第31話 見本帳に残る銀針の符号
救い出した帳簿を乾かしながら、私は母の見本帳をもう一度開いた。
盗まれた見本裂の代わりになるものはない。けれど見本帳の余白に、以前から気になっていた細い針穴が並んでいる。偶然にしては規則的すぎた。
「これ、銀針で打った符号です」
私は灯りを斜めに当てた。三つ、五つ、一つ、四つ。頁ごとに並びが違う。
エルザが顔を寄せる。
「数字かい?」
「たぶん棚番です。工房の古い保管箱番号」
母の補助台帳と照らすと、針穴の並びは《見習い登録箱・婚資布箱・教会控箱》を指していた。最後の教会控箱に付いた符号だけが二重になっている。
翌朝、私は北方教会の保管室で古い婚姻控えを出してもらった。そこには母が結婚前、銀梭工房の見習い登録者として私の幼名を添えていた記録があった。
『見習い承継予定者 イリス・ヘルツォーク』
私はしばらく声が出なかった。
母は最初から、誰かに奪われた時のために逃げ道を残していたのだ。血筋ではなく、手を動かした者へ工房を渡すために。
クラウスが静かに紙を受け取る。
「十分か」
「これだけでは私的控えです。でも、継承証と税台帳と組み合わされば、公的な流れになります」
銀針の符号は、母からの手紙みたいだった。
大声では守れないものを、母は針の深さで残していた。
私も同じように守ればいい。
布も仕事も、未来も。




