第12話:粉塵の城
場所を選んだのはカールだった。
帝都外縁部の廃倉庫群。かつて帝国軍の物資保管に使われていた建物だったが、十年前の火災で一帯が焼けて以来、放棄されていた。石造りの外壁だけが残り、内部は骨格だけになっていた。
「ここか」とゲンツが言った。
「天井が低い。開口部が限られている。密閉に近い空間が作れる」カールは倉庫の内部を歩きながら確認した。「それと」
「それと」
「煙が充満しやすい」
ゲンツは倉庫の構造を見回した。石壁に囲まれた空間。入り口が二箇所、窓が四つ。天井は崩れかけていたが、まだ構造は保っていた。「魔術師団を誘い込む算段があるのか」
「ある」カールは壁際に荷を下ろした。「ただし時間がかかる。準備に三日必要だ」
「三日の間に魔術師団が動かなければ」
「動かせばいい」スーケリーが言った。入り口から内部を確認しながら続けた。「私が動く。魔術師団の先発隊を刺激すれば、本隊を引きつけられる」
「危険だ」とゲンツが言った。
「距離があれば問題ない」スーケリーは答えた。「三百メートルの距離で撃って、引いて、また撃つ。追いかけてこさせて、ここへ誘導する」
カールは二人を見た。「頼む」
準備に三日かかった。
中心になったのは小麦粉だった。
帝都の市場で大量に買い付けた。農家の納入業者を装った。一度に大量購入すると目立つため、複数の市場で分散して購入した。総量は二百キロを超えた。運搬も分けた。
「なぜ小麦粉なのか」とゲンツが運びながら聞いた。
「粉塵爆発だ」
「何だそれは」
「粉状の有機物が空気中に広がった状態で、火花が散ると爆発する。小麦粉、木粉、石炭の粉、金属の微粉末。粒子が細かく、空気との接触面積が大きいほど爆発力が増す」
ゲンツは手の中の小麦粉を見た。「これが爆発するのか」
「地面に積んでいるだけでは燃えない。空気中に舞い上がった状態で初めて爆発する。密閉空間で大量の粉塵を舞わせた後に火をつければ、空間全体が一瞬で燃える」
「魔術師が炎の魔術を使えば」
「火をつけてくれる」カールは言った。「自分たちで起爆してくれる」
ゲンツは少しの間黙った。それから言った。「魔術師の炎を利用するのか。魔術師自身を起爆装置にする」
「そうだ」
「魔術師たちはそれを知らない」
「知らない。小麦粉が爆発するということを、帝国の魔術師は学ばない。学ぶ必要がないからだ。炎を呼べば火が出る。それだけで十分だった。仕組みを理解する必要がなかった」
ゲンツは荷を運び続けた。しばらくして言った。「怖い理論だな」
「現象は怖くない」カールは答えた。「知らないことが怖い」
三日目の昼過ぎ、スーケリーが動いた。
魔術師団の先発偵察隊が帝都外縁部を巡回していた。五人組だった。スーケリーは三百五十メートルの距離から先頭の一人を倒した。
偵察隊が散開した。方向を確認しようとした。
スーケリーはすでに次の位置に移動していた。別の方向から二発目を放った。偵察隊がまた散開した。
追いかけてくる人間と、本隊に報告に走る人間に分かれた。
スーケリーは追いかけてくる三人を引き連れながら、廃倉庫群の方向へ移動した。距離を保ちながら、引き寄せながら。
本隊への報告は予測通りだった。
魔術師団の本隊十二人が廃倉庫群へ向かった。先発隊への攻撃者を追跡するという判断だった。
カールは倉庫の内部で待っていた。
天井から複数の布袋が吊るされていた。それぞれに小麦粉が詰められていた。袋の底に細工してある。引き綱を引けば底が開いて、中の粉が落下しながら舞い上がる仕組みだった。
ゲンツが入り口の反対側で待機していた。
スーケリーが倉庫の外に引きつけていた追跡者三人を巻いて、裏口から内部に入ってきた。
「本隊が来る」と小声で言った。「十二人。全員魔術師だ」
カールは頷いた。
足音が聞こえてきた。複数の足音だった。
扉が蹴破られた。
魔術師が入ってきた。先頭の男が倉庫の内部を見渡した。三十代の男だった。水属性の加護を持つ魔術師だと、ローブの紋章で分かった。
「いたぞ」と先頭の男が言った。
魔術師たちが内部に入ってきた。十二人が倉庫の空間に広がった。
カールは壁際に立っていた。ゲンツとスーケリーも見えていた。三人が囲まれる形になった。
先頭の男が口元に笑みを浮かべた。
「観念しろ。逃げ場はない」
カールは引き綱を握っていた。
「何を持っている」と男が言った。綱を見ていた。
カールは引いた。
天井の袋の底が開いた。白い粉が一斉に落下した。倉庫の空気の中に、小麦粉の粒子が舞い上がった。白い霧のように広がった。
