第39話 鏡合わせの自分
いきなり腕を掴まれて、教室内に引き摺り込まれた朔夜はすぐに正気に戻り手を掴んだ相手を見た。そこには自分がいた。
「……」
しかし気配は隠世のものだ。朔夜は天邪鬼が自分に化けたのだとすぐに察する。天邪鬼は笑いながら朔夜の手を離した。
「恐れたな? 恐れは僕の力になる。ありがとう」
天邪鬼が化けた朔夜が口を開く。声や話し方も朔夜にそっくりでまるで自分の前に鏡があるように感じる。
「隠世の住人を僕が恐れるわけがない。それに、君は人の考えを読んでそれと反対の事をするんだろう? だったら僕が恐れたら君は恐ろしくない存在になるんじゃないのか」
朔夜は後退しながら、天邪鬼から距離を取る。天邪鬼は心を読むとわかっていても朔夜は強がり、声に発して自分は恐れていないと言い聞かせる。言霊はある。コウ達と分離されたのは予定外だ。
朔夜は弱気にならないように自分を奮い立たせる。朔夜に戦闘は無理だ。出来ることは境界の、いや空間の操作だけ。しかし、それには神楽が必要となる。1対1では朔夜は無力に等しい。
しかし、朔夜はそれを感じさせないように、強気にいく。
「何故、わざわざそこまで反転させる必要があるんだ? 自分に不利になることはするわけない」
「狡賢い事で」
朔夜は少しでも好機を探す。しかし、天邪鬼は攻撃を仕掛けてくる様子はない。それが朔夜にとって不気味で仕方なかった。
ジリジリと窓際に無って朔夜は後退する。とうとう、窓枠に背中がぶつかってしまった。これ以上は後ろへはいけない。
「この学校で何をする気?」
「君の願いを叶えてあげようと思ってさ」
ニヤリと朔夜の顔で下品な笑みを浮かべる。朔夜は無意識にスカートに刺している扇子を押さえた。
「僕の願い?」
「本当に君は境界の安寧を願っているのか? 周りの普通に暮らしている人達に憧れ、本当はやりたくないんじゃないの」
「……」
そんなことはない。朔夜は断言できた。しかし言葉が出ない。天邪鬼が朔夜の姿で話しかけている。それだけで、本当は無意識に自分はそう思っているんじゃないのかと思わせる。
天邪鬼は人を惑わす妖だ。朔夜の姿をして精神を惑わそうとしている。朔夜はそれを理解した。
このまま、精神攻撃を続けられたら負けるのは自分だと無意識に考えてしまう。ごくりと生唾を飲み込む。
天邪鬼が話すごとに精神が蝕まれていくように感じた。
「そんな事はない。僕は現世の事に興味はない」
「本当に?」
朔夜の心を見透かしたように笑いながら自分の顔をした妖は笑う。握った拳が震え始めている事に朔夜は気づいた。
まずいと思う。天邪鬼の術中に朔夜は嵌ってしまっている。それを理解した。
自分が引き摺り込まれたのも朔夜の心の弱さを読まれたのかもしれないと考えてしまう。コウとゆうは人外の為、天邪鬼はきっと眼中にない。
そして翔は思った事を口に出し、裏表がない。きっと天邪鬼と相性が悪い。足手纏いは翔ではなく朔夜だった。そう気付いたことが朔夜をさらに絶望させる。
その時不意に朔夜の頭の中に1年ほど前に隠世に行った時の記憶が蘇ってきた。鬼の首魁の宴に招待された時のことだーー。
♢♢♢♢
「ーーか。俺にそんな名をつけるとはな」
隠世の酒呑童子の屋敷で酒瓶を傾けながら朔夜の前に座っている着物姿の美丈夫が豪快に笑う。
朔夜は気にした様子もなく、出されたお茶を飲む。
「そもそも酒呑童子って固有名詞なの? 僕ら人間と同じで種族名じゃない? それを呼ぶって感覚が僕にはわからない。ようは、君らが僕を人間って呼ぶようなものだろう」
「はははっ、それは面白い発想だな。管理人とこんなに語らうのは初めてだが、昔からもっとちょっかいかけておけばよかったか」
朔夜の言葉に酒呑童子は本当に楽しそうに笑う。そして、酒瓶を置き、朔夜の方に身を乗り出す。
「ま、俺はお前が気に入ったから、何かあったらその名で呼べ、そしたらお前の元にすぐに行ってやる」
酒呑童子は楽しそうに朔夜を見る。酒宴に招待された時から薄々感じていたが、この最強の鬼は朔夜に親しみを持っているようだ。しかし、朔夜は境界と隠世の安寧を願っているが、隠世の住人と仲良くしようという気はない。
「僕が君を呼ぶ事はないと思うよ」
朔夜はもう一度お茶で口を潤して真っ直ぐに酒呑童子の目を見て答える。その反応が新鮮だったようでまた、酒呑童子は豪快に笑うと酒を煽った。
「そうか、でも可能性はないわけじゃねぇだろ? 俺は呼ばれるのを楽しみに待ってるぞ」
諦めの悪い酒呑童子を朔夜はなんとも言えない表情で見返したのだった。
♢♢♢♢
そんな酒呑童子とのやり取りが走馬灯のように蘇ってきた。朔夜は考えた。しかし、これしか方法はない。
きっと酒呑童子の名を呼ぶことでこの隔離された空間に呼び寄せることができる。朔夜はそう確信していた。
拳を握りしめ、朔夜は覚悟を決める。境界を、隠世を守るためには必要な事はわかっている。だったら迷っている時間は無駄なだけだ。口の中が緊張で乾燥している。しかし気にせずに朔夜は口を開いた。
そして、一つの名前を口にする。
「天童、きて」
朔夜がその名を呼ぶと朔夜と天邪鬼の間の空間が淡く光る。光は徐々に縦へと伸びていき、人型を形成する。
「よぉ、朔夜。やっと呼んだな? 待ちくたびれたぜ」
そして淡い光が消えると、最強の鬼ーー酒呑童子が不敵な笑みを浮かべてそこにいた。
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次回は、明日20時に更新予定です。
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