第28話:玉座の対話
玉座の間に二人だけがいた。
護衛は倒れていた。煙が薄れていた。天井の高い石造りの空間に、足音だけが響いた。
カールが歩いた。
皇帝は動かなかった。玉座の前に立っていた。
十歩の距離になった時、皇帝が口を開いた。
「座れ」皇帝は言った。
玉座の前の石の床を指した。
「座る必要はない」カールは答えた。
「そうか」
皇帝は自分が玉座に座った。カールを見下ろす位置になった。意図的な配置だった。しかしカールは気にしなかった。見下ろされることと、見下されることは別の話だ。
「ここまで来た、か」皇帝は言った。
「来た」
「私の話を聞くか?」
「話、だと?」
皇帝は少しの間カールを見た。評価している目だった。廃神殿で見た目と同じだった。価値を測っている目だった。
「祝福制度が始まったのは、五百年前だ」皇帝は話し始めた。
カールは黙って聞いた。
「五百年前、この大陸は戦乱の時代だった。国が乱立し、毎年戦争が起きていた。民衆は苦しんでいた。安定がなかった。秩序がなかった。その時代に、初代皇帝が祝福制度を作った」
「加護ある者が支配し、加護なき者が従う制度か」
「そうだ。加護は能力の証明だ。能力ある者が判断し、能力なき者は従う。感情や欲望ではなく、加護という客観的な基準で序列を決める。それが初代皇帝の設計だった」
「その結果、帝国の秩序が生まれた」
「生まれた。戦乱が終わった。国が統一された。民衆が安定した生活を送れるようになった。五百年間、この大陸に大規模な戦争はなかった」
カールは皇帝を見た。
「その秩序を守るために、化学魔術師を処刑した」カールは言った。
皇帝は頷いた。「そうだ」
「加護なき者が理を語れば、秩序が乱れる、と」
「そうだ」皇帝の声は変わらなかった。「加護の序列が絶対でなくなれば、序列全体が崩れる。序列が崩れれば、何が基準になるか分からなくなる。基準がなくなれば、また戦乱の時代に戻る。それを防ぐために、加護なき者が理を語ることを禁じた」
「村を燃やしたのも同じ理由か」
「同じだ」皇帝は答えた。「化学の知識が広まれば、加護なき者が力を持てることが証明される。証明されれば、序列の根拠が揺らぐ。根拠が揺らぐ前に、根を断つ必要があった」
カールは少しの間黙った。
「エレンも同じか」
「同じだ。加護はあるが、加護なき者の研究に関わっていた。放置すれば同じ問題が起きる。しかしその加護は帝国に有用だった。だから保護した。使えるものは使う。使えないものは排除する。それが帝国の原則だ」
「分かりやすい論理だ」とカールは言った。
「そうだろう。シンプルだ。感情が入らない。感情が入ると判断が歪む。歪んだ判断は間違いを起こす。だから感情を排除した基準が必要だ」
「加護がその基準だ」
「そうだ。五百年間、機能してきた基準だ」
カールは一歩前に出た。
「その基準で、グレッグは処刑された」
「そうだ」
「その基準で、俺は追放された」
「そうだ」
「その基準で、村が燃やされた」
「そうだ」皇帝は答え続けた。一つも否定しなかった。「全てその基準に従った。個人の感情ではなく、帝国の原則に従った。帝国のために必要なことをした」
「帝国のために」とカールは繰り返した。
「そう。帝国のために。平和をもたらす秩序のために、だ」
カールは皇帝を見た。
五十年以上生きてきた人間の顔だった。皇帝として生きてきた人間の顔だった。疑いのない顔だった。自分の論理を正しいと思い続けてきた人間の顔だった。廃神殿で見た時と同じ顔だった。
変わっていなかった。
今日の出来事を見ても、変わっていなかった。魔術師団が倒れても、飛行艇が落とされても、奇跡の証拠が広まっても、神官長が倒れても、城に侵入されても。皇帝の論理は変わっていなかった。
「一つだけ聞く」カールは言った。
「何だ」
「五百年前に戦乱が終わったのは、祝福制度のおかげか」
皇帝が少し止まった。
「そうだ」と言った。
「確認したか」
「何を」
「祝福制度がなくても、別の方法で戦乱が終わった可能性があるかどうかを」
皇帝は答えなかった。
「確認していない」カールは言った。「確認する必要を感じなかっただろう。祝福制度が機能していたから。しかし別の可能性がなかったという証明はない。ただ一つの方法を選んで、その結果が五百年続いた。それだけだ」
「結果が全てだ」皇帝は言った。
「結果を出すために、どれだけの人間を排除したかを数えたか」
「数えていない。必要ない」
「俺は数えていないが、知っている」カールは言った。
「グレッグ一人だけじゃない。俺の村だけじゃない。五百年間、加護なき者が理を語るたびに処刑された。研究が広まりそうになるたびに、根ごと消された。それが五百年続いた。その人間たちの数は、お前の帝国の記録には残っていない。記録に残さなかった。日常業務だったから」
皇帝は答えなかった。
答えを持っていないのではなかった。答える必要を感じていなかった。排除は必要なことだった。必要なことは記録に残す必要がない。それが皇帝の論理だった。
「分かった」カールは告げた。
「何が分かった」
「お前の言っていることが全部分かった。論理として理解した。反論もできる。しかし、しない」
「なぜしない」
カールは外套の内側に手を入れた。
「お前を説得するためにここに来たわけじゃないからだ」
長い柄の形をした物を取り出した。
それは杖型の爆弾だった。
ゲンツが作った。カールが設計し、ゲンツが製造した。城への侵入前に手渡されていた。杖のように見えるが、内部に爆薬が詰まっていた。特定の手順で起爆できる代物だった。
「俺の手で、秩序とやらを乱してやる」カールは言った。
静かな声だった。宣言の声ではなかった。確認の声だった。
「お前の秩序を。お前が五百年かけて作った秩序を。加護なき者が理を語ることで、乱してやる。今日、ここで」
皇帝が立ち上がった。
「魔導核がある」肯定派告げた。
「エレンの制御が切れた。魔導核は不安定だ」
「不安定でも起動できる。暴走するかもしれない。しかしお前を止めることはできる」
「起動すれば帝都が消えるかもしれない」
「帝国の秩序のためなら許容できる」
皇帝の目だった。計算している目だった。この場合の損失と利益を計算している目だった。
カールは皇帝を見た。
その目を見た。
帝都が消えてもいいと計算できる目だった。民衆が死んでもいいと計算できる目だった。秩序のためなら許容できると計算できる目だった。秩序を優先する。そんな目だった。
「魔導核を起動しろ」カールは言った。
皇帝が止まった。
「起動してみろ」カールは続けた。「エレンの制御が切れた後、魔導核がどうなるか確認しろ。確認してから、俺を止めろ」
皇帝は命令を出していなかった。
ゲンツの情報では、魔導核の起動は皇帝の直接命令が必要だった。命令を出していなかった。
なぜか。
エレンの制御が切れた後の魔導核の状態を、皇帝自身が把握していないからだった。計算できない状況では、命令を出せない。
カールはその隙間を見ていた。
「計算できないものには手が出せないか」カールは言った。
皇帝は答えなかった。
「五百年間、計算できるものだけを動かしてきた。計算できないものは排除してきた。しかし今日、計算できないものが玉座の前まで来た」
杖型爆弾を持った手が動いた。
「これが俺の答えだ」




