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理(ことわり)を焼く爆炎師~五元素の加護なき男、物理法則を武器にして魔導帝国へ復讐する~  作者: いわん


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第2話:詠唱は遅すぎる

 城壁の継ぎ目を指で確認した。

 石と石の間に、わずかな隙間がある。雨水が長年かけて削った溝だ。帝国の建築師は魔術で壁を強化することばかり考えて、物理的な劣化を見落とす。加護があれば補修も魔術で済む。だから石の性質を観察しない。岩が水に弱いことを、改めて学ぼうとしない。

 カールは溝に指をかけ、体を引き上げた。

 第三城壁の北側。衛兵の巡回が最も手薄な区画。魔術感知の結界が張られているが、結界が探知するのは魔力の流れだ。魔術を使わない人間の動きは、原則として拾わない。帝国の防衛設計は、魔術師が魔術師を迎え撃つことを前提にしている。

 加護なき者が侵入してくるとは、想定していない。

 城壁を越えた。内側の庭に降り立つ。着地の音を殺すため、靴底には布を巻いてある。荒削りだが機能する。魔術的に洗練された装備は何一つ持っていない。全て自分で考えた道具だった。

 目標は城の西棟だった。


 三年前のことを、カールはよく思い出す。

 望んでいるわけではない。ただ、体が覚えている。石畳の感触、兵舎の臭い、書類が机に落とされる音。意識しなくても浮かんでくる。

 帝国軍化学部隊。カールが二十四の時に配属された部隊だった。

 化学部隊というのは名ばかりで、実態は雑用係に近かった。魔術師部隊の補助、物資の管理、陣地の設営。化学の知識を活かす場面はほとんどなかった。それでもカールは研究を続けた。燃焼の仕組み、爆発の条件、薬品の反応。夜間に文献を読み、休日に実験した。

 上官のドレス大佐は、それを快く思っていなかった。

「加護なき者が何を研究している」

 最初は嫌味だった。次第に妨害になった。実験道具が消える。文献が紛失する。報告書が握り潰される。直接的な暴力はなかった。帝国軍は規律を重んじる。しかしドレス大佐には、規律の範囲内でできることを全てやる種類の執念があった。

 処分が下ったのは三年前の秋だった。

「化学部隊における加護なき隊員の継続配属は、部隊の士気および将来的な発展の観点から適切でないと判断する。よって当該隊員を追放処分とする」

 ドレス大佐が書類を机に置いた。

 カールは書類を読んだ。一度読んだ。もう一度読んだ。内容は変わらなかった。

「異議は」とドレス大佐が言った。口元に笑みがあった。

「ありません」とカールは言った。

 笑みが少し崩れた。怒ることを期待していたのかもしれない。あるいは泣くことを。しかしカールはどちらもしなかった。書類を折り畳んでドレス大佐に返した。

「この書類は不要です。内容は覚えました」

 それだけ言って、部屋を出た。

 兵舎に戻り、私物をまとめた。多くはなかった。文献数冊と実験道具一式。それだけだった。門を出る時、振り返らなかった。

 振り返る必要がなかった。

 ドレス大佐の顔は覚えた。それで十分だった。

 故郷へ帰ると、村は燃やし尽くされていた。「カールの研究は不要」と判断した帝国軍の判断だった。

 カールは、家と研究資料、そして、家族と幼馴染を村ごと失った。


 現在。

 西棟の廊下を進みながら、カールは油の入った皮袋を確認した。霧状に散布できるよう、袋の口に細工してある。点火用の火花石も確認する。問題ない。

 足音がした。

 角を曲がった先に、魔術師がいた。

 帝国軍の紋章を付けた白いローブ。火属性の加護持ち、とカールは判断した。手の動きで分かる。火属性の魔術師は待機中も無意識に指を動かす。炎を呼ぶ動作が染み付いている。

 魔術師がカールを見た。

 一瞬の静止。

 それからローブの袖を捲り、詠唱を始めた。

 帝国の魔術は詠唱が必要だ。短いものでも三秒。長いものは十秒を超える。詠唱の間は精神を集中させなければならない。中断すれば魔術は霧散する。それが帝国式魔術の構造だった。

 カールは皮袋の口を開いた。

 霧状の油が廊下に広がった。空気に混じり、見えなくなる。油の粒子が漂う。魔術師の詠唱が続いている。あと二秒か三秒で完成する。

 カールは火花石を打った。

 廊下が燃えた。

 爆炎ではない。引火だ。霧状に広がった油が一瞬で燃え上がる。火は空気を伝って広がる。魔術師が詠唱を完成させる前に、炎が廊下を満たした。

 魔術師の声が途切れた。

 詠唱が中断された。炎が中断させた。

 カールは壁際に張り付き、炎をやり過ごした。燃えるのは油だ。油がなければ燃えない。自分がいる壁際には油を撒いていない。計算通りだった。

 炎が収まった。

 廊下に魔術師が倒れていた。

 カールは歩き寄った。魔術師は生きていたが、動けなかった。ローブが燃え、皮膚が傷んでいた。目が見開かれていた。信じられないものを見る目だった。

「なぜだ」と魔術師が言った。掠れた声だった。「お前、加護が……ない、はずだ」

 カールはしゃがみ込んだ。魔術師と目線を合わせた。

「魔法が弱いんじゃない」とカールは言った。

「お前たちがそれしか知らないだけだ」

 立ち上がった。

 先を急ぐ必要があった。城内の別の衛兵が気づく前に、目標を達成しなければならない。今夜の目的は城内の地図を確認することだった。次の侵入に備えた下見だった。

 廊下を進みながら、カールは考えた。

 詠唱に三秒かかる。それは変わらない。帝国の魔術師がいくら精鋭でも、詠唱の速度に限界がある。しかし油の引火に三秒はかからない。火花石を打てば、それで終わりだ。

 魔術は強い。しかし速くはない。

 加護がなければ考えるしかない、とドレスは言わなかった。ドレスが言ったのは「加護なき者に未来はない」だった。しかしカールは考えた。加護がないから考えた。考えたから、気づいた。

 詠唱は遅すぎる。

 それだけのことだった。


 城の外、帝国軍の詰所に伝令が飛び込んだ。

「西棟で爆発が。魔術師のグレン殿が……加護なき者に、やられたと」

 詰所の隊長が顔を上げた。

「何を言っている」

「加護なき侵入者が、魔術師を」

「馬鹿な」

 隊長は立ち上がった。馬鹿なことが起きた。そういう顔だった。想定の外にある事態が起きた時の、人間特有の顔だった。

 カールはその頃、すでに城壁の外にいた。

 来た道を戻りながら、今夜得た情報を整理していた。西棟の構造、衛兵の配置、魔術感知結界の範囲。次に来る時の準備が整った。

 夜風が冷たかった。

 カールはそれを心地よいと思いながら、宿への道を歩いた。


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