第11話 縫い代に隠れた印
北方侯爵家の古い衣装庫には、誰も手を付けていない祭礼服がいくつも眠っていた。
北は王都ほど華美を好まないから、役目を終えた礼装はきれいに畳まれたまま保管される。私はその中から、十年前に王都から返却されたという青銀の儀礼上着を取り出した。
「それ、肩が裂けて使えなかったやつだよ」
エルザが言う。
「裂け方が不自然です」
縫い目ではなく、わざわざ百合紋の裏側だけを傷つけてある。私は慎重に裏地をほどいた。
すると縫い代の奥から、細い青糸で小さな印が出てきた。
四本線のあとに一点。
見覚えがある。
「母の印です」
「ヘレーネ夫人の?」
「ええ。急ぎの検収を通した布にだけ、裏へ残す癖がありました」
私は補助台帳をめくる。母の癖は、数字と一緒に私の中へ染みついている。
『四本線一点は、見本帳に未掲載の継承印』
私は息を止めた。
見本帳に未掲載。つまり切り取られた青銀百合の頁には、ただの図案ではなく、継承に関わる何かがあったのだ。
「継承印?」
クラウスが背後から覗き込む。
「宮廷衣装局には、祭礼正装を管理する家ごとの非公開印があります。見本帳の本頁と台帳が揃わないと、正式継承は認められません」
「君の家のものだったのか」
「本来は、母から私へ引き継がれるはずでした」
でも母は急逝し、その後は父と義母が家の実務を握った。私は衣装局で働き続けたけれど、家側の継承手続きだけは先延ばしにされたままだった。
セレナが『本物の令嬢』として祭礼へ出たがる理由が、少しだけ見えた。
華やかさの問題じゃない。
家と祭礼に付随する権利そのものを欲しがっているのだ。
「この印があるということは」
「切り取られた頁が、継承の証拠になっている」
私は裂けた儀礼上着を抱えたまま、しばらく動けなかった。
母はきっと、私に全部託すつもりだったのだ。
それを誰かが途中で抜き取り、私には『地味な裏方』の席だけを押しつけた。
「イリス」
クラウスの声は低く落ち着いていた。
「今の顔は、怒っていい顔だ」
「怒っています」
「なら使え」
私は頷いた。
怒りは刃にもなるけれど、今は針にする。
縫い代の中へ隠された印みたいに、見えない場所から確実に刺していくために。




