第七十四話
風の音も葉擦れの音も何も聞こえない。自身の呼吸の音さえも曖昧だ。
その中で一際耳につくのは、耳鳴りのような甲高い音。その音がクリスタルによって引き起こされていることにヒカルはすぐに気がついた。
「ここだよな⋯⋯?」
問いに、ベルが無言で頷く。サクラは皆の体力の回復を行いながら喉を鳴らした。
異様な雰囲気だ。まるで引き込まれそうな……それに、体が震える。枝を踏んだ音さえも、やけに耳についてしまう。
何があるのか気になり、ヒカルは先へと足を進めた。
「これは⋯⋯」
見えた光景に、思わず息を呑んだ。ドワリンドが会うだけで良いといった理由をようやく理解した。
通常のサファイアウルフよりも何十倍と大きい狼がそこにはいた。澄んだ青い瞳は見惚れるほど美しい。
外にいた狼たちよりも、顔は理性的であった。
特に目を引くのは、体に突き刺さったクリスタルだ。それはサファイアウルフを地面へと縫い付けているかのようだ。
「我が子らを掻い潜ってやってくるとはな。ドワリンド以外の人間を久しぶりに見たぞ」
喋ったことに驚きはない。この狼には敵魔物のような表記がないからだ。
つまり、このサファイアウルフは話せるNPCということになる。
「済まないな森の子らも生きるのに必死なのだ」
「⋯⋯いえ、理由はわかります」
ベルは小さく息をつく。サクラはひどいと、口元を抑えていた。
「ふむ。少なくとも私を殺すために来たわけじゃないな」
ベルがヒカルの腰をつついて前へと出した。よろけながら、サファイアウルフの前に出る。
「して、この傷ついた狼になんのようか?」
「ドワリンドからあんたに会えって言われて」
「ドワリンドから? ふむ、私に会ったところで何もできることはないはずなのだが⋯⋯」
狼は考え込むように目線を下げる。少し動くと痛むのか顔をしかめていた。
ヒカルは『闇の剱』を取り出して、見せる。狼はそれがなにか一瞬で感じ取り、目を大きく見開いていた。
「ベルフェゴール⋯⋯。ベルフェゴールか!」
大きく吠える。耳を塞ぎたくなるほどの声量だ。
外の狼たちが集まってくるのがわかる。
集まってきたサファイアウルフたちは敵意をむき出しにして唸っていた。一匹が飛びかかろうと身構える。
「早まるな!」
巨大な狼の喝に怯えて、狼たちは森の中に去っていく。
「⋯⋯済まない。心を乱した」
狼は謝ってから、改めて口を開く。
「私の名前は、フェンリアル。ベルフェゴールによってここに縫いつけられた哀れな狼だ」
「縫いつけられた⋯⋯? なんでだ?」
「ルシファー様の遣いだからだ。⋯⋯いや、だったといったほうが正しいか」
フェンリアルは、かつての戦いで先人を切っていたらしい。しかし、ベルフェゴールの能力によって、封じられてしまったという。
この狼を貫いているクリスタルは、そのベルフェゴールの魔力結晶ということだ。
なるほどとヒカルはクリスタルを見上げる。大体話は見えてきた。
この『闇の剱』は、ベルフェゴールの一部が使われている。そして、強化にはベルフェゴールの何かが必要。
ドワリンドが会うだけでいいといった意味を完全に理解した。
ヒカルは前に出る。フェンリアルの体によじ登り、クリスタルに手を伸ばす。
触れてみると静電気のような痛みが走った。力が吸われるような感覚に襲われて、足元から崩れそうになる。
「何をするつもりだ?」
フェンリアルの問いかけに答えるように、ヒカルは『闇の剱』を構えた。
クリスタルの耳鳴りのような音がさらに大きくなる。よろけそうになりながらも、ヒカルは踏ん張るのだった。
「そのベルフェゴールの力を貰う!」
「んなっ!」
信じられないといったようなフェンリアルの声を無視して、ヒカルはクリスタルへ突き刺した。
悲鳴が響き渡るようだった。まるでこの世の恨み辛みが募っている。
圧迫感で苦しくなり、呼吸も浅くなる。
「ひ、ヒカル! 何をしてるです!」
サクラが近寄ろうとしてくる。その体をベルが抑えていた。心の中で彼女に感謝しつつ、さらに深く突く。
クリスタルがひび割れていく。内側から紫色の光が漏れていく。
魔力のようなものが溢れ出し、『闇の剱』に絡みつく。どころか、ヒカルの両腕まで侵食してくる。
「よせ! 死ぬぞ!」
フェンリアルの慌てた声が聞こえる。しかし、ヒカルは笑みを漏らした。
「生憎、冒険者は一度死んでも復活できるんだ!」
「冒険⋯⋯者?」
その言葉を言い放った直後、クリスタルが大きく音を立てて砕け散った。
ヒカルは吹き飛ばされて、数メートル転がった。それをベルが受け止める。
『ネームド:怨霊である汚染されたフェンリルが現れました。以降、このマップでは、一定の条件を満たすと、現れるようになります』
ウィンドウが新たな展開を告げたのだった。




