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若い警察官がメモ帳を開くと、高遠が質問を始める。
「では、確認させてください。現場は、将さんが倒れていた、旧高木ビルで間違いありませんか?」
黒木と待ち合わせた廃ビル。巨大な空間の裂け目。今振り返っても、緊張で喉が鳴る。
「……はい。そうです」
輸液ポンプの動作音が、やけに大きく聞こえた。
「なぜ、そこにいましたか?」
「……任意同行の時に、黒木刑事と約束しました」
母親が、将が任意同行を受けていたという事実に、小さく息を呑む。将は、話を続けた。
「ユースフの件で、失踪直前まで一緒に居た人物として、警察に話を聞かれました。そのあと、黒木刑事に個別で聴取を受けたんです」
「時間は?」
「十六時過ぎだったと思います。それで、零時頃に廃ビルで待ち合わせることになって……」
若い刑事が顔を上げる。
「黒木刑事と、夜中に?」
「そうです。裏を取る必要があるから一緒に来いって。俺も、その時は色々混乱してて……黒木刑事に向かって暴言を吐いて、挑発したりしていました」
高遠が、続きを促す。
「それで? 待ち合わせた後は?」
「ビルの三階に行きました。ユースフを虐めていた場所です。そこで、黒木さんに色々質問を受けて……その後、異変が起きたんです」
「異変?」
「隣の部屋の空間が、裂けていたんです。壁と壁のあいだが、歪んで、黒い亀裂が開くみたいに。ユースフも前日、その中に入ってしまって……それから行方が分からなくなりました」
「二人で、ユースフさんを探す為に、中に入った?」
「黒木さんはユースフを探そうとしていたんだと思います。俺は入りたくなかったんですけど、最終的に二人で中に入りました」
「その内部で、何を?」
「黒木刑事は、ユースフの捜索をしてたんだと思います。俺はビルに戻ろうと思ったんですけど、入り口が塞がって帰れなくなって……帰る方法を探していました」
「それからは?」
「その空間の中に、人が居ました。リュッサさんとツゲさん——そう名乗っていました。黒木刑事がその二人にユースフについて確認すると、すでに死んでいるという事でした。でも、遺体はありませんでした」
「死亡原因は?」
「わかりません。ただ……あそこは、普通じゃなかった」
警察官の二人が、怪訝な表情を浮かべる。
「俺は、脱出を試みたんです。でも、その途中で、巨大な蛇に遭遇しました」
若い刑事のペンが止まる。
「……蛇?」
「人間なんて余裕で丸呑みにできる大きさの蛇です。実際、俺は締め付けられた後、簡単に飲み込まれました」
荒唐無稽な話に、母親も小さく「どういうこと?」と囁くが、将は首を振る。
「でも、助けてもらえて」
「誰に? 救出された感覚は?」
「そのリュッサさんとツゲさんという異空間の住人です。それで……気がついたら、廃ビルに戻っていました」
「やけどは?」
「蛇の胃の中で消化液を浴びた痕です。皮膚が焼けるような感覚でした」
年長の刑事が、慎重に言葉を選ぶ。
「発見は午前八時三十分で、将さんは朦朧状態でした。意識を失ってから、どれくらい経っていたと思いますか」
「……そんなに時間は経っていないはずだと思います。たぶん、数十分」
「黒木刑事の行方を知っていますか?」
将は目を閉じる。
「途中ではぐれてしまい、別行動になりました。なので、具体的にはわからないです。ただ——」
視線が、真っ直ぐ刑事を射抜く。
「黒木刑事も、危険な状態だと思います。その、リュッサさんが……悪魔と契約をして、異空間からこっちに戻っていると教えてくれました。早く見つけた方がいいと思います」
「悪魔? こっちに戻っているって?」
「……はい。俺も、詳しくは分からないんですけど、悪魔と取引をして契約を結ぶことで、こっちに戻ってくることが可能みたいです。こっちっていうのは、今俺たちが居る世界の事で、現世。それに対して異空間を、冥府と呼んで区別していました」
「冥府に現世ねぇ……」
「黒木さん、まずい状況だと思います」
「まずい状況って?」
「その……誰かを、殺してしまうんじゃないかって……」
「なぜ、そう思う?」
「それは、特に根拠はないんですけど……」
「黒木刑事の居場所に見当は?」
「居場所については、わからないです。ごめんなさい」
高遠がチラリと若い刑事に視線を送ると、彼は静かにメモを閉じた。
「本日はここまでにします。ご協力ありがとうございました」
***
若手刑事が小声で言う。
「……おいおい、一体誰がこんな話信じるんだよ」
「俺もそう思うんだが……」
年長の刑事が腕を組み思案する。
質問に対して少し悩む様子はあった。だが、返答は早かった。目は真っ直ぐにこちらを見ていて、焦点も合っていたし、取り繕っている様子もない。だが、内容が常軌を逸している。
「嘘をついているようには、見えなかったな」
「……じゃあ、本気で言ってるってことですか?」
「だから妙なんだよ……薬物の可能性もあるな。それに統合失調症とか外傷後のストレスとか、低酸素の影響? あとは、意識消失時に夢でも見ていたか……念のため医師に報告だな」
