第12話 工女長エルザの古い鍵
その夜、エルザが小さな鉄鍵を持ってきた。
「あんたに渡すべきものを、ずっと迷ってた」
差し出された鍵は古く、柄に青糸が巻かれている。
「これは?」
「先代工女長だったあたしの母が、ヘレーネ夫人から預かってた。『もしイリスが一人で北へ来ることがあったら渡して』って」
胸の奥が強く鳴った。
「母が?」
「ええ。あの人は、王都がきな臭くなってから、北へ何度も書状をよこしてたよ」
案内されたのは、工舎裏の使われていない小部屋だった。古い織枠と染料壺の奥に、細い鉄箱が隠れている。鍵はぴたりと合った。
箱の中には書類がぎっしり詰まっていた。
北方織房から王都衣装局へ送った正規納品票の写し。
工女ごとの実支給額控え。
そして、母ヘレーネの手紙。
『王都で青銀百合の管理権をめぐる動きがある。私に何かあれば、本頁ではなく写しと補助台帳を信じなさい。継承印は人の言葉より強い』
視界が滲んだ。
母は気づいていた。
だから北へ写しを残したのだ。
さらに箱の底から、切り取られた見本帳の写しが出てきた。原本ではないけれど十分だった。青銀百合の頁には、裏へ落とす二針の図、継承印の位置、そして正式管理者欄に私の名が記されている。
『次期筆頭衣装係候補 イリス・ヘルツォーク』
手が震える。
私の名は最初からあった。
「これで十分です」
声がかすれた。
「家が何を言おうと、宮廷の正式継承書式に沿ってる」
クラウスが手紙と写しを見比べる。
「これを王都へ持ち込めば、あちらはかなり困るな」
「まだ足りません。家の欲では言い逃れされる。北方織房の搾取と宮廷衣装局の裏金までつなげたい」
箱にはもう一つ、レイヴン商会宛の支払控えがあった。支払名義はヘルツォーク伯爵家ではなく、『祭礼管理室特別口』。
ルシアンだ。
私は書類を一枚ずつ並べた。
「王都衣装局の裏帳簿さえ押さえれば、線になる」
「取れるのか」
「取ります」
エルザがふっと笑う。
「やっとあんた、北の顔になってきたね」
「北の顔?」
「泣いてるのに、手はもう次の帳簿を探してる」
そんなふうに見えるのかと、自分でも少し驚いた。
でも確かに、悲しみで止まるより先に、私は書類の順番を整えていた。
母が残したのは慰めではなく、仕事の続きだ。
なら私は、それを受け取る。




