第七十二話
吹雪は収まった。不穏なほどの静けさがあたりを包み込む。
ヒカルは結界が発動されている木を見つめる。あの刻まれた文字のおかげで、ここは安全を確保されている。しかし、一歩踏み出せばそこは魔物が跋扈する地帯だ。
ドワリンドから出された一つ目の課題は、サファイアウルフのボスを探し出すこと。倒さなくていい、見つけるだけでいいと彼は言っていた。
ヒカルの後ろには、ベルとサクラがいる。ルシは寒いのはいやとかわがままを言い出して、ドワリンドの家に留まった。
しかし、あの瞳を見ればわかる。彼女は、ヒカルが自力で手に入れるのを待っているのだ。
「ベルさん、大丈夫です?」
サクラのベルを気遣う声が聞こえる。振り返ると、ベルは首を縦に振っていた。
ドワリンドの家で新しいメイド服に着替えた彼女は、ピンと背筋を伸ばしている。
「おかげさまで。あのスープは地獄でしたが」
「あ⋯⋯はは」
「まぁ、あなた達が私を助けたい気持ちからの行動だったので、なんとも思っていません。本当、二度と食べたくありませんが」
聞こえてくる辛辣な言葉に、ヒカルは落ち着かない様子で尻尾を動かした。
聞こえなかったふりをして、結界の外へ試しに一歩足を出してみた。遠吠えが聞こえ、周囲からサファイアウルフが湧いてくる。牙をむき出しにして、飛びかかってきた。
足を結界内に引っ込めた。結界に当たった狼は感電し、悲鳴を上げる。
狼が数体、よだれを垂らしながらゆっくりとこちらを見つめている。遠吠えの数は増えて、徐々に量が多くなってくる。
「この中をいけと⋯⋯?」
「普通に考えたら無理ですね」
新しいランタンを取り出しながら、ベルが言う。
少しでも出たら、食い散らかされて終わりだ。今ここで死ねば、どこで復活するかわかったものではない。
そんなとき、サクラはジーッと結界の文字を見つめていた。
「わ、私こういったゲームは詳しくないから分からないのですが⋯⋯あの文字は持っていけないのですか?」
「⋯⋯は?」
「い、いえ⋯⋯現実ならお札とかお守りとか持って歩けるじゃないですか? ゲームではできないんですか?」
「そんな簡単なら、クエストにならないだろ?」
ヒカルの言葉に、サクラは「そうですか⋯⋯」と落ち込むように顔をうつむかせる。
しかし、ベルはその言葉で動いていた。
剣を構え、呼吸を整える。そのまま近くの木を斬り倒した。
切り刻んだ木から、文字の部分を持ってくる。
「ベル、何を?」
「お札とかお守りとか現実とかの話は知らないけど、持ち歩けないかって話には一理あると思いまして」
彼女は木片をランタンへと入れた。炎が青くなり、周囲に何やら青いイナズマのようなものが奔る。
「おいおいおいおいおい!」
異変を感じたドワリンドが家から出てくる。
彼は急いで近寄ってくると、伐り倒された木を見つめた。
「何してくれんだ? ここから魔物が入ってくるだろ?」
「すみません。でも、もうやってしまったので」
威圧的に怒るドワリンドに対して、ベルは淡々とした姿勢を崩さない。青い炎が燻るランタンを手に持ち、頭を下げた。
「しかし、これくらいの穴ならあなた様は立て直せますでしょう?」
「くそ、一番厄介な奴はアラクネの嬢ちゃんだったわけか」
彼が諦めたように大きく息を吐いた。どこから取り出したのか、ドワリンドの身の丈ほどもある斧を握っていた。
遠吠えが聞こえる。サファイアウルフの群れが押し寄せてくる。
ドワリンドは斧一つで狼たちを蹴散らしていた。
しかし、魔物たちは殴られただけで殺されていない。またすぐ体を起こして体勢を立て直そうとする。
「悪いなわんころ。こっから先は通行止めだ!」
持ってた斧を地面に刺した。そのまま地面に文字を書き上げる。
それは青い光を帯び、周囲にイナズマを走らせる。
狼たちは悲鳴を上げながら、遠くに逃げていった。
「はぁ、本当これ以上余計なことをしてくれるなよ?」
ドワリンドの言葉に、ベルが頭を深々と下げた。青い炎のランタンを手に持って、こちらへ向いてくる。
「それでは行きましょうか」
「あ⋯⋯あぁ」
ヒカルは尻尾を左右に揺らしていた。
結界を運ぶことができるのはありなんだと、何だかゲームの常識を少し狂わされた気分である。
ベルが率先して結界の外へと出る。狼たちの遠吠えが聞こえてすぐに集まってくるが、すぐに悔しそうに低く唸っていた。
彼らは飛びかかろうにも二の足を踏んでいる。しばらく見つめていたが、襲いかかってくる気配はない。
「大丈夫なようです」
その言葉に、どこか頼もしさを感じた。




