08
リュッサは振り返り、堀と連なる城壁を指さした。
「あなた方はこの城壁の先を目指して進んで行くことはできません。なぜならこの先は、生まれ変わるための魂の錬成所。一度冥府に入った以上、魂の汚染——罪の清算が終わっていないあなた方が通ることはできません。現世への帰還を望むのであれば、条件を満たす必要があります。その説明の前に、まずは確認を」
そう言ってリュッサは二人の前に立つ。両眼の焦点が合わなくなったかと思うと、広い額の中央がゆっくりと裂けた。開いたそこから、研ぎ澄まされた水晶片のような 第三の眼 が輝くのが見えた。
同時に、彼女本来の両眼が、虚ろな色に移る。直後、黒木と田中の胸の奥が、鋭く引き裂かれる感覚に襲われた。
リュッサには触れられていないのに、心臓の裏側を爪で抉られたよう。そして、自分の過去——忘れ去りたい記憶まで盗み見られ、丸ごと引きずり出されたような気分にさせられる。
黒木は歯を食いしばって耐え、田中は堪えきれずに、息を詰まらせて腰を落とした。
第三の眼は二人の魂の奥を覗きこみ、その輝きが一段階強まったところで、ぴたりと動きを止めた。
やがて額が閉じ、リュッサの両眼に光が戻る。
「……確認しました。二人とも、境界を越え “死者としての資格” はあります。しかし、魂は汚染され、罪の影が強く残っている。このまま現世へと帰還することはできません。そして、これから冥府の奥へ進めば相応の罰を受ける事になるでしょう」
「勝手に調べられて気に食わんが……それで、魂の汚染ってのは何だ……?」
黒木と田中の鼓動が少しずつ落ち着き始めるのを見て、リュッサは淡々と続けた。
「冥府における魂の状態は、四つの要素で決まります。順番に説明しましょう」
「一つ目——汚染。これは罪のエッセンスが魂に付着したもの。微量であれば影響は少ないですが、蓄積すると魂の形が歪み、自我や行動にも影響を及ぼします。一時的な汚れから、生涯消えない傷まで、幅は広いです」
リュッサは指先で空中を撫でると、黒い靄が生まれ、それがゆっくりと散っていく。
「この先、冥府の奥を進むたびに増減する。それが “汚染”」
「二つ目——抵抗値。これは精神力の総量。汚染に対抗しうる力であり、判断を誤らせないための “心の力” とでも言っておきましょう」
田中はリュッサを見つめながら、自分の胸に手を置く。
「強い意志ほど汚染の影響を受けにくい。弱い魂は、ほんの些細な悪意でも引きずられる」
リュッサが城壁の門とは別——奥にある洞穴のような影を示す。
「三つ目——境界検査。あちらが罪を清算するための冥府の順路——その入り口になります。通過する穢れを抱えた者には、必ず審判が下ります。下された判決によって “階層試練” が発生します。戦い、選択、記憶との対峙……内容は清算すべき罪によって異なります」
彼女は続ける。
「成功すれば汚染は少なくて済みますが……。失敗すれば、色濃くなった汚染に耐え切れず、魂が変質する可能性があります」
黒木の眉がピクリと動いた。
「四つ目——継承閾値。汚染が一定値を超えたとき、魂は “別の形” へ移行します。これは後戻りできない変質。人の魂ではなく、冥府が定めた“形”へと……つまり、人の形を保つことが出来なくなります」
声がすっと低くなった。
「閾値を越えれば、かつての自分には二度と戻れません」
リュッサの説明を一通り聞き終えた黒木は短く息を吐いた。
「……要するにだ」
黒木はリュッサの背後に広がる洞穴を顎で指す。
「さっき “試練の入口” って示してたあの洞穴の先に、罪を清算するステージがある。それに勝てば汚染を抑えたまま冥府を突っ切れる。ただ負けりゃ汚染が濃くなって、魂が変質して……今の俺らの姿が保てなくなる。まとめると、そんなところか?」
黒木の要約に、リュッサは静かに瞬きをした。長髪の奥、皮下に埋もれている第三の眼が、反応するようにうっすらと光る。
「概ね誤りはありません。しかし……魂が変質するのは “精神汚染” が限界を迎え、継承閾値を超えた結果。試練が課すのは “罪に応じた精神負荷” その負荷を跳ね返すための値が、抵抗です」
言いながら、リュッサは黒木と田中の胸元へ細長い指をかざした。空気がわずかに震え、二人の周囲が鈍く歪む。
リュッサは淡々と続ける。
「黒木さんの抵抗値は概ね 20。田中さんは…… 11 といったところでしょう」
「えっ……俺、黒木さんよりそんなに低いのかよ……?」
田中の顔が、みるみる蒼くなる。
リュッサは静かに頷いた。
「10を割り込むと、精神汚染は急激に進みます。一度でも深い汚染に触れれば、戻るのは極めて困難となるでしょう」
田中は喉を震わせるように声を出した。
「無理だ。そんなギリギリの数値で耐えられるわけないよ……どうやってここから脱出すればいいんだよ……」
その緊張をほどくように、リュッサが柔らかく口を開く。
「では、現世への帰還について、引き続き説明いたしましょう」
ツゲは、これまでジッとリュッサの説明に耳を傾けてはいたが、その目は真面目さと困惑がせめぎ合い、 “自ら川を越えてやってきた例外者“ をどう扱うべきかわからないという空気を隠しきれていなかった。
「リュッサ様、説明の前に……本当にお二人がこのまま冥府を進んでもよろしいのですか?」
リュッサが手を静かに上げ、ツゲの言葉を止める。
「心配はいりません、ツゲ。彼らは境界を越えた “資格者”。ここに留まるか、冥府を進むしかないと言えます」
ツゲはかすかに息を呑み、深く頭を下げた。
黒木は小さく鼻で笑う。
「……ならさっさと教えてくれ」
リュッサの眼光が、再び奥底から光を帯び始めていた。




