第13話:三千度の壁
魔術師団の全滅から三日後、帝国は方針を変えた。
魔術師だけを動かすことをやめた。
ゲンツの情報が入った。帝都の騎士団から特殊部隊が編成されているという。その部隊の騎士団長はエヴァルトと言った。魔術と物理を組み合わせた複合部隊だった。魔術師が攻撃し、騎士が接近して制圧する。化学兵器への対処として、魔術師に防御障壁を張らせながら騎士が前進するという戦術だった。
「学習している」とスーケリーが言った。
「当然だ」カールは答えた。「同じ手が続けば対処される。こちらが変えれば、向こうも変える。それの繰り返しだ」
「いつか追いつかれる」
「追いつかれる前に終わらせる。だから順番を急ぐ必要がある」
しかし急ぐことと焦ることは違う。カールはそれを自分に言い聞かせながら、新しい状況への対応を考えた。
複合部隊の中で問題になるのは、防御障壁だった。
魔術師が張る防御障壁は、外部からの攻撃を弾く。爆発の衝撃波も、炎も、電気も、障壁の内側には届かない。これまでカールたちが使ってきた手法の多くは、この障壁があれば無効化される。
問題は障壁の性質だった。
「障壁が防ぐのは何だ」とカールはゲンツに聞いた。
「魔力の干渉と物理的な衝撃だと言われている。風圧、熱、電撃の類は全て遮断できるとされている」
「全て、か」
「そう言われている。特に火属性の騎士が使う障壁は、炎に対して完璧に機能する。炎に対して最適化されているから、同じ炎では突破できない」
カールはしばらく黙って考えた。
炎に対して最適化された防御。炎を遮断するために設計された魔術。ならば炎以外で攻める。しかし衝撃も熱も遮断されるとすれば、何が残るか。
熱。
カールは考えた。
障壁が遮断できる熱には、限界があるはずだ。あらゆる温度を遮断できるなら、それはほぼ万能の防御になる。しかし魔術にも設計上の前提がある。想定している温度の範囲がある。
火属性の騎士が使う障壁は、魔術の炎を想定して設計されている。魔術の炎がどのくらいの温度を出せるか。それが防御の設計上限を決める。
では、魔術が出せる温度を超える熱を出せば。
カールは頭の中で材料を並べた。
鉄が錆びる時、熱が出る。それは知っていた。しかし錆びる速度は遅く、温度も低い。もし錆の反応を、爆発的に速く起こせたとしたら。
酸化した鉄の粉末と、燃えやすい金属の粉末を混ぜる。点火すれば、酸素を奪い合う反応が一気に起きる。通常の燃焼とは比べ物にならない速度で、比べ物にならない温度が生まれる。
試算した。
二千度を超える。おそらく三千度に近い。
魔術師が出せる炎の温度は、経験上、千五百度を超えることはないとカールは推測していた。炎の詠唱で生じる火の色、周囲への影響、溶けるものと溶けないもの。これまでの観察から逆算した数字だった。
もし防御障壁の設計上限が千五百度なら、三千度の反応は設計の外にある。
問題は確認する方法がないことだった。理論は正しい。しかし実際に機能するかどうかは、使ってみなければ分からない。
「材料は用意できるか」とカールはゲンツに聞いた。
「錆びた鉄粉なら冶金師の工房で出る廃材から集められる。燃えやすい金属の粉末は」ゲンツが少し考えた。「帝国軍の照明弾に使われているものが近い。闇市で手に入る可能性がある」
「二日あればいい」
二日後の夕方、複合部隊が動いた。
カールたちが潜伏している地区の周囲が封鎖されていた。情報部が位置を絞り込んでいた。包囲される前に動く必要があった。
三人は別々の経路で包囲網を抜けようとした。
カールが最初に接触した。
路地の角を曲がったところに、一人の騎士が立っていた。
フルアーマーだった。帝国騎士団の最上位の装備。火属性の加護を持つ精鋭だった。ローブを着た魔術師が後方に控えている。複合部隊の前衛と後衛だった。
カールは足を止めた。
「見つけた」と騎士が言った。兜の中から声が響いた。「爆炎師だな。おとなしく来い」
カールは懐を確認した。鉄粉と金属粉末の混合物を詰めた小型の陶器容器。点火用の高温発火材。準備は整っていた。
「逃げないのか」と騎士が言った。
カールは答えなかった。
