第16話:質量
沈黙の魔術師エリアスが回復したという情報が入ったのは、五日後だった。
ゲンツの情報網が掴んだ。エリアスが再び戦場に出るという話だった。前回の敗北を受けて、結界の設計を修正したらしい。摩擦熱による点火も遮断できるよう、結界の範囲を広げたという。
「また来るのか」とスーケリーが言った。
「来る」とカールは答えた。「前回負けた相手に、改良した手段で再挑戦する。それは正しい判断だ」
「対処法は」
カールは少しの間黙った。
前回、摩擦という魔力に依存しない手段で突破した。しかしエリアスはその教訓を学んだ。次回は摩擦も遮断してくる可能性が高い。結界の範囲を広げれば、物理的な点火手段の多くが機能しなくなる。
問題は、結界が何を遮断できて、何を遮断できないかだった。
「結界は何を止めているのか」とカールはゲンツに聞いた。
「魔力の反応と、それに類似する物理現象だ。前回は着火と放電を止めていた。摩擦は止めていなかったが、それを修正してくるなら」
「修正には設計の変更が必要だ。設計を変えれば、別の部分に制限が出る可能性がある」カールは紙に何かを書き始めた。「結界が止められるものと、止められないものの境界線を考える」
「境界線は」
「魔術と物理現象の違いだ。結界は魔力の流れを遮断するように設計されている。魔力を必要とする現象は止められる。しかし純粋に物理的な現象、つまり魔力が介在しない現象は止められない」
「前回の摩擦がそれだった」
「そうだ。ならば今回も同じ原理で考える。魔力を必要としない、純粋に物理的な現象は何か」
カールは書き続けた。
燃焼は火花が必要で、火花は魔力に近い。電気は魔力と類似している。摩擦は純粋な物理だったが、修正される。爆発は着火が必要で、着火が止まれば爆発しない。
では、着火も電気も摩擦も必要としない現象は。
「音波……空気圧……毒……」帝都図書館で学んだ知識から、カールは思考を巡らせ、手段を検討した。そして、その全てを捨てた。
数分後。
「……そうか。重力だ」カールは言った。
ゲンツが顔を上げた。「重力」
「物が落ちる。それだけだ。魔力は必要ない。着火も放電も摩擦も必要ない。重い物を高いところから落とせば、下にある物に当たる。それを止める結界を作ることはできないこともないが、重力を遮断するためには、物体そのものを浮かせる必要がある。それは全く別の魔術だ。あいつにはできないだろう」
ゲンツはしばらく黙った。「あいつの上に、岩を落とすということか」
「そうだ」
「岩を、どこから」
カールは地図を見た。廃工場地帯の北側に、かつて採石場として使われていた丘陵地があった。今は放棄されていたが、石材が大量に残っていた。
「時間がかかる」とゲンツが言った。「重い石を高い場所まで運ぶのは」
「二日あればいい。滑車と綱を使う。人力で引き上げる。魔術は使わない。力学だけで動かせる」
スーケリーが地図を見た。「場所を選べば、エリアスが来る経路に合わせて準備できる。ただし正確な位置に落とさなければ意味がない」
「正確さは計算でカバーする。落下点の計算は難しくない。高さと横方向の距離が分かれば、落下点は決まる」
「外れたら」
「二個用意する」
準備に二日かかった。
丘陵地の上部に、拳大から頭大の石材を大量に集めた。そこから一段下の突出した岩棚に、一抱えほどの大きな石塊を二つ運び上げた。人力だった。ゲンツが滑車を作り、三人で引き上げた。
重さはそれぞれ百キロを超えていた。
石塊を岩棚の縁に置いた。下には廃工場地帯の主要な通路が走っていた。
「落下点の計算は」とスーケリーが聞いた。
カールは岩棚の高さを測った。地面からの高さ、岩棚の出っ張り具合、石塊の重さ。計算した。
「正確には落とせない」とカールは言った。「変数が多すぎる。しかし範囲は絞れる。あの通路の中央に落ちる可能性が高い。そこにエリアスが来るよう誘導する」
「誘導は」
「スーケリーが遠距離から撃つ。エリアスは結界の中にいれば安全と思っている。結界の中で動かせれば、位置を誘導できる」
「結界の中に引き込むということは、私も結界に入る可能性がある」
「距離を保て。三百メートル以上あれば結界の外にいられる。前回の結界の範囲を測った。最大でも二百メートルだった」
「修正されていれば範囲が広がっているかもしれない」
「そうだ。だから撃ったら即座に退け。石が落ちれば結界は消える」
エリアスが来たのは三日目の午後だった。