二人はナースステーションへ向かう。中にはまだ形成外科医の森川の姿があった。
「森川先生。お忙しいところすいません。確認なんですが、田中将の検査結果に何か異常は?」
「結果はある程度、出揃っていますよ。採血データに電解質異常——まぁ脱水ですね。それと炎症反応は見られましたが、それ以外に目立った逸脱はありませんでしたね」
「そうですか……あの、追加で薬物スクリーニングの尿検査、お願いできますか?」
森川が白髪交じりの眉をグッと上げる。
「疑いが?」
「念のためです」
森川は静かに二度頷いた。
「分かりました。依頼を追加しておきます」
廊下を進んで談話スペースまで来ると、周囲に誰もいない事を確認して、高遠が端末を取り出す。
「高遠です。現在市立総合病院。田中将の事情聴取です。内容は……」
一瞬、言葉を選ぶ。
「非現実的な証言が多数ありました。田中将は異空間に行っていたと話し、蛇に飲み込まれてやけどのような症状が出たと。また異空間に住人が居り、彼らの発言から、捜索中の長谷川ユースフ・アミンは死亡しているとも……」
電話口の向こうからは、何の反応もなかった。
これだけ待たせた末の報告で、この有り様だ。きっと肩を落としているだろう。高遠はそう思いながらも、結果を伝えないわけにはいかなかった。
「黒木刑事については、一緒に異空間に入り、ユースフを捜索していたそうですが、途中ではぐれた模様です。その際に悪魔と契約していると発言がありました。何かの比喩かはわかりません。田中将は、黒木刑事が誰かを殺害するのではないかと危惧していますが、その対象、動機ともに不明。そして現時点で黒木刑事の所在は不明です。病院の担当医師には念のため薬物スクリーニングを依頼済みです。ただし、田中将の供述態度は安定していました」
通話を終えた高遠がポツリと言う。
「……これは厄介だな」
若手がため息を吐きながら疑問を口にする。
「悪魔っていうのは、一体何なんですかね? それで、取りつかれちゃった黒木さんが殺人? まぁ確かに、いつも目が据わっちゃって、取りつかれているように見えなくもないですけど」
「おい! いい加減にしてくれ。言っていい事と悪い事があるだろう。頼むからお前も真面目にやってくれ」
「す、すいません。……でも結局、黒木刑事の行方は不明のままか」
そんなやり取りの最中だった。高遠の端末が短く震え、着信を告げた。表示された名前を一瞥し、高遠の目が細まる。黒木の自宅捜索に当たっている井上班からだった。若手刑事に目配せをしてから、通話ボタンを押す。
「高遠だ」
淡々とした報告が続いた。現場の状況、押収物、室内の様子。高遠は談話室の椅子に深く腰掛け、視線を机上の一点に落とし、短く相槌を打った。
「……ああ」
「……それで」
「わかった」
高遠の人差し指の先が、繰り返しテーブルを叩いている。やがて、報告の終わりが近づくと、通話先に告げた。
「了解。そちらは引き続きカメラ映像を」
通話を切ると、静まり返った室内で若手が身を乗り出した。
「何か出ましたか?」
高遠は腕を組み、簡潔に告げる。
「黒木の自宅から、足取りにつながる可能性のある物が見つかった」
「お手柄ですね」
「ああ。まず、本人が直近まで使用していたと見られるスマートフォンが自宅付近の垣根に捨てられていた。防カメのない場所だ。電源は落ちていたが、解析に回す。通信履歴と位置情報の洗い出しだな」
若手の表情が引き締まる。
「持って出ていない……?」
「意図的に捨てていった可能性が高い。追跡を避けるためだろうな」
高遠は続けた。
「それと、黒木が個人的に保管していた捜査資料がでてきた」
「個人的に保管してた資料って? もしかして、あの?」
「ああ。例の事件の資料だ」
「……黒木澪の殺人事件、ですか?」
「そうだ」
二十数年前、世間を騒がせながらも決定打を欠いたまま迷宮入りした事件。被害者は黒木の実姉、黒木澪。捜査本部は解散し、書類は倉庫送りになった。
「デスクの引き出しに、当時の資料の写しが、かなりの量あったらしい。加えて、一部意図的に破棄された痕跡があるそうだ」
「破棄……?」
「自宅のシュレッダー内に、処理の痕跡が残っている。復元に回すらしい」
「もう、だいぶ前の事件ですよね。それを今になって?」
「黒木が独自に捜査を続けていた可能性が高い。ユースフを捜索する中で、何か掴んだのかもしれないな。あるいは、気でも狂ったか」
高遠は立ち上がり、端末をスラックスのポケットに突っ込んだ。
「いま、井上班が自宅周辺の防犯カメラを洗っている。半径三百メートル圏内、過去一週間分だ」
「……もし、黒木刑事が誰かを追っているとすれば、その相手は——」
「黒木澪を殺害した人物、もしくは関係者の可能性もある」
高遠は即答した。
「まだ仮説も仮説。だが、動機として筋は通るな」
若手は小さく息を吸う。
「黒木刑事が追っていた事件の真相に辿り着いた……?」
「薄い可能性の一つだ」
高遠は病院の出口へ向かいながら振り返る。
「これから、戻って緊急会議だ。急がないとな」
「はい!」




