第17話:雷と針
飛行艇が現れたのは、朝の霧の中だった。
最初は音だった。低い振動音が地面を通して伝わってきた。それから影が霧の上に落ちた。影が大きくなった。
「何だ」とゲンツが言った。
空を見た。
霧の中から巨大な船体が現れた。帝国の飛行艇だった。魔術で浮力を得た大型の艦艇で、帝都防衛の切り札として知られていた。実戦で使われたのは過去に二度だけだという。城砦の攻略と、大規模反乱の鎮圧。いずれも圧倒的な火力で決着をつけたという記録がゲンツの情報に含まれていた。
しかし実際に見るのは、三人とも初めてだった。
大きかった。
全長は百メートルを超えているように見えた。船体の両側に魔術師が配置される砲台が並んでいた。船体下部には投下口があった。城砦を攻略する際に使う爆弾の投下口だと、ゲンツの情報にあった。
「まずい」とスーケリーが言った。
「退く」とカールは言った。
判断は速かった。
飛行艇の砲台が動いた。中にいる魔術師から火炎が放たれた。着弾点が爆発した。カールたちがいた場所から三十メートルの距離だった。
三人は走った。
雷撃が来た。地面が裂けた。炎と電撃が交互に降り注いだ。飛行艇は追尾してきた。速度はそれほど速くなかったが、高度があった。地上からは攻撃しにくい。スーケリーの装置で狙えるかもしれないが、船体が分厚ければ鉛塊では貫通できない。
廃工場の地下通路に逃げ込んだ。
飛行艇の攻撃が止んだ。地下には届かない。
「あれは無理だ」とゲンツが言った。息が切れていた。「地上の兵器では届かない。対処できない」
「分かっている」
「どうする」
カールは地下通路に座り込んだ。天井を見た。飛行艇の振動音が上から伝わってきた。
「あれを落とす方法を考える」と言った。
三週間かかった。
ゲンツとスーケリーが中心になって開発した。カールは理論を担当し、二人が設計と製造を担当した。分業は自然に成立していた。
原理は電磁誘導だった。
ゲンツが電気装置を作り続けてきた経験の延長にあった。強い電流を瞬間的に流すことで、磁場を発生させる。その磁場の中に鉄の塊を置けば、磁場の力で鉄塊が加速される。加速した鉄塊は高速で飛ぶ。
「理論は分かる」とゲンツは言った。「問題は電力だ。音速を超える速度を出すためには、通常の電気装置とは比べ物にならない電力が必要になる」
「蓄電できるか」とカールは聞いた。
「時間をかければできる。充電に数時間かかる。充電が終われば一発撃てる。撃てばまた充電しなければならない」
「連射はできないか」カールが問うた。
「できない。装置自体も巨大になる。運搬も難しい」
「固定式でいい」とカールは言った。「一発で十分だ。当たれば落ちる。落ちれば飛行艇は使えなくなる」
「外れたら」
「充電して、もう一発撃つ」
ゲンツとスーケリーが顔を見合わせた。
「一発でいい」とスーケリーが言った。「飛ぶ物を狙うのは私の仕事だ」
装置が完成したのは二十三日後だった。
全長三メートルを超える筒状の構造だった。内部に複雑な電磁コイルが巻かれていた。先端から鉄塊を込める。充電が完了したら解放する。それだけの仕組みだったが、設計と製造は複雑を極めた。
試射は一度だけ行った。
廃工場の長い通路を使った。鉄塊が音速を超えた瞬間、轟音が発生した。対岸の石壁に当たった鉄塊は、石壁を貫通した。
「当たる」とスーケリーが言った。
「装置が壊れかけている」とゲンツが言った。試射後に装置を確認しながら言った。「一発撃つたびに内部が損傷する。何発撃てるか分からない」
「何発必要だ」とカールは聞いた。
「一発で十分だ」とスーケリーが答えた。
飛行艇が再び現れたのは、充電が完了した翌日だった。
情報通りだった。ゲンツの情報網が飛行艇の出動スケジュールを掴んでいた。三日おきに哨戒飛行を行うという情報だった。
三人は丘陵地の上に装置を設置していた。発射装置を回転台座に固定した。発射角度を調整できるようにしてあった。
飛行艇が現れた。霧はなかった。青空の中に巨大な船体が浮かんでいた。
「距離は」とスーケリーが言った。
「八百メートル」とゲンツが答えた。「射程内だ」
スーケリーが装置の角度を調整した。飛行艇の速度と方向を見た。飛行艇は一定の速度で直進していた。予測射撃が必要だった。今ある位置ではなく、鉄塊が到達する時に飛行艇がいる位置を狙う。
「着弾位置、確認」スーケリーが言った。「撃て!」
ゲンツが解放装置を操作した。
轟音が発生した。
鉄塊が飛んだ。見えなかった。音速を超えていた。
一秒後、遠くに見える飛行艇の船体に変化が起きた。
船体の中央部分に穴が開いた。穴から煙が出た。内部で何かが爆発した。飛行艇が傾いた。
