己を見上げている。
端的に言えば。また、クララ・ミッシェルハートがそこに居た。
「あ、はっ? お前、何で……。もう世界大会も終わって、とっくにこの街、どころか日本から出て行ったんじゃあ」
「そうだねぇ。でも少し気が変わってね。戻ってきたんだ」
「戻ってきた? ……にしたって、何で俺んちを訪ねて来るんだよ」
露骨に嫌な顔をして言ってやれば、彼女は優雅に髪をかき上げて。
「それは君ィ。お隣さんへの挨拶というやつだよ」
「へー、お隣さん。……? お隣さん? お隣、さんんんんんんんんんん!?」
あまりの驚愕に軽く数十センチは床から離れた。
意味が分からない。しかし言葉の通りだとすれば。
「ちょ、ちょっと待て。どういう事だ、お隣さんってのはっ」
「どうも何も、言葉通りだよ。隣の家を一軒買い取ってね。僕の別荘にしたんだ」
「別荘!?」
「そうっ。貧乏人の総真君にはとても真似出来ないかな? はっはっはっはっはっは!」
あまりの非常識に、空いた口が塞がらない。
何せ此処は避暑地でも何でもない、ただの住宅街だ。そんな場所の家を買い取って別荘にする? どんな馬鹿だ、それは。
総真の脳みそはもう事態に付いていけずオーバーヒート。代わりに、少しは冷静な西加が会話を引き継いだ。
「何故そんな真似をしたのだ? まさか気まぐれとは言わないだろう?」
「なに、何れ再戦を、と約束したからね。せっかくだから君達の近くに拠点を持っておこうと思ったのさ」
嘘である。
いや、完全に嘘では無い。しかしクララがこの場所に別荘を持った理由は、もっと別。
(これで総真君と好き放題会えるぞー! やっほおおおおおおおい!)
内心浮かれっぱなしである。
澄ました顔の裏では、表情が変わらないように必死だ。気を抜けば直ぐにでも、にやけてしまいそうなのだから。
そんなクララの内情を知らず、再起動した総真は深く溜息。
どうにも碌な事になる気がしない。むしろ面倒事の臭いばかりする。
「あ、ちなみに僕が居ない時の家の管理は、彼にやってもらう事にしたから」
「彼……? げぇぇぇぇええええ! 狂三郎!」
さり気なく紹介された人物に、総真は思わず奇声を上げる。
良く見知った書生風の青年が、腕を組み厭らしい顔で微笑んでいた。
「くくく。話を取り付けるのに苦労したが……これで冷夏の傍に居られるぞっ! ふははははははははは!!」
歓喜の余り高笑いする彼の声を聞きつけたのか、リビングから冷夏が出てくる。
彼女は兄の姿を目にした途端、露骨に顔を歪めた。次いで何となく事情を察したのか、すっと懐からスタンガンを取り出して。
「とりあえず、えい」
「あばばばばばばばばばばば!?」
「良くやった冷夏! もっとやれ!」
感電する狂三郎を見て、総真は追撃の指示を出す。
普段は反発するだろう彼女もこの時ばかりは従った。容赦なく電撃が乱れ飛ぶ。その度狂三郎の奇声が上がり、あっと言う間に黒焦げ死体の出来上がり。
「死ぬものかぁぁぁあああ! 僕は冷夏の結婚式を見るまで死なないんだぁぁぁぁああああああ!」
(仮にその時が来ても、お前は邪魔するんじゃないだろうか……)
総真が内心で突っ込み。
「はぁ……」
冷夏が諦めたように首を振る。
一方で、西加とアルトリーナはクララと睨み合っていた。彼女等はあまり反りが合わないらしい。
朝から何とも騒がしく面倒な空間で。しかし、総真は。
「まぁ、これが世界を守った結果ってんなら……仕方が無いか」
言葉とは裏腹に楽しそうに笑って。とりあえず、襲い掛かってきた狂三郎を殴り飛ばしたのであった。
~~~~~~
――父さん、母さん。
俺は今、生きています。貴方達の居ない世界を。貴方達の代わりに、選んだ世界を。
二人がどう思うのかは俺には分からない。けど少なくとも、俺は信じる。この選択が、決して間違っていなかったのだと。
だって、こんなにも楽しいから。前を向いて歩く事が出来て、それを支えてくれる人達が居るから。
だから、父さん母さん。俺は今日も生きていきます。全力で、精一杯に。
――夏の青空に。微笑む両親の姿が見えた、気がした――
『スピード・クロッカー』 完
スピード・クロッカー、これにて(一旦)完結となります。
此処まで読んでくださった皆様、真にありがとうございます。本当はこの後の話なども構想はあったのですが……中途半端になりそうだったので、此処で完結とする事にしました。
もしまた、続きを書く事があれば。或いは新しい小説を書く事があれば。その時は読んで頂ければ幸いです。
それでは、最後にもう一度。此処まで読んでくださった皆様、本当にありがとう御座いました!




