エマという奴隷
その日、俺はこの世界が少しも優しくない事実を思い知った。
吊るされた人々、それを見ながら野次を飛ばす人々。
指を差し含み笑いであざ笑う群衆。
罪状の書かれた紙を手に重々しい表情を浮かべているのは判事のような役職の者だろうか。
処刑人は顔まで隠すフードをかぶり、ただ黙って立っているばかりだった。
「クソ! 気分が悪くなる!」
歯を食いしばっても思わず漏れてしまった俺の言葉を、同乗していたエマだけが聞いていた。
俺は宿に入ってもなかなか気分が浮上せず仰向けに寝転がっていた。
前世の日本人としての良識では「死者に鞭打たず」とか「死は人に与えられた最後の尊厳」とか生き物の生死を娯楽として扱うべきではないと言った常識?倫理観が俺にはある。
余所の国ではどうか知らないが、生前は敵であった者にも死よりあとはその尊厳を踏みにじらないのが普通だと考える日本人も多いはずだ。
もっともそれは戦後平和教育をされた俺達の時代特有の物なのかもしれないが
そんな前世の倫理観が俺にこの世界とのカルチャーショックを与えていた。
吊るされていた者達が誰が見ても「野盗」や「強盗」といった犯罪者らしくなかったというのも関係していたかもしれない。
むしろ一般市民のような恰好をしていて中には年端のいかない子どもまでいたのだ。
彼らの罪が公開処刑されるようなどんな罪に値したのかわからないが、それを指さし、喜んで見ているとしか思えないような群衆に反吐が出る。
「王国法には、禁止されているのに」
いや言っていて俺もわかっていた。
禁止はされていなかった。消極的な表現で「推奨できない」というような内容の記述があっただけだ。
「この世界どうなってんだよ」
その言葉の答えは自分の中にあって分かっているのだが、思わず呟いてしまっていた。
王国法はあくまで地方領の中では拘束効果のない指針としての効力しかなく、領内では「領法」というべきものがあって
それは地方領主の裁量によって制定されているのだ。
つまり領民の生死は領主一人が握っていると言えるのだ。
もちろん政治は領主一人で出来る物でもないから、その配下というか部下達もいる。
だが、部下や配下の者が全員領主のイエスマンであれば、治世は領主一人の独壇場だと言えるのだ。
「ショックでしたね」
エマが声をかけてきた。
「王都では他に娯楽がいくらでもありますから、ああいった事はまずないのですけれど、地方には地方のやり方があるという事でしょうが、気分がいいものではないですね」
エマは30歳代のとりたてて特徴のない女だった。
だが、知性的で落ち着いている。仕事も丁寧だし、気もまわる。
そんな事が気にいりかけていた。
奴隷なのだが、前の主人が変わり者だったらしく、彼女に学問など色々と教えたようだ。
俺達の前に貴族の女老主人に仕えていた事があり、そこでは彼女達の話し相手もしていたらしい。
その時の女老主人に自分の意見をはっきり言う事を求められ、難しい政治的な話にもつき合わされたそうだ。
彼女が奴隷商に戻されたのは、女がそんな小難しい話をすることを厭う老女主人の息子によるものらしい。
随分とその男は狭量であると思う。
彼女は求められなければこういう話に口を出してこない事が普通だったが、俺の様子に思う事があったらしい。
「ああ、反吐がでそうだ」
「そうですよね。お湯をお持ちしました。身体を拭けばすっきりとして少しは気分がよくなるかも… 」
言いかけて、エマは苦笑を浮かべた。
「そんなものでは良くなる訳ないですよね。私とした事が…」
「ご主人様のお肌は綺麗ですから、私、もっと手をかけてお手入れしたくなってしまいますわ。気がついておられました? 宿の娘がご主人様に見とれてぽーっとなっておりましたわ」
俺はエマの話題の変換に乗っかる。
どんなに思う事があっても俺にはどうにも出来る事なんてないのだから。
「皿を落としていたな」
あの時の娘の顔を思い出してフっと笑う。
宿の娘は俺の顔を見て固まり、次の瞬間顔を真っ赤にして頬に手をやったのだ。ー手に皿を持っている事を忘れて。
エマは俺の身体を拭くための準備を整えていった。
「まるで何か演目の場面のようでしたわね」
王都であった歌劇にそんなシーンがあったのかも知れない。
彼女の元主人は随分と彼女を気にいって普通奴隷を連れていかないであるう劇場まで一緒に行っていたらしい。
俺は上半身裸になり、背中側をエマに拭いてもらった。
さすがに前側と下半身は自分で処理したが、自分で拭き終わって寛いでいるともう一杯お湯をもらってきてくれた。
「髪も洗いますね」
タライ一杯のお湯で上手に髪を洗い、すすぎまでしてしまう。エマの手際はとてもいい。
洗い終わった後は何度も布を絞って水気をふき取り、いい香りのする香油を刷り込んで肩や脹脛をマッサージしてくれる。
土ふまずをグニグニとマッサージされて俺は夢の中に落ちてしまった。
エマは俺を寝かしつける天才に違いない。




