第4話 音の止まった織機
ノルトハイム侯爵領は、風の色が違った。
王都の風は香料と噂を運ぶけれど、北の風は羊毛と冷気と、働く人の汗の匂いを連れてくる。
織房へ着いた瞬間、私はその空気の重さに気づいた。
大きな工舎に並ぶはずの織機が、半分以上止まっている。床には切れた糸、隅には売れ残りの反物、職人たちの顔には疲れが濃かった。
「ようこそ、とは言いにくい状況だ」
低い声で迎えたのが、クラウス・ノルトハイム侯爵だった。三十八歳。灰青の外套を無造作に羽織り、挨拶も簡潔だ。
「イリス・ヘルツォークです」
「聞いている。衣装台帳に強いそうだな」
「台帳と見本帳で食べてきました」
「それなら助かる。うちは今、帳簿も在庫も賃金も噛み合っていない」
彼は取り繕わずに言った。
私は工舎を見回す。王都の貴族ならまず言い訳から始めるところを、この人は現状をそのまま差し出してくるらしい。
「案内してください」
最初に見たのは在庫倉庫だった。青銀糸の棚は半分しか埋まっていない。納品印の付いた木箱はあるのに、中身が足りない。帳簿上は十六束受領、現物は九束。それも撚りが甘く、銀膜が均一すぎる。
「これ、正規品ではありません」
すぐに口から出た。
クラウスの目が細くなる。
「見ただけで?」
「王都の礼装にも似たものが使われていました」
私は一本取り出して折り曲げる。正規の青銀糸は折っても芯が残るが、これはぺたりと潰れた。
「偽物です。しかも急いで作られています」
「本物はどこへ行った」
「それをこれから調べます」
そう答えると、工房長らしき女性が奥から出てきた。四十六歳のエルザで、頬のこけた顔に気骨がある。
「お嬢様、まず賃金台帳を見てください。三か月前から差額が出てるんです」
賃金台帳もひどかった。支払い済みの判が押されているのに、受取印が別人の癖をしている。工女たちは満額を受け取っていない。
「王都だけじゃなく、ここでも」
思わず漏れた言葉に、クラウスが私を見た。
「王都でも帳簿が消えたのか」
「ええ。だからここに来ました」
「なら、いい」
いい、とは何だろうと思う前に、彼は続けた。
「黙って耐える人間を寄越されたら終わりだと思っていた」
その率直さに、少しだけ肩の力が抜けた。
止まった織機の間を歩く。手入れされていない木枠、乾いた油、積まれた失敗布。
この織房はまだ死んでいない。ただ、誰かが意図的に息を詰まらせている。
「侯爵閣下」
「クラウスでいい」
「では、クラウス様。まず三日ください」
「三日で何がわかる」
「誰が糸と金を抜いたかの入口くらいは」
彼はほんの少しだけ口元を緩めた。
「その顔の方が、灰色の控えドレスより似合う」
私は驚いて瞬きした。
王都では一度も聞けなかった種類の言葉だった。




