苺の花【後篇】
風間のお母さんが亡くなって数か月後、倉持――真吾の方――に呼び出された。
「うす」
何と言っていいかわからなくてそう言ったら、倉持は整った顔立ちの真ん中あたりに深い皺を刻んだ。
「うすじゃねぇよお前、人の結婚式に出もしねぇで」
「すまん、おめでとう」
風間が出席するとわかっている場所にノコノコと行くのはさすがに気が引けたので、式は欠席し、お祝いを送るだけにしておいた。どっちにしろこのお坊ちゃま君の結婚式なんて俺には場違いすぎて何を着ていけばいいのかもよくわからないレベルなので、欠席出来てラッキーだったとも思う。でも、一つだけ心残りがある。
「奥さん見たかった。SNSで写真チラ見したけど、お前、趣味変わった?」
ゴージャスな美人が好みだったはずの倉持の隣で笑っていたのは、モンチッチみたいな女の子だった。そんなこと言ったらぶっ飛ばされそうなのでもちろん口には出さないが。
「……別に趣味は変わってねぇ」
そう答えた倉持はちょっと不機嫌そうだった。
「そうか? カオムネケツは?」
こいつのかつての価値序列だ。
「あー……ムネに関しては妥協したと言わざるを得ない」
その不機嫌な顔が、高校時代から変わらない照れ隠しだとわかってしまうと、面白くてしょうがなかった。
ぷすっ。
思わずふき出した。
「仁、笑ってんじゃねぇよ、お前」
「でも、幸せそうだなって写真見て安心した。で、なんであの子だったの?」
「それ、皆に聞かれるんだけど。そんなの理由なんかあんのか」
「いやぁ、お前くらい色々あるとさ、何が決め手になるんだろうなって思って。きれいな人も性格いい人も、頭いい女も、選び放題だったろ?」
「放題ってほどじゃねぇ」
「で?」
「理由なぁ。わかんねぇんだよなぁ。性格がいいのも、優しいのも間違いないよ。でも適度に意地っ張りだったり天邪鬼だったり、ときどき性格悪いこと言い出したりもする」
おい、ちょっと待て。
「それ……普通ってことじゃね?」
「その通り。普通の子だよ。ああ、あとは、一緒にいると楽しいってのはあるな」
「楽しい、ねぇ」
「デートなんて正直、誰としても楽しいだろ? 話題の映画を見りゃそこそこ盛り上がるし、夜景見ながら美味い飯食って、オシャレなバーで一杯飲んで、スイートに泊まれば、よほどのことがない限り大満足コースだ」
「すげぇな」
そんなデートしたことないわ。主にお財布事情的に最後のひとつが絶対に無理だしな。スイートて。俺はついこないだまで「sweet room」だと思ってたくらいだ。甘い夜を過ごせる部屋、的な。なんて破廉恥なんだと思ってたが、破廉恥なのは俺の脳みそだったことを知って顔から火を噴きそうだった。まぁ、スイートの意味を勘違いしてる奴は俺だけじゃないと信じているが。
「ゲームとしては楽しかった。満足してもらえるか、とかな。なんつーか、仕事みたいな。『最高の夜だった』って言われれば達成感もあるし」
達成感。
デートに求めるものが俺と違いすぎて、意味がわからない。
「ドライだなぁ」
「まぁな」
「で? 今の奥さんにはそういうことをしないの?」
「まぁ、ハナから期待されてないからな。たまにいいレストランに行くとうまそうに食うけど、いつもだと気が張るから嫌だって言われるし、買い物もあんま行かないし。散らかし魔で物が増えると管理できないからって、あんまり色々欲しがらないんだ。バッグは穴があくまでは使うって言われて仰天したくらい。でもハルカとは、家でゴロゴロしてるだけで楽しい」
倉持はさらりと言った。
「なるほど」
「結局、気が合う、とかそんな説明に落ち着くんだろうな」
「……ふぅん、案外ありふれた理由なんだな」
「そんなもんよ。んで、お前は?」
「……俺?」
「なんで伊藤だったんだよ」
まぁ、その質問、くるよな。
「……卑怯者だと、思ってんだろ?」
思ってる、と言われたらどういう反応をすればいいのか。
自分の中で準備が整わないまま破れかぶれに言ったら、倉持は肩をすくめた。
