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四之宮の事務所に黒木が出入りしていた事実。あるいは匿われている可能性。その線が浮上してから、捜査本部の空気は変わった。
暴対と合同。四之宮蓮の携帯履歴、資金の流れ、出入り車両、周辺防犯カメラ。
これらが徹底的に洗われた。フロント企業名義の車両リストが壁に貼られていく。
防犯カメラを確認していた捜査員の一人が、妙な車の動きに気づいた。
「このプリウス、車両リストには載っていません。ですが、昨日の昼過ぎ、四之宮がこれを運転して事務所へ向かっている姿が映っています。その前には、黒木が同乗していたと思われる白いミニバンで事務所を出発し、その後このプリウスで事務所へ戻っています」
「色は?」
「シルバーです」
井上が顎に手を当てる。
「黒木が事務所に入った後か。現状所在不明なら、黒木が使っている可能性が高いな……。よし! 周辺幹線道路を洗うぞ。信号カメラ、商業施設、ガソリンスタンド。逆方向——西に抜けるルートを重点的に」
***
午後九時過ぎ。捜査開始から三十六時間以上が経過し、疲労の色が誤魔化せぬほど濃くなった頃だった。モニター前の捜査員が叫ぶ。
「やったぞ見つけた! 黒木です! シルバーのプリウス!」
全員の視線が向く。画面には運転席の横顔。靄がかかったように輪郭は歪んでおり、皮膚が垂れ下がって見える。歪だが、この奇妙な特徴は一致している。坂上が駆けつけてきた。
「どこだ!」
「中央区、繁町三丁目交差点を西進! 時間は昨日15時42分!」
別のモニターに切り替わる。
「次は……緑川橋南詰交差点を通過!」
「西だな……」
「車両ナンバーは?」
「今、鑑識に回してます!」
数秒が、異様に長く感じられる。
「出ました!」
「言え!」
「足立 301 し 4827!」
坂上が声を張る。
「よし!!」
捜査が一気に加速する。
「Nシステムに照会! 通過履歴を全部引っ張れ!」
「はい! やってます! 20時58分、県道127号。さらに南へ向かっています!」
「各班に通達しろ! プリウス、足立301し4827! 20時58分時点で県道127号南進中!」
無線が一斉に飛ぶ。
『全車両へ。重要指名車両。シルバープリウス、足立301し4827。県道127号を南進。発見次第、追尾。単独確保は避けよ』
「推定進行方向は?」
地図が拡大される。山間部、倉庫街、資材置き場、廃工場。坂上の目が鋭くなる。
「黒木、お前……いったい何をしようとしてる?」
モニターに映るプリウスの残像をみて呟く。黒木への包囲網は、急速に狭まっていった。
***
山間部へ入った途端、舗装は荒れた。タイヤが砕石を噛み、ハンドルが小刻みに震える。枝葉がパチパチと車体を擦り、夜山の静けさを引き裂いて進んで行く。
ヘッドライトの光は、霧を伴った空気に拡散し、数メートル先すら心許ない。車は、すでにNシステムの空白地帯に入っていた。
監視の目は届かない。だが、別の “視線” が、黒木の内側から覗いていた。
『やっとだな』
耳鳴りのように、フェイブルの声がキンキンと頭に響く。
『ここだ! 思い出せ! 片割れの無残な死を』
「黙ってろ……」
黒木は耐えるように奥歯を噛み締めた。ハンドルを握る手にも力が入り、指先が白くなる。後部ラゲッジから、蔵森の抑えきれない息遣いが漏れる。
『復讐だ! 血族は皆泣いていたぞ。だが、かつてのオマエは何もできなかった! 片割れの死体を発見しただけ! キャハハハハッ!!』
「黙れ!」
『もったいぶってないでさっさと殺っちまえよ!! 死ぬまで殴りつけろ! オマエがやりたかった事だ!』
アクセルの加減が付かなくなり、車体が大きく跳ねた。山道はさらに細くなり、片側には川、もう片側は杉林が並ぶ。夜風が唸り、激しく枝が揺れる。
やがて、黒木はエンジンを切った。遠くで沢の水音がかすかに聞こえる。ここだ。
澪が——殺された場所。
バックドアを開けると、蔵森の目が涙で濡れていた。黒木は無言で足の拘束を解いた。
「降りろ」
蔵森を引きずり出し、さらに奥へ歩かせる。落ち葉と枝を踏む音と、湿った土の匂い。
数十メートル進んだ先。開けた場所で、黒木は止まった。
「座れ」
蔵森は、力を失ったように膝から崩れた。黒木が口元のテープを剥がすと、恐怖に増幅された荒い呼吸が、震えながら風の中へ溶けていった。
「ここがどこかわかるか?」
蔵森は首を横に振る。すると、黒木はポケットから一枚の写真を取り出した。
黒木澪。学生服姿で、笑っている。
「この人を知っているか?」
「……し、知らない……」
黒木の声は静かだった。だがその静けさは、激情を押し殺した末に残ったものだった。刑事として積み重ねてきた経験が、かろうじて最後の理性を繋ぎ止めていた。
「ここで殺された。二十年以上前だ」
また、風が強くなった。木々がざわめいている。
「お前が殺ったんだろう?」
「違う! 本当に違う! 私は知らない! 本当にやっていない!」
蔵森は必死に叫んだ。涙と鼻水で顔が崩れながらも、精一杯の誠意を込めて。
黒木は審魂の瞳を開いた。視界が変質し、蔵森の “魂の輪郭と色彩” が立ち上がる。
だが、強い汚濁はない。罪を重ねたであろう者特有の、濃い色彩と変質は見えない。あるのは、若干の黒、そして怯えと混乱の薄灰色。
一方、黒木自身の魂の方が、赤黒く淀んでいる。怒りと殺意のせいか、以前と比較して、より濃くなっている。
——違和感。フェイブルと同調している今、蔵森の観察は容易だった。
心拍は速いが、一定のリズムを保っている。応答の直後にだけ急上昇するような顕著な変動はない。少なくとも、質問に対して動揺している様子は見えなかった。
呼吸は速く浅い。だが、リズムは崩れていない。
それに、視線も。両眼の動きだけで虚偽は断定できないが、少なくとも簡単な質問に対して、嘘をついているようには見えなかった。むしろ、その眼は真実を語っているように映った。
手の震えや、首筋に滲んだ汗も、単純な恐怖由来に思える。
「……違う! 私じゃない。知らないんだ、本当に……信じてほしい」
声は掠れていたが、黒木の研ぎ澄まされた感覚が告げる。
この男は、何も知らない。
その時胸元で、青い宝石が妖しく光った。フェイブルが胸元にかけていた宝石。その奥が仄かに赤く明暗している。
黒木は目を細める。
(あの夜、見せられた “記憶” は、偽物か!!)
