第18話:判事の最期
バルト判事が動いた理由は、皇帝の直接命令だった。
ゲンツの情報で分かった。皇帝が前線の将軍への指示を止め、直接命令を出し始めた。その最初の命令の一つが、バルト判事を使った民衆への示威行動だった。
「なぜ判事を使うのか」とスーケリーが聞いた。
「帝国の秩序の象徴だからだ」とカールは答えた。「判事は法と秩序の体現者だ。その判事が爆炎師を捕縛することで、帝国の秩序が依然として機能していることを民衆に見せる。飛行艇が落とされた後の、信頼回復のための動きだ」
「場所は」
「帝都の中央広場を使うという情報がある。最も人が集まる場所だ。民衆への示威効果を最大にするための選択だろう」
カールは地図を見た。中央広場。グレッグが処刑された場所だった。
「俺も行く」とカールは言った。
「判事を仕留めるためか」とゲンツが聞いた。
「それだけじゃない」
カールは式典の調査で集めた証拠を手に取った。メモ帳と試験管だった。試験管の中身はすでに分析していた。触媒の種類が特定されていた。帝国神官庁の技術部門が秘密裏に製造している特殊な酸化触媒だった。市場では手に入らない。神官庁以外には製造できない物質だった。
「奇跡の証拠だ」とカールは言った。「広場で使う」
中央広場に人が集まっていたのは昼前だった。
バルト判事の親衛隊が広場の周囲を固めていた。三十人以上いた。魔術師が六人混じっていた。判事自身は広場の中央に設置された台の上に立っていた。処刑台ではなかった。演説台だった。
民衆が集まっていた。強制的に集められた人間もいた。自発的に来た人間もいた。何が起きるか見に来た人間もいた。広場は埋まっていた。
バルト判事が口を開いた。
「帝国の秩序を乱す者どもが、帝都の周辺で暴虐を続けている。しかし帝国の法は揺るがない。本日、皇帝陛下の命により、爆炎師とその一味を捕縛する。加護なき者が帝国の秩序に刃向かう罪は死だ。処刑台に送ってやる」
民衆の間にざわめきが広がった。
カールは人混みの中にいた。信者の服装に着替えていた。先日の式典と同じ変装だった。懐に証拠の道具を持っていた。
ゲンツは別の位置にいた。スーケリーは広場から見える建物の屋根の上にいた。
バルト判事が続けた。「帝国の魔術は神聖だ。五元素の祝福は民衆を守る力だ。その力を否定し、秩序を乱す者は、帝国の敵だ」
カールは前に出た。
人混みをかき分けた。広場の中央に向かった。衛兵が気づいた。
「止まれ」と衛兵が叫んだ。
カールは止まらなかった。演説台の前まで来た。バルト判事が見下ろした。
「お前は」とバルト判事が言った。
カールを認識した。顔が変わった。
「爆炎師だ」と誰かが叫んだ。
広場がざわめいた。
魔術師たちが詠唱を始めた。衛兵たちが動いた。
カールは懐から道具を取り出した。小さな台座と、いくつかの薬品瓶だった。
「止まれ」と衛兵が叫んだ。
「止める必要はない」とカールは言った。大きな声で言った。広場全体に届く声で言った。「見てもらった方がいい。帝国の奇跡が何だったかを」
民衆が静まった。
カールは薬品瓶を台座に置いた。式典で確認した手順を再現した。酸化触媒を特定の比率で混合した。散布装置を組み立てた。神官庁の香炉が行っていたのと同じ散布だった。
「帝都の大広場で、毎月行われている治癒式典を見たことがある者はいるか」とカールは言った。
返事はなかった。しかし多くの民衆が頷いた。
「あの式典で起きる奇跡。病人の傷が癒える奇跡。あれは聖女の加護ではない」
バルト判事が台の上から叫んだ。「黙れ。不敬だ。帝国の神聖を」
「これが正体だ」
カールは道具を使用した。
触媒が空気中に散布された。特定の波長の光と組み合わせた。式典で見た手順を、材料を使って再現した。
