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会議室には重い空気が漂っていた。ホワイトボードの中央には、大きな黒い文字で、こう記されている。
『 黒木刑事失踪事案 対策本部 』
「それでは始めるぞ」
副署長の坂上が着席し、静かに開始を告げると、各班から順に報告が上がった。会議室には、事実を読み上げる捜査員たちの声が響く。
報告は滞りなく進み、やがて田中将の事情聴取を担当した高遠の番となる。高遠は立ち上がり、手元の資料に目を落としながら、簡潔にその内容を報告した。
刑事たちは顔を見合わせて訝しげな表情を浮かべたが、誰もすぐには口を開かなかった。視線が鋭くなり、不信感が対策本部に満ちた。
呆れたように小さく鼻を鳴らす者や、腕を組み直して唸る者。疑念を含んだ雰囲気が漂う中、高遠に「……本気で言っているのか?」とでも言いたげな視線が向けられる。記録係のペンは、途中から止まっている事もあった。
そして、井上班の報告になり、資料が配られる。
「黒木刑事の自宅確認結果を報告します。自宅に荒らされた形跡はなし。ただし、デスクの引き出しから黒木澪殺人事件の捜査記録を発見。黒木刑事が独自に捜査を続けていたものと思われます。資料の一部に破損が見つかり、シュレッダー屑を回収しました」
写真が投影される。
「シュレッダーはクロスカット方式。加えて水が掛けられており、復元は極めて困難です」
捜査員たちの低い唸り声が漏れる。
「意図的ですね」
井上が続ける。
「自宅正面の道路から三十メートルほど離れた垣根から、黒木刑事が使用していたと思われるスマートフォンが発見されました。SIMカードは抜きとられ、データは初期化されています。また、この地点は防犯カメラの設置がなされておらず、破棄した時間については分かっておりません。黒木刑事は防犯カメラの位置を警戒し、行動しているものと思われます。午前八時三十分の時点で自宅不在が確認されていますので、同時刻を基点に、零時まで時間を遡って映像を洗うのが妥当かと考えます」
「そうだな。妥当だ」
副署長が肯定する。
「また、署内保管の捜査資料と照合し、欠落している部分の特定を進めます。黒木刑事が証拠隠滅を図った可能性が高く、この書類に捜査の手掛かりが含まれていると考えられます」
周囲に頷きが広がった。
「次に、携帯端末の位置情報および銀行取引履歴の確認ですが、いずれも令状が必要です。早急に準備へ着手すべきかと」
刑事課長がメモを取る。
「併せて、立ち寄る可能性のある金融機関等の防犯カメラ映像を優先確認することを提案します」
「分かった。並行して進めろ」
各班の報告が終わるのを確認すると、副署長が立ち上がった。
「高遠班の報告にもあった通り、田中の証言は現実離れしている。しかし、供述態度に破綻はない」
副署長が捜査員全員を見渡すと、会議室が静まり返る。
「田中同様、黒木が心神耗弱、あるいは精神的に不安定な状態にある可能性も排除できん。それに忘れるな。黒木は拳銃携帯中だ。捜査は慎重かつ迅速に行え。何か掴んだら即座に本部へ上げろ」
そして、副署長の一言で会議は終わりを告げた。
「それでは解散!」
各々の資料がまとめられ、椅子を引く音が響くと、刑事たちはそれぞれの班へと散っていった。
警察組織が黒木を重要参考人として追い始めた。ホワイトボードに書かれた黒い文字が、白い蛍光灯に照らされている。その中央に貼られた黒木の写真は、まだ警察官の顔をしていた。
***
井上班は、防犯カメラ映像の精査を続けていた。黒木の自宅周辺。事件当日零時から八時三十分までを中心に洗い出す。
「……今の、止めてください」
一人の捜査員が言った。帽子を目深にかぶった男が画面を横切る。
「拡大」
映像が荒くなる。画面の男は一瞬顔を上げた。
「……ん?」
顔の中央に、黒い靄がかかったように見える。ノイズのようだが、違う。顔の輪郭が溶けている。
「これ黒木刑事……ですよね?」
再生。停止。コマ送り。
「もう一回、7時25分40秒」
別角度のカメラ映像が映る。その時、ざわりと空気が動いた。
「……おい」
靄の隙間から見える顔。熱で溶けたかのように皮膚が垂れ下がって歪んでいる。だが周囲の通行人は正常だ。異常なのは、黒木と思われる人物だけ。
「カメラの不具合か?」
「いや……他の人物は普通です」
別の捜査員が声を上げる。
「こっちもです」
画面が切り替わる。別地点、別角度。やはり歪んで見える。
その上——
「……待て」
黒木の顔の上に、別の “顔” が重なっている。一瞬だけ、目と鼻が重なって二つあるように見える。
「なんだ? これ?」
室内は静まり返る。誰ひとり言葉を紡げないでいた、その時——
「何を見ている」
井上が後ろに立ち、モニターを見つめる。ほんの一瞬、目が鋭くなったが、すぐに平静を取り戻す。
「黒木に間違いはないんだな?」
「は、はい。体格、歩容は一致しています」
「なら、重要なのはそこじゃないだろ?」
井上の声は圧を含んでいる。
「映り方がどうあれ、行動を追うべきだ。行き先は特定できたのか?」
「現在照合中です」
「つまらん憶測はするな。映像の異常は鑑識へ回せ。解析結果を待て」
叱責を受け、捜査員達が動き出す。だが誰もが、最後にもう一度だけモニターを見た。高遠班の報告——田中の供述が頭をよぎる。
『悪魔』
馬鹿げている。だが。あの歪みは、偶然生じたものではない。
「……次の映像、入りました」
駅周辺のカメラ。歪んだ顔の黒木が、白いワゴン車に乗り込む瞬間が映る。
「ナンバー出せ」
「静止画切り出します。拡大」
「鑑識へ即送信。車両照会を急げ」
室内の空気が一気に実務へ戻る。無線の呼び出し音と、断続的なキーボードの打鍵音が、絶え間なく響いている。
「車両特定を最優先とする。動線を洗い出せ」
井上が言うと、捜査員たちは再び画面に向き直る。だが、歪んだ顔と重なった奇妙な影。あの映像が、頭から離れない。
それでも、捜査の手を緩めることは許されなかった。対策本部は、さらに慌ただしくなっていく。