懐から発煙筒を取り出した。
投げた。
騎士の足元で発煙筒が炸裂した。煙が広がった。後方の魔術師が詠唱を始めた。騎士が障壁を展開した。青白い光が騎士の全身を包んだ。
カールは煙の中を前に進んだ。
騎士が驚いた。逃げるのではなく前に来た。想定と違う動きだった。
「なぜ近づく」
カールは距離を詰めながら、別の容器を投げた。発煙筒ではなかった。油だった。騎士の装甲に油がかかった。障壁が弾いた。しかし油は地面に広がった。騎士の足元に溜まった。
「油で何をする」と騎士が言った。「障壁は熱も炎も通さない。意味がない」
カールは火花石を打った。
地面の油が燃えた。しかし障壁は完璧に機能した。炎は騎士に届かなかった。
「無駄だ」と騎士が言った。余裕の声だった。「加護なき者の限界はここまでか。障壁があれば、お前の手法は通用しない」
カールは頷いた。「そうだな」
「分かったなら」
「だから別の手を使う」
カールは陶器容器を取り出した。中で錆びた鉄粉と金属粉末が混合されていた。
「何だそれは」
カールは高温発火材に火をつけた。白い炎で燃え始めた。その炎を容器の上に当てた。
反応が始まった。
通常の燃焼ではなかった。金属同士が酸素を奪い合う反応だった。容器の中で白く輝く液体が生まれ、流れ出した。炎のように見えたが、炎ではなかった。溶けた金属だった。地面に落ちた液体が、騎士の装甲の継ぎ目に流れ込んだ。
温度は魔術の炎の倍を超えていた。
障壁が揺らいだ。
揺らいだだけではなかった。欠けた。障壁の一部が崩れた。崩れた部分から熱が流れ込んだ。装甲が赤くなり始めた。
「なぜだ」と騎士が言った。声が変わっていた。「障壁が、なぜ。この障壁は万全のはずだ」
「障壁は炎を想定して設計されている」カールは言った。「魔術の炎が出せる温度の上限を前提にしている。しかしこれは炎じゃない。金属同士の反応だ。魔術の炎より遥かに高い熱が出る。障壁の設計はそれを想定していたか?」
装甲が変形し始めた。膝の部分が崩れた。騎士が膝をついた。
カールは黙って、騎士を見つめていた。
後方の魔術師が詠唱を完成させた。
しかしスーケリーの装置が発射音を上げた。三百メートルの距離から放たれた鉛塊が、詠唱完成の瞬間に魔術師の結界を貫通した。鉛の針は魔術師を貫いた。詠唱効果が霧散した。
カールは改めて、騎士を確認した。
装甲が半ば溶けていた。騎士は動けなかった。生きていた。しかし戦闘能力はなかった。
「撤収する」とカールは言った。
帝都の騎士団本部に報告が届いたのは翌朝だった。
騎士団長エヴァルトは報告書を二度読んだ。
「火属性の精鋭が負けた」と言った。「どういうことだ」
報告した副官が答えた。「障壁が破られたとのことです。炎の魔術ではなく、金属同士が激しく反応する現象を利用したと。非常に高い熱が発生したようです」
「金属の反応で障壁が破れるのか」
「通常の炎より高温であれば、障壁の限界を超える可能性があります」
エヴァルトは机を拳で叩いた。「なぜそれを事前に分析しなかった」
副官は黙った。
答えられなかった。想定していなかったからだ。火属性の騎士の障壁が破られることは、想定していなかった。金属の反応が炎より高温を出せるということを、考えたことがなかった。
「魔術師団に連絡しろ」とエヴァルトは言った。「炎以外の高温現象への対処を検討させろ。今すぐだ」
副官が退出した。
エヴァルトは報告書を置いた。
想定外に備えなかった。
報告書に記された騎士の言葉だった。倒れた騎士が、意識を失う直前に呟いたという言葉が記録されていた。
エヴァルトはその言葉を読んだ。
想定外に備えなかった。それは騎士の言葉であり、今のエヴァルト自身の状況でもあった。
窓の外を見た。帝都の朝が始まっていた。魔術の灯りが街を照らしていた。美しく、整然とした光景だった。
しかしエヴァルトには、その整然さが少し違って見え始めていた。
整然としているということは、想定の範囲内だけで動いているということだ。
想定の外から来るものに、整然とした秩序は弱い。
エヴァルトはその事実を、今朝初めて理解した。