魔術師たちが困惑した。
「何だこれは」
「小麦粉だ」と別の魔術師が言った。鼻で笑った。「小麦粉で何をする気だ。そんなもので俺たちが」
先頭の男が詠唱を始めた。水の魔術で粉塵を払おうとしたのかもしれない。あるいは単純な攻撃詠唱だったかもしれない。
後方の魔術師の一人が、先に動いた。
火属性だった。詠唱が短かった。精鋭の短縮詠唱だった。
小さな炎が生まれた。
倉庫が爆発した。
爆発は一点から始まらなかった。空気全体が燃えた。小麦粉の粒子が空気と混ざり合い、その全てが同時に燃焼した。閉じた空間の中で圧力が跳ね上がった。石壁が衝撃を受けた。天井の残骸が落下した。
カールは事前に確保していた壁の窪みに身を押し込んでいた。ゲンツとスーケリーも同様だった。三人が選んだ位置は、爆風が最も弱くなる場所を計算した結果だった。
爆発が収まった。
白い煙と黒い煙が混じり合っていた。
カールは窪みから出た。倉庫の内部を確認した。
魔術師たちが倒れていた。全員が動いていなかった。十二人全員が、だ。
煙の中で、カールは言った。
「空気が爆発するとは思わなかっただろう」
誰も答えなかった。答える者がいなかった。
「魔法の教科書には載っていないからな」
ゲンツが立ち上がりながら言った。「全員か」
「確認する」
三人で確認した。十二人、全員が戦闘不能だった。生存者がいた。しかし動ける者はいなかった。
スーケリーが入り口の方を見た。「撤収するか」
「する」カールは言った。「ただし急がなくていい。急いで動けば目立つ。ここから離れた後、三方向に分かれて合流点で落ち合う」
三人は倉庫を出た。
白い煙が倉庫から漏れていた。外からは何が起きたか分からない。爆発音は聞こえたはずだが、廃倉庫群では時折崩落がある。異常とは判断されにくい。
カールは歩きながら、今回の手法を頭の中で整理した。
問題がある。
一度使えば対処される。帝国が粉塵爆発という現象を学べば、次回以降は警戒される。次に使う時は別の方法が必要になる。現象を理解すれば対処できる。それはカール自身が証明してきたことだった。
使える手法には寿命がある。
だから常に次を考える必要があった。
帝都の魔術師団本部に報告が届いたのは夕方だった。
副団長が青ざめた顔で執務室に入ってきた。
「報告します」と言った。声が揺れていた。
「言え」とライヴェンは言った。
「先発隊が倒された後、本隊十二名が追跡に向かいました。廃倉庫で爆発があったという報告が入りました。生存者の確認のため救援を送りましたが」
副団長が言葉を止めた。
「全滅の報告が上がっています」と副団長は言った。「信じられませんが、全員が戦闘不能です」
執務室が静かになった。
ライヴェンは窓の外を見た。
「あり得ん」と言った。
声は静かだった。しかし静かさの中に、これまでになかった何かがあった。
副団長が続けた。「倉庫の内部に小麦粉のような白い粉が大量に散布されていたという証言があります。何かを起爆剤として使ったと思われます」
ライヴェンは振り返った。
「小麦粉が」副団長が続けた。「爆発したということでしょうか」
ライヴェンは答えなかった。
答える前に、考えた。
小麦粉が空気中に舞えば、火花で爆発する。知識としては知っていた。農村の製粉所で稀に事故が起きるという話を、若い頃に聞いたことがあった。しかしそれを意図的に、閉じた空間で、魔術師を誘い込んで起こすという発想は、なかった。
魔術師が自分の炎で起爆した。
自分たちを倒す道具を、自分たちで動かした。
ライヴェンは机の前に座った。
「救援の人員を送れ。生存者の治療を優先しろ」と言った。「それから」
副団長が待った。
「報告書を出す必要はない。今夜は待て」
「待つとは」
「考えることがある」
副団長が退出した。
ライヴェンは一人になった。
報告書を読み直した。これまでの事例を頭の中で並べた。油の引火。電気装置。王水による魔石の溶解。今回の小麦粉の爆発。
全て、帝国の魔術師が学ばない現象だった。
学ばない理由は一つだった。加護があれば必要がなかった。炎を呼ぶ必要があれば詠唱すればいい。なぜ炎が出るかを理解する必要はなかった。
しかし加護がなければ。
理解するしかない。理解すれば、使える。使えれば、加護ある者を倒せる。
ライヴェンは五十年の実戦経験を持っていた。
その五十年で初めて、自分が持っていない知識の存在を認識した。