「いや、思ってない。だってお前、祐樹と別れたあとアプローチしたんだろ? 順番逆だったらぶん殴ってるけど、そこを死守してっからな。誰にもお前を責める権利はないわけよ。別れた後までアプローチしちゃいけないってなったら、そりゃお前、世の中独身だらけになっちまう」
その返答に、思わず悪態をついた。
「くっそ、お前もかよ」
「何がだよ」
「風間もお前も、誰も俺を責めない」
そう言うと、倉持はニヤニヤしながら言った。
「十字架おろしたいのに、おろせないねぇ」
「くっそ」
「だからまぁ、こういう機会を作ったわけだ。お前もそろそろその重い荷物下ろせよ。楽になるぞ」
倉持はそう言って立ち上がった。
やっぱり、デカい。
隣に立たれると、威圧感がある。
そして倉持は、俺の肩をぶっ潰そうと思ってるんじゃないかってくらいの力で肩をぐりぐりと押さえた。
「まぁまぁ、あとは若いお二人でごゆっくり」
なんだ、それ。
若いお二人って――
「見合いじゃないけどな」
倉持の言葉に冷静にそう答えたのは、風間の声だった。
振り返り、その姿を確認する。
「よぉ」
風間が片手を上げて立っていた。
「おぉ」
「久しぶりだな」
そう言いながら俺の隣に腰を下ろした風間は、何か老けていた。
お互い三十過ぎたからな。お肌も曲がり角か。
「こないだ母親の葬式で苺花に会った。来てくれてさんきゅって言っといて」
「うん」
風間は俺の方は見ず、倉持が残して立ち去った酒のグラスを見つめていた。
「……おまえ、まだ気にしてる?」
そう問われて「何を」と聞き返すほどの大馬鹿ではない。
「……まぁ、そりゃあ」
「そりゃそうだよな。俺も気にしてたし」
「うん、そりゃそうだ。風間、す……」
「いま謝るのはナシ」
即座に遮られ、苦笑した。
すまん、と言いかけていた。
「母親への恨みも相まって、吹っ切るのに時間がかかった。でもそれは俺の問題で、お前のせいじゃないし、別に俺がお前に対して腹をたてるようなことじゃない」
「でも俺、お前が苺花と付き合ってたときから、苺花のこと好きだったんだよ。別れねぇかなと思ってた」
「そうか。まぁ俺もこの四年間思ってたから。おあいこだろう」
「思ってたか」
「心の中で思うのは、自分でもどうしようもないからな」
「うん」
「『苺花と結婚することになった』って言われたときに、殴るか罵るか、それか気にするなって言ってやるか、そのどれかの選択肢を取れば仁が楽になるってわかってたんだ。わかってて、敢えてどれもしなかった」
「うん」
あのときにそこまで俺の気持ちを把握してるっていうのがすごいな。
俺は風間の考えてることが全然わかんなくて、冷静な風間を前にただひたすらに怯えてたってのに。
「十字架背負って苦しめ、と思った」
「そうだよな」
「なんで仁なんだよ、とも思ったし」
そうだよな。
「相手が仁だから真吾とかにも話しにくいわ、同窓会は行けないわ、ホントに参ったよ」
「すま……」
「謝るな」
鋭く言ってから、風間はため息をついた。
「でもまぁ、仁でよかったんだろうな」
「……そうか?」
「真吾が相手だったらたぶんもっとヤキモキしてたけど、お前ならたぶん、苺花にひどいことはしないだろうと思えるし」
「まぁ、あいつよりはな」
比較対象が悪すぎる。
女の敵みたいな奴と比べてマシだと言われても、あんまりうれしくない。
それが顔に出ていたのだろう。風間がブハッと笑った。
風間のそんな姿は珍しくて、それに久しぶりで、なんか嬉しかった。
「だからまぁ、おあいこだよ」
「そうかねぇ」
ほとんど自分のことを話さない風間がこんなにしゃべるのは、やっぱり俺の気持ちを軽くするためじゃねぇかなって気がするけど。
「俺、好きな人できたからさ。やっと、『もう気にするな』って心から言ってやれる」
「そうか」
よかった、本当に。
俺の罪が軽くなるからっていうのも、たぶんある。ずるい俺の考えそうなことだ。
だけど、それだけじゃない。
風間に好きな人がいるという事実が、純粋に嬉しかった。
「それ……付き合ってる人……ってこと?」
「いや、まだだよ」
「まだ?」