小さな光が走った。
台座の上に置かれた傷ついた布が、回復するように変化した。生体組織の再生を促進する反応が、材料の上で起きた。
民衆が見ていた。
「この薬品の反応だ」とカールは言った。「香炉に触媒を仕込み、特定の光と組み合わせる。それだけで起きる化学反応だ。祝福も加護も関係ない。帝国は何十年も、この反応を奇跡と呼んで民衆に見せてきた」
静寂があった。
「嘘だ」とバルト判事が言った。「でたらめだ。帝国の神聖を冒涜する者は」
「式典で使われた空気を採取した」とカールは続けた。「分析した結果がある。神官庁の技術部門だけが製造できる触媒が含まれていた。帝国自身が製造した薬品で、帝国の奇跡を演出していた」
バルト判事が台の上で動いた。
「捕縛しろ」と叫んだ。「今すぐ捕縛しろ」
魔術師たちが詠唱を完成させようとした。
スーケリーの装置が発射音を上げた。屋根の上から三百メートルの距離で放たれた鉛塊が、魔術師の結界を貫通した。先頭の魔術師が倒れた。詠唱が中断した。
ゲンツの電気装置が広場の入り口で作動した。衛兵が倒れた。
カールは発煙筒を投げた。広場に煙が広がった。
「帝国の秩序とやらの正体はこれだ」とカールは言った。煙の中で言った。広場全体に届く声で言った。「加護なき者の処刑も、聖女の奇跡も、全部この構造の中にある。見えないようにして、信じさせて、従わせる。それが帝国の秩序だ」
バルト判事が台から降りようとした。
カールは近づいた。
「グレッグを覚えているか」とカールは言った。
バルト判事が止まった。
「加護なき化学魔術師を処刑した。記録にも残さなかった。日常業務だと思っていた」
バルト判事の顔が変わった。覚えていない、という顔だった。それが何よりも正確な答えだった。
「覚えていないか」とカールは言った。「そうだろう。日常業務だったから。名前も残さなかった。存在を消した。それが帝国の秩序だ」
薬品瓶を取り出した。
バルト判事が後退しようとした。
煙の中で、カールは手を動かした。
広場の煙が晴れた時、バルト判事の親衛隊は制圧されていた。
魔術師が三人、ゲンツとスーケリーの連携で倒れていた。衛兵の多くが煙の中で動けなくなっていた。バルト判事自身は倒れていた。
カールは広場の中央に立っていた。
民衆が見ていた。
逃げた者もいた。しかし多くが残っていた。
残っている者たちの目が、変わっていた。
恐れと混乱と、もう一つ何かが混じっていた。カールには、その何かを言葉にすることができなかった。信じていたものが崩れた時に人間の目に出る、名前のない感覚だった。
「帝国の奇跡の正体を見た」とカールは言った。残っている民衆に向かって言った。「信じるか信じないかは、それぞれが決めることだ。俺はただ、見せただけだ」
それだけ言った。
三人は広場から離れた。
帝都の情報部本部に報告が届いたのは夕方だった。
情報部長ハインケルは報告を最後まで聞いた。
「バルト判事が制圧された」と言った。
「はい。広場で爆炎師が式典の奇跡の再現を行い、民衆に触媒の使用を示しました。バルト判事は制圧されています。民衆の多くが現場を目撃しました」
ハインケルは立ち上がった。「情報の封鎖は」
「遅かったかと。目撃者が多すぎます。すでに広場の外に情報が広がっているようです」
「神官長に連絡しろ」ハインケルは言った。「聖女の権威が揺らぐ前に手を打つ必要がある。それと」
「はい」
「皇帝への報告は私が行う。今夜中に」
ハインケルは窓の外を見た。
帝都の夕暮れが始まっていた。魔術の灯りが一つずつ点り始めていた。
その灯りが、今日から少し違う意味を持ち始めたかもしれない。
ハインケルは廊下に向かった。今夜中にやることが増えた。




