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05

 将は、ふらつきながら立ち上がった。冷気が肺を押し潰し、まだ足が震えている。カルンに近づこうとしたが、恐怖で一歩も前に詰められなかった。


「情けねぇな」


 黒木の吐き捨てるような言葉が将の背中に刺さる。そして田中の耳元で低く囁いた。


「俺から少し離れた後、地面の石を拾ってじじぃ目掛けて投げろ。奴の動きを見たい」

「襲い掛かってきたら、どうするんですか?」田中は声が震えていた。

「援護してやる」


 田中は黒木から少し距離を取った後、やけになった気持ちで指先に力を込め、黒ずんだ石を掴んだ。まとめて握りしめ、深呼吸をひとつ入れる。十五メートルほど——カルンの立つ場所と自分の間にそれだけの距離があった。カルンは杖を構えたまま門の傍を動かない。石をまとめて放ると、硬貨ほどの小石が低い弧を描いて飛んでいった。


 いくつかは命中寸前に見えた。だがカルンは杖を振り回して弾き飛ばす。身のこなしも異様に速く、石は弾かれ音を立てて地面に散った。カルンが田中と対峙していた次の瞬間、甲高い銃声が鳴り響いた。


「パンッ! パンッ! ——パァン!」


 黒木が左胸に忍ばせていたS&Wを素早く引き抜く。グリップは皮で巻かれ、彼の掌に吸い付くように馴染んでいた。狙いは確かにカルンの胸部を二度撃った。続けざまに頭部へ一発。三発が短く連なる。


 弾はカルンの身体に当たったように見えた。音と反動があり、赤い火花のようなものが飛んだ気がした。だがカルンは動じない。弾痕すら残らないかのように、無傷のまま立ち続けた。田中の目が、黒木を驚愕の色で見つめる。カルンはその視線を受け、鬼のような形相で黒木を睨み返した。目が点になった田中は、黒木とカルンを交互に見比べる。


「銃で撃った……のに、効いてないのか!?」


 田中が叫ぶ。


 黒木は舌打ちをした後、眉間を狙ってもう一度引き金に指をかけた。


「チッ。頑丈なんだな。ついでにもう一発くれてやるから、動くなよ、じじぃ」

「——パァン!!」


 弾は命中し、額の皮膚が爆ぜるように吹き飛んだが、頭蓋骨に跳ね返されたように弾かれ、明らかなダメージは見えない。田中が叫ぶ。


「敵いっこないですって! そもそもなんで戦ってるんですか? 他の方法を考えましょうよ!」


 カルンは田中の叫びに反応し、微かに笑ったような声で話す。


「門をくぐれば、冥府の住人として認めよう」


 黒木はそれを嗤う間もなく一蹴した。


「冥府だぁ? お前の話なんか聞いていられるかよ——田中! あいつの形相かおは見ただろう? 生きて戻りたきゃ、戦って勝つ以外の選択肢はねぇ」


「くそっ……なんで俺がこんな目に……」


 田中の悲痛な叫びが響く。


 そんな中、黒木は表情ひとつ変えず淡々と指示を出す。


「おい、田中! ベルトを外しておけ。奴を拘束して杖を奪う」


「はぁ?! 絶ッ対に無理ですッ!! 黒木さんに従ってたら命がいくつあっても足りませんよ……」


 田中は必死に拒絶の意思を示す。


「いいからやれ!!」


 黒木の声が一瞬硬質な刃物のように響く。命令には揺るぎがない。


 田中の震えた手が、ベルトのバックルに触れる。だが、力が入らない。


「あぁ、クソッ……怖いし、寒いし、頭も体もおかしくなってきた……!」


 声は上ずり、呼吸が荒い。パニックに支配された目が黒木を見上げる。


 黒木はそんな田中を一瞥し、無言でジャケットの内側に手を伸ばした。伸縮警棒を抜くと、空気を裂くように振るいながら話しかける。


「田中、よく聞け。お前は向かって右側。じじいの左腕を掴みに行け。掴んだら——絶対に離すな。俺は右腕を取る。お前の動きに合わせてやるから、準備ができたら行け。行かなきゃ残った玉で、まずてめぇを殺す」

「だぁああーー!! クソ、クソクソ!! わかったよ!! 向かって右側だな!? やってやるよ!!」


「その意気だ。——行くぞ!」


 田中を先頭に、黒木がその後に続く。足元の石が跳ね、二人はカルンへと迫っていった。


 カルンは冷ややかに二人を見据え、剥がれたように薄い唇をわずかに動かした。


「愚かな者ども……」


 その一瞬——黒木が田中の影に滑り込む。カルンがそちらに意識を向けた瞬間、黒木の手から放たれたタクティカルライトの閃光が、カルンの右眼を直撃した。カルンの表情が歪む。


「……根暗のじじぃは光が苦手と見た。田中! 腕を取りに行け!!」

「おらぁああああああ!!」


 田中の右手がカルンの左腕を掴む。掴んだ手に力を込め、歯を食いしばる。カルンは右手に杖を握ったまま、視界を奪われて身をよじる。


 その隙に——黒木が踏み込んだ。特殊警棒をカルンの右前腕に、まるで槍のように突き立てる。前腕の骨の隙間(橈骨と尺骨の間)に差し込まれた警棒が、ねじるように押し込まれた。


 ギリギリギリ——。


 黒木は左足でカルンの胴体を蹴り込みながら、両手で警棒を回転させる。金属をこすり合わせたような音とともに、カルンの肘関節が砕け、右腕が不自然に折れ曲がる。


 乾いた破裂音が響き、肘から先がちぎれるように離れ、杖は宙を舞った。


 黒木の手中には、鍵のような奇妙な形状をした杖と、杖を掴んでいる切断された右手があった。


「田中よくやった! 離れろ!!」

「え? ベルトで縛るんじゃ……!?」


 掴むことに必死だった田中は、黒木がすでに杖を奪っていることに気づかない。


 そのとき——


「……ウゥゥゥ……アァァァ……カエセ……カエセ……カエセェェェェェッ!!」


 カルンの喉から、低く、這うような声が漏れた。怨嗟にも似た響きが空気を震わせ、田中の体が硬直する。黒木はその声を聞き、ゆっくりと口角を上げた。


「じじぃの癖にいい声で哭きやがる。ハハハッ。今貰ったのに返すわけねぇだろ阿保! 田中! じじぃの様子が変だ。一旦こっちに下がれ」


「あ! ぁぁああ、足が…動かなっ……」


 田中は這いずるようにカルンの傍を離れていく。


「カエセ……カエセ……カエセェッ!!」


 カルンの低い唸り声が続いている。


 黒木は奪った杖をしげしげと眺めた。ずしりとした手応えに、まず違和感を覚える。重心が手元ではなく、中央寄りにあるのだ。まるでゴルフクラブで言えば “ヘッドバランス” が取られているような、意図的な重みの偏りだった。振り抜いたとき、先端ではなく中ほどに慣性が集まる——そんな感触だった。


「……妙だな」


 黒木は杖を軽く振ってみる。空気を切る音が意外に鋭い。ただの老人用の杖にしては、重さの響きが骨に伝わるほど重厚だ。よく見ると、握りの部分にはごく薄い継ぎ目があり、爪先でなぞると指先に微かな段差を感じた。


「……これは……」


 試しに捻ると、音もなく柄が回転し、内部の鞘がわずかに軋んだ。黒木の口角が大きく上がる。


「仕込みってわけか……」


 鞘の部分は木目を巧妙に偽装され、肉眼では境目がまったく分からないほど滑らかだった。光の角度を変えると、継ぎ目がほんの一瞬、金属の冷たい反射を放つ。その美しさに一瞬、黒木は見惚れる。


 ゆっくりと引き抜いた刃は、冥府の淡い光を受けて静かに波打ち、刃文が流れるように浮かび上がった。


「……いい仕事してやがる。あのじじぃ、これを武器どうぐに使ってやがったのか」


 刃と鞘のバランス、重量、反り、すべてが「斬る」ために計算されている。黒木は一度、杖(いや刀)を水平に構え、手首で軽くしならせてみる。


 刃先がわずかに遅れてついてくる——完璧な重心。


「……始めから、斬るための道具だ。いい刀だな」


 短く呟いてから、黒木はにやりと笑った。その目はカルンを捉え、異様に鋭く細められた。獲物を見つけた狩人の様に。

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