「まぁ、いずれな」
いずれ付き合う予定なのか。よくわかんねぇけど。
「会わせろよ、いずれ」
「んー、どうしようかな。お前に会わせたら盗られるからな」
容赦ない言葉に、俺は情けない声を上げた。
そんな俺を、風間は笑う。
「嘘だよ。いずれな。まぁ、それよりもまず、俺がちゃんと付き合わないと」
「……無理そうなの?」
「どうだろうな。ただ、今は遠いんだ」
「遠い?」
「アメリカにいる」
「そっか。どんな子?」
「大きくて細い」
「なんだそれ」
「苺花に初めて会ったときの仁の感想をパクったんだよ」
小さくて丸っこい、っていう、アレか。
「よく覚えてんな、つぶやいただけなのに」
高二のときだぞ。何年前だ。
「苺花が体型を気にしてんのに、お前が面と向かって丸っこいなんていうから、そのあと苺花のことなだめるのに苦労したんだよ」
風間は懐かしそうに目を細めた。
もう、十五、六年も前になるか。
「そうだったのか」
「そのあとしばらく、仁の話が出るたび『丸っこい、の人』って不機嫌になってたからな」
「知らなかった」
「だろうな」
フッと、笑う。
「まぁ、そんなわけだからさ」
「うん」
「俺は俺で幸せだし」
「よかった」
「貴俊も真吾も結婚したし、四人組で残るは俺だけか」
「たしかに」
そうか、あの四人組は、まだ有効か。
俺だけ抜いて、三人組になったかと思っていた。
一緒にバカやって、一緒にリレーを走った四人組。
ふつうアンカーが一番モテるのに、しかも俺は二人も抜いてクラスを一位に導いたのに、運動会の後に話題をさらったのは第一走者だった倉持――真吾の方――だった。イケメンっていうやつはどこまでも得をするのだと、社会の仕組みを思い知った瞬間だった。
「今度また四人で集まろう」
風間がポン、と肩に手を置いた。
――俺は。
俺は、
俺はこの、
これを、
この言葉を、
この空気を、
この瞬間を、
待ち続けて。
自らが壊したくせに、
いつまでも捨てきれずにいた。
捨てたつもりで、結局。
何か、口から音が出た。
「いや、さすがに泣きすぎだろう」
風間に笑われている。
「くっそ、とまんねぇっ」
うっとか、おうっとか、変な声が出た。
「お前にハンカチは貸さないぞ」
「いや、持ってるなら貸せよ」
「ハンカチくらい自分で持ち歩け。お前、普段汗拭くときどうしてんだよ」
「ビジネスバッグには入れてる」
「しょうがねぇな、はい」
渡されたのは明らかに新品のハンカチタオルだった。
準備のよさが気持ち悪い。
そう思ったのがバレたのか、風間が鼻で笑った。
「お前のために持ってたわけじゃない。気持ち的にしんどい子がいつ泣き出しても貸せるように、持ち歩く癖がついたんだ」
「なんだそれ」
「あーたぶん俺、あの頃にはもう好きだったんだな」
風間は一人で何かに納得しているらしかった。
「アメリカにいる、大きくて細い子か」
「そうそう、ちなみに名前はマリカ」
「げっ」
苺花、に名前が似すぎだ。
「でも、苺花とは正反対だよ」
「大きくて細いし?」
「体型もだけど、中身もな。弱そうに見えて強い。ジンをショットで飲み干すような子だ。良い子だよ、本当に。見てて歯がゆくなるくらい」
「お前……今日、よくしゃべるね」
恋愛とかそういうこと、聞いても聞いても教えてくれないタイプだったのに。高校時代、そういうお年頃だった俺がヘッドロックかまして鼻息荒く聞き出そうとしたのに、何一つ語らなかった。
「まぁ、久しぶりの再会だし。相手がお前だし。会えてうれしいし」
くっそ。
「お前、それ、わざとだろっ」
「なにが?」
風間はすっとぼけた顔で言ったけど、絶対にわざとだ。
俺を泣かせるようなことを言っておいて、泣き顔をちゃっかり写メって笑っているこいつは、きっと四人組の中で一番性格が悪い。
でもどうしてか、嬉しいんだよな。
お前が目の前で笑ってることが。
それがたとえ、俺の泣き顔写メをSNSにアップしてタグ付している悪魔の笑顔だったとしても。
恋愛小説なのに、なぜいい年した男の会話なのか……
すみません。。




