第24話:殲滅詠唱
城への侵入経路を確認した直後に、空が変わった。
昼間だった。雲がなかった。青い空だった。
その青さが失われた。
白くなった。
光だった。点光源ではない。空全体が発光していた。帝都の上空全体が、均一な白い光に満たされていた。
「何だ」ゲンツが言った。
カールは空を見た。
光の質が分かった。魔術の光だった。しかし規模が違った。これまで見てきた魔術の炎や雷とは、次元が違う規模だった。帝都全体を覆うような魔術を発動できる人間が、帝国に何人いるか。
「エレンだ」カールは言った。
スーケリーが空を見た。「あの光は」
「殲滅魔法だ。帝都全域を対象にした燃焼魔術だろう。風属性の加護が増幅器になって、炎属性の魔力を帝都全体に展開している」
「帝都全体が燃えるのか」
「燃やすつもり、かな」とカールは言った。「皇帝が命令し、エレンを使って、帝都ごと焼き払う。俺たちごと。民衆ごと」
三人は止まった。
カールは手にしている装置を見た。酸素濃度制御装置の小型版だった。中央広場で使った装置より効果時間も短く、効果範囲は広場規模ではなかった。しかし原理は同じものだった。
「起動する」カールは言った。
「範囲が足りない」ゲンツが言った。「帝都全域の魔術に、この装置が対抗できるか」
「完全に止めることはできない。だが、俺たちの周囲だけでも直撃は避けられるだろう。それと」
「それと」スーケリーの問い。
「エレンの詠唱に干渉できるかもしれない。あの規模の魔術は、起動してから完成まで時間がかかる。完成する前に燃焼条件を不安定にさせれば、詠唱が崩れる可能性がある」
「可能性か」
「それしかない」
カールは小型装置を起動した。
空の白い光が揺らいだ。
揺らぎは小さかった。しかし確実に揺らいだ。光の均一さが崩れた。一部が明るく、一部が暗くなった。燃焼条件が不安定になっている証拠だった。
魔術師たちが混乱した。詠唱を補助していた魔術師たちが、自分の魔術が不安定になっていることに気づいた。
しかし光は消えなかった。
完全に止まらなかった。エレンの加護の規模が大きすぎた。装置の効果は、やはり空間全体に及ばなかった。部分的に崩れているが、他の部分では詠唱が続いていた。
「完全封印にはならない」ゲンツが言った。
「分かっている。だが、完成も遅れている。今のうちに動く」
その言葉に応じるように、三人は城に向かって走った。
城の北側の入り口に向かう途中で、視界が開けた。
広場に繋がる道だった。
エレンが見えた。
広場の中央に立っていた。白いローブが光に照らされていた。両手を広げていた。空に向かって。詠唱が続いていた。声は聞こえなかった。しかし口が動いていた。
カールは足を止めた。
一秒だけ止まった。
エレンの瞳が見えた。距離があった。しかし見えた。
いつもと違った。
光のない瞳ではなかった。焦点のない瞳でもなかった。何かが揺れていた。制御装置が干渉を受けて、エレンの意識に隙間が生まれていた。その隙間の中で、エレンが今自分が何をしているかを認識し始めていた。
認識して、戸惑っていた。
両手を広げたまま、動けない状態で。詠唱を止めようとして、止められない状態で。装置が制御し続けているから、体は動き続ける。しかし意識は戻りかけている。その状態で、自分が帝都全体を焼こうとしていることを理解し始めていた。
カールはその瞳を見た。
頭の中で何かが動いた。
エレンを助けに行く、という考えだった。今、装置への干渉が起きている。意識が戻りかけている。今なら何かできるかもしれない。装置を外すことはできないが、詠唱を物理的に止めることはできるかもしれない。エレンの体に近づいて、動きを止めれば、詠唱が中断するかもしれない。
一秒の間に、その考えが来た。
そしてカールは、その考えを捨てた。
今エレンに近づけば、護衛の魔術師が動く。制圧されれば皇帝に辿り着けない。皇帝が生きている限り、次の命令が来る。エレンを一時的に止めても、皇帝が別の命令を出せば、また始まる。
根を断つ必要がある。
根は皇帝だ。
カールは前を向いた。
走り始めた。
スーケリーが隣に来た。何も言わなかった。カールが止まったことも、動き始めたことも、見ていた。しかし何も言わなかった。
ゲンツも走っていた。
三人は城に向かって走った。
空の光が揺れ続けていた。
完成しかけて、崩れかけて、また完成に向かう。そのサイクルが続いていた。装置の干渉と、エレンの加護の力が拮抗していた。
帝都の民衆は外に出られなかった。建物の中に留まっていた。空が白く光り、揺れていた。何が起きているか分からなかった。しかし外に出れば危険だということは分かった。
城内では、皇帝が報告を受けていた。
「聖女の魔法が不安定です。完成しかけて崩れています」
皇帝は立ち上がった。
「なぜだ」
「爆炎師が酸素制御装置を使用しているようです。燃焼条件を崩している可能性が」
「持ち運んでいるのなら、小型の装置のはずだ。帝都全域の魔術を止められるはずがない」
「完全には止まっていません。しかし詠唱が不安定になっています」
皇帝は窓から空を見た。白い光が揺れていた。
「爆炎師はどこにいる」
「城に向かっているようです。北側から」
皇帝の目が動いた。
「聖女の魔法が封じられた」とは言わなかった。封じられてはいない。しかし機能していない。「爆炎師を直接始末する」と言った。「城の内部に入れるな。北側の全ての経路を塞げ。魔術師を集中させろ」
「燃焼系の魔術師は」
「酸素制御の影響が及ばない経路を通れ。装置の効果範囲の外から攻めれば問題ない」
「はい」
側近が走った。
皇帝は窓から視線を外した。
空の白い光が、また揺れた。
エレンの加護が揺らいでいた。制御装置が不安定だった。魔導核もエレンの加護に依存していた。エレンが完全に制御を失えば、魔導核も不安定になる。
しかし今はまだ保っている。
保っている間に、爆炎師を止める。それだけだった。
皇帝は机に向かった。
次の命令を書いた。
書きながら思った。爆炎師が城に入ることを止められなかった場合、最後の手段がある。魔導核を不完全な状態で起動する。エレンの加護が不安定でも、起動すれば何かが起きる。制御できない暴走になるかもしれない。しかしそれでも、爆炎師を止められれば。
皇帝はその考えを持ちながら、命令書を書き続けた。
空の光が揺れ続けていた。