帝国の複合部隊とともに現れた。前回より兵士の数が多かった。エリアスは部隊の中央にいた。灰色のローブが見えた。
「来た」とスーケリーが遠距離から言った。
「動け」とカールは答えた。
三人は廃工場地帯の入り口付近で姿を見せた。部隊が気づいた。追ってきた。
カールたちは廃工場の中へ引き込んだ。通路を走った。結界が広がるのが分かった。前回より少し早かった。修正されていた。範囲も少し広かった。
「装置が死ぬ」とゲンツが言った。
「分かっている。計画通り動け」
カールたちは廃工場の北側通路に入った。丘陵地の真下になる位置だった。
エリアスが追ってきた。通路の入り口に立った。後方に兵士が広がっていた。
「また同じ場所か」とエリアスが言った。「前回より広く展開した。摩擦も今回は止めている。お前たちの着火手段は全て無効だ」
カールは通路の奥に立っていた。
「そうか」と言った。
「観念しろ」
スーケリーの装置が発射音を上げた。三百メートルの距離から放たれた鉛塊が飛んできた。エリアスの結界が弾いた。しかし衝撃でエリアスが一歩後退した。通路の中央に位置が変わった。
岩棚の真下に入った。
カールは合図を出した。
ゲンツが岩棚の上で石塊を押した。
一個目が落下した。
百キロを超える石塊が、岩棚から垂直に落ちた。加速しながら落ちた。結界の中に入った。
結界は何も起きなかった。
石塊は落ち続けた。
エリアスが見上げた。
石塊がエリアスに当たった。
音がした。大きな音だった。通路の石畳が割れた。砂埃が上がった。
結界が消えた。
兵士たちが固まっていた。誰も動かなかった。砂埃が収まるまで、誰も動けなかった。
カールは通路から出た。
砂埃の中を歩いた。石塊のそばに立った。確認した。
ゲンツが丘陵地から降りてきた。「当たったか」
「当たった」
「二個目は」
「要らなかった」
スーケリーが合流してきた。兵士たちはまだ固まっていた。結界が消えて、何が起きたか理解できていないのか、あるいは理解はしているが動けないのか、どちらかだった。
カールは兵士たちを見た。
「魔法は万能じゃない」と言った。誰に向けて言ったわけでもなかった。「質量と重力は魔法より古い」
ゲンツが隣に立った。砂埃の中で石塊を見た。「岩を落とすだけとは」と言った。少し笑っていた。「お前らしい」
「単純な方法が最も有効なら、単純な方法を使う」
「それがお前らしいと言っている」
兵士たちが動き始めた。撤退する者と、剣を抜く者がいた。スーケリーが装置を構えた。剣を抜こうとした兵士が止まった。
三人は廃工場地帯を離れた。
帝国軍の前線司令部に報告が届いたのは夕方だった。
将軍ハイネは報告を聞いた。最後まで聞いた。それから報告した将校を見た。
「岩を」とハイネは言った。「岩で魔術師が死んだということか」
「はい」と将校は答えた。「岩棚から石塊が落下し、エリアス殿の結界の中に入りました。結界は物理的な落下を止められなかったようで」
「止められなかった」
「重力は魔術ではないため、遮断の対象外だったようです」
ハイネは立ち上がった。窓の外を見た。帝都の夕暮れが始まっていた。
「報告書に何と書けばいい」とハイネは言った。
将校は答えなかった。
「岩で魔術師が死んだと書くか。帝国最強の沈黙の魔術師が、岩を落とされて死んだと」
将校はまだ答えなかった。
「書け」とハイネは言った。「事実を書け。岩が落ちた。魔術師が死んだ。それだけだ。事実以外のことは書かなくていい」
将校が退出した。
ハイネは窓の外を見続けた。
岩を落とす。それだけのことだった。誰でも知っている。子供でも知っている。重い物は落ちる。落ちた物は下にある物に当たる。
しかし帝国の魔術軍事設計の中に、岩を落として魔術師ごと葬るという手段は想定されてなかった。魔術師の結界を破るための手段として、岩を落とすということを、誰も考えなかった。そういう手段を実行する前に、相手は魔術師によって倒されていたからだ。
考える必要がなかったのである。魔術があれば、岩を落とすより効率的な手段がいくらでもあった。
しかし今、効率的な手段を全て持っている側が、岩を落とすだけの側に負けた。
ハイネは机に戻った。
次の対策を考えなければならなかった。しかし何を考えればいいのか、ハイネにはまだ見えていなかった。
何を想定すればいいのか。次は何が来るのか。岩の次は何か。
答えが出なかった。連中は、これまでの常識を無視して来る。想定外ばかりだ。
それが最も困ることだった。




