15
「姉を殺した犯人への復讐。まぁ、自分の為だな……」
黒木はそう答えた。そして、これまで誰にも話したことがなかった憤りを、クルーエル・イフへとぶつける。
「……どうしてだ? どうして “罪のない人間” が死んで、クソみてぇな奴ほどのうのうと生きてる?」
黒木が低く吐き捨てるように言うと、クルーエル・イフは静かに仮面を伏せた。
「黒木真也。それは現世で最も古く、誰もが答えを持てない問いだ」
「答えがねぇ? ふざけんなよ」
クルーエル・イフはゆっくり首を振る。
「……一言でいえば、死んだ命は戻せんが、生きている人間には “罰” を与えることができる。理不尽に聞こえるだろうが、それが “現世の仕組み” なのだ」
黒木の顔が歪む。
「……だから姉は死んで、犯人は生きている。そんな理屈で納得できるかよ」
「そうだろうとも」
クルーエル・イフは即答した。
「怒りは当然だ。『なぜ関係のない人が殺されたのか?』『なぜ殺した本人が生きているのか?』これは理屈で埋まることはない。“感情の正義” の領域だ」
黒木は拳を握り、指先が白くなる。
「 “感情の正義” ねぇ。だったら…… “死より重い罰” を与えてやりゃいいだろ。ハンムラビ法典みてぇに。目には目を……そうすりゃ被害者の家族も少しは報われるんじゃねぇのか?」
クルーエル・イフはうつむくようにしていた仮面を、黒木に向けて正す。
「自然な発想だ。人間の心として正しいだろう。だが法は “復讐” ではなく“社会秩序を維持するため” の装置だ」
黒木は黙り込む。
クルーエル・イフは続けた。
「ハンムラビ法典は感情に寄り沿う。非常にわかりやすい。が、現代の法は “被害者の怒り” より “秩序の安定” を優先する」
「……なぜだ? なぜ悪人のほうが有利な仕組みになってる?」
「有利というわけではない。秩序を乱さないために、“死より重い罰” が現世においては採用できんのだ。なぜなら——」
クルーエル・イフは指を一本立てる。
「残酷な罰を国家が行えば、 “国家が加害者” となる。法とは、人間の残酷性を制限するためのものだ。国家が残虐行為を正当化すれば、秩序は残酷な価値観に染まる」
クルーエル・イフは加えてもう一本指を立てる。
「次に、冤罪の可能性だ。回復不能の苦痛を与えておいて冤罪であれば……取り返しがつかんだろう?」
さらにもう一本。
「最後だ。厳罰にしすぎると、犯人が “未来が地獄であると確定しているなら、現在に賭ける” と判断する。将来の確定的苦痛を免れるため、“逃走” における極端な選択を合理化するだろう。そうなれば逃亡は激化し、証拠隠滅は増え、さらに殺される被害者が増える。厳罰化は治安を悪化させるのだ」
黒木は薄く舌打ちする。
「……ふざけた話だ。警察学校の教官みたいなこと言いやがって……こっちは家族をぶっ殺されてんだぞ? 感情を無視すんのが正しいって言うのか?」
「正しいというわけではない」
クルーエル・イフは静かに言った。
「国家は “秩序を崩壊させないため” に刑罰を与える。被害者家族の感情は、制度の中心に置かれることはない。怒りが生まれるのは当然だろう。それは国家の非情さではなく、 “社会制度と人の感情の間にある溝” だ。永遠に埋まらない溝なのだよ」
黒木はゆっくり視線を落とす。冥府の地面がかすかに揺れているように見えた。
「……じゃあよ。俺のこの怒りはどうすりゃいい?」
クルーエル・イフは目を細めた。
「それを見極めるために余がここに居る。そなたは今、 “復讐の衝動” と “社会の理” の狭間にいる。そのどちらに傾くかで冥府の道は大きく変わるだろう」
黒木の胸に、かすかな迷いが生じた。それは怒りや悲しみではなく、重さを伴う燻った感情だった。
「黒木真也。現世で出せなかった答えを冥府でどう見出すのか。それを、これから進んで行く中で余に示せ」
黒木は黙ったまま、奥歯を噛みしめていた。
「一つ、良いことを教えよう」
クルーエル・イフは静かに背を向けると、背の黒い翼が身体を覆うように包み込み、その輪郭が曖昧になっていく。
「冥府での審判に “誤診” はない」
クルーエル・イフはそれだけ言い残すと、黒木の目前から霧が揺らぐようにして一瞬で消えた。周囲の景色がほどけるように、黒木の意識は急速に現実へと引き戻されていく。
気がつくと、目の前にはリュッサが立っていた。
「お疲れ様です、黒木さん。……大丈夫ですか?」
心配そうに覗き込むリュッサの横で、田中も固い表情のまま黒木の様子を見守っていた。
「あぁ」
黒木は腕を組みながら短く返事をし、顎に手を当てて深く考え込む。さきほどクルーエル・イフから告げられた言葉は、未消化のままだ。
しばらく沈黙が続き、黒木は小声でつぶやいた。
「それでも、俺は……」
顔を上げた黒木の視線が、リュッサに向けられる。
「すまない。待たせたが、試練は済んだ。で、この冥府を進むのに必要な “力” って、なんなんだ?」
田中も、その言葉を聞いてはっとしたように顔を上げた。二人の視線がリシェラへと向けられる。
リュッサは静かに微笑むと、ゆるやかに両手を広げた。
「では……冥府を進むあなた方へ、力を授けましょう」
柔らかい光がリュッサの掌に集まる。その光が黒木と田中へ向かってのび、まるで糸が絡むように二人の身体へ吸い込まれていった。
二人は驚きのあまりまばたきを忘れていた。
「——これは?」
リュッサは微笑を深め、静かに告げる。
「冥府を越えるために必要となる “力” 。あなた方二人に、ほんの少しだけ……道を切り開く術を授けました。目を凝らすようにご自身の身体を見てください」
淡い光が消えるころ、黒木と田中——その身体の奥に、今まで感じたことのない感覚が宿っていた。