魔術で浮力を維持していた機構が破壊されたのだろう。傾きが増した。制御を失った。
轟音とともに飛行艇が落ちた。墜落し、地面に当たり、爆発した。
遠くからでもわかるほどの煙が上がった。
スーケリーが呟いた。「当たった」
ゲンツが答えた。「当てたのはお前だ」
スーケリーは答えなかった。装置を見ていた。内部が損傷していた。もう一発撃てるかどうか分からない状態だった。
カールは墜落した飛行艇を見ていた。
煙が空に向かって上っていた。帝国が誇る空の要塞が、燃えながら地面に横たわっていた。
それでも、終わった、という実感がなかった。
何かを達成した時に来るはずの感覚が来なかった。飛行艇を落とした。それは確かだった。しかし次にやることがある。バルト判事がいる。神官長がいる。エレンがいる。皇帝がいる。
順番にするべきことが残っていた。
その夜、装置を荷車に乗せ、三人は廃工場の内部に戻った。
装置の損傷を確認しながら、ゲンツが作業していた。カールとスーケリーは壁際に座っていた。
しばらく沈黙が続いた。
スーケリーが口を開いた。
「エレンを見捨てるの?」
カールは答えるまでに少し間があった。
「違う」と言った。「優先順位だ」
「優先順位」スーケリーは繰り返した。反論でも納得でもない言い方だった。「飛行艇を落とした。魔術師団を倒した。騎士を倒した。結界を破った。それだけのことができた。でも、エレンのことは後回しにしたまま」
「エレンの首の装置を外す技術者が必要だ。神官長を片付ければ技術者が残る。今動けば技術者ごと失う。それが理由だ」
「それが全部の理由か」
カールは答えなかった。
スーケリーは続けた。「大聖堂で接触して確認した。首の装置の構造を把握した。外科的に外せると判断した。それからずっと後回しになっている。飛行艇を落とす時間があった。その時間でエレンに近づく方法を考えることもできたはずだ」
「できなかった。飛行艇がいる間は動けない」
「動けなかったのか、動かなかったのか」
カールは黙った。
ゲンツが作業を続けていた。何も言わなかった。しかし手が少し遅くなっていた。聞いていた。
「俺が答えを出せないでいることは分かっている」カールは言った。
「理由は説明した。その理由が全部かどうかは、自分でも確認できない」
スーケリーは壁に寄りかかった。「確認できないということは、別の理由がある可能性があるということか」
「ある」
「何だ」
カールは少しの間黙った。
「分からない」
「分からないから後回しにしているのかもしれない。それが怖さなのか、合理的な判断なのか、自分では区別できない」
スーケリーは、カールのその言葉に何も言わなかった。
ゲンツも何も言わなかった。
沈黙が続いた。廃工場の外から風の音がした。
「神官長を片付けた後は」とスーケリーが言った。
「エレンのことを考える」
「約束するか」
カールはスーケリーを見た。「約束する」
スーケリーはようやく頷いた。それ以上は言わなかった。
ゲンツが作業に戻った。装置の内部を確認しながら、低い声で言った。「修理できるかもしれない。時間がかかるが」
「頼む」カールは言った。
「また出番があるかもしれない」
三人は各自の作業に戻った。
帝都の皇帝執務室に報告が届いたのは夕方だった。
側近が報告書を持ってきた。
「飛行艇ヴァルハン号が撃墜されました」と言った。「遠距離から放たれた鉄塊が船体を貫通したとのことです」
皇帝は書類を置いた。
「飛行艇が落とされた、と?」
「はい」
しばらく沈黙があった。
「あれを作るのに何年かかったか」皇帝は聞いた。
「七年かかりました」
「七年かかった飛行艇が、加護なき三人の人間に落とされた」
「はい」
皇帝は立ち上がった。窓の外を見た。帝都の夕暮れが広がっていた。魔術の灯りが一つずつ点り始めていた。
「前線の将軍に伝えろ」皇帝は言った。
「爆炎師への対応を全て止めろ」
「止める、とは」
「私が直接指示を出す」皇帝は振り返った。
「これ以上将軍に任せていても結果は変わらない。次の手は私が決める」
側近が一礼して退出した。
皇帝は窓の外を見続けた。
飛行艇が落ちた。魔石が溶けた。魔術師団が全滅した。騎士の障壁が破られた。川が燃えた。結界が岩で破られた。
全て、加護のない三人の人間がやった。
皇帝は七年前に飛行艇の建造を命じた時のことを思い出した。帝国の力の象徴として作らせた。加護ある者たちが空を支配するという思想の体現として。
それが今日、落ちた。加護のない者の手によって。
皇帝は机に戻り、新しい書類を取り出した。
直接、命令を書くためだった。