「……お前、まさかっ!」
『キャハハハハッ! 聡いな! あと少しだったのに。だが、同調はもう十分だ』
フェイブルの高い声が脳内に響くと、黒木の身体に異変が生じる。
視界の端が赤く滲むと、全身の血管が浮き上がり、こめかみが脈打った。皮膚の下で筋が暴れ、指先に力が入って爪が掌を刺す。頬の筋肉が引きつり、食いしばった奥歯の歯列が乱れ、歯肉を貫いたかと思うと、背中に熱が走り、肩甲骨が大きくせり出した。
「ぐぅ……あ゛あああああッッ!!!」
『キャハハハハハハハッッッ!』
それを見た途端、異変を感じ取った蔵森が声を上げた。
「な、なんだ!? なにが起こって……?」
『復讐だ! 最後まで殺れ!』
「捏ち上げだろうがッ……ぐ、ぁ……ッ……ふざけやがって! ッ……意識が……っ……! が、あ゛あ……ッ……」
(まずい! このままじゃ乗っ取られる!!)
黒木は右手で銃を抜き、自らの蟀谷に押し当てた。冷たい鉄の感触がまだ感じられる。
『おい!! そいつは無しだ!! やめろ!!』
「ク、ソ……ッ……がぁ! てめぇの思い通りにッ、グァッ……! させてたまるかよ!!」
フェイブルの声に、初めて焦燥が出る。
黒木の指先に力がかかる。
引き金の遊びが消え、指先に抵抗が伝わり始めた時、胸元の宝石の奥が、鈍く、妖しく光った。
(……こいつかッ!?)
黒木の指が寸前で止まった。左手で胸元の鎖を掴み、力任せに引き千切る。金属が弾ける音が響き、宝石が地面へ転がった。
そして、自身の蟀谷から、鈍く光る青い石へ銃口を向け直す。
『よせ!!』
「ぐぅ……ッ……やはり、そういうことか」
「パァァンッッ!!」
銃声が山に反響する。宝石は砕け散り、青い光が霧散すると同時に、黒木の身体から、黒い靄が引き剥がされた。
靄は、夜の山林へと溶けていく。
「オマエェェッ! 楽に死ねると思うなァァッ!!」
不気味な残響だけを残して。
黒木は膝をついて荒くなった息を整えた。血管の怒張が引いていき、爪も、顔貌も元に戻る。
蔵森は震えながら見ていることしかできなかった。だが、自分の理解を超えた何かが起きていることだけは、はっきりしていた。
黒木はゆっくり立ち上がり、蔵森に向き直る。
「……蔵森さん」
声はもう、刑事のそれに戻っていた。
「誤認でした。俺は……取り返しのつかない過ちを犯すところでした」
蔵森の目から、張り詰めていた緊張がほどけるように、涙があふれ出した。
「本当に申し訳ありません」
深く、頭を下げ、両手の拘束を解いた。
「今すぐに帰りましょう。事情については、車内で説明させてください」
そう話すと、遠くでサイレンの音が聞こえた。そして、徐々に、確実に近づいてくる。
「……すぐそこまで来てたか」
黒木は、ため息を吐いた。
「もう、お手上げだ」
林道の向こうから赤灯が反射し、ヘッドライトが差し込む。
「黒木真也だな! 銃を置いて! 両手を上げて!」
警察官たちが駆け寄って指示を出す。黒木は足元にS&Wを置くと、蹴り飛ばして両手を上げた。
「弾なんて残ってねぇよ」
にじり寄る警察官に対し、抵抗する意思がない事を告げるように膝を折ると、後方へ回り込んだ警察官に、地面に押さえつけられた。
生暖かい湿った土の感触と、手錠の重み。
山には、雨が降り始めていた。




