第六十九話
「ここじゃ」
ルシの案内に従って、森の奥にたどり着いた。一軒の木の建物があり、煙突から湯気が立ち上っている。焦げ臭いながらもどこか木の安心するような匂いが混じっていた。
吹雪はすっかりと収まっていた。
ベルは依然、体調が良くならない。彼女はヒカルの背中で浅い息をしていた。
ルシがドアの前に立つと、彼女はノックする。しばらくしても声がないので、今度は強く叩いていた。
『わしはおらん! 帰れ!』
どこか野太い声は、何もかもを拒絶するような雰囲気を纏っている。しかし、ルシは彼の言うことを聞かずにまたノックする。
「うちじゃ、開けろ」
『⋯⋯その声はルシか? なんだ、最初からそういえ』
ドアが開かれる。白いひげを地面まで伸ばした小男が現れる。目は眉毛で見えなくなり、肌には深い皺が刻まれている。
ルシの背後にいるヒカルたちを見つけると、彼は無言でドアを閉める。
「ちょっと! なにするのじゃ!」
『何するはこっちの話だ! なんだ、そいつらは!?』
「お客様じゃ! ドワリンドに新しい依頼を持ってきたんじゃ!」
『いらん! 他のものはいつも災いを呼ぶ! それに、その小娘は悪魔族じゃないか!』
悪魔族と呼ばれて、ヒカルの尻尾がピクリと揺れる。なるほど、種族も多少なりとも物語に関わってくるのか。
ベルを担ぎ直しながらサクラの方をみる。彼女はわけがわからないとでも言うように、小首を傾げていた。
「どうやら、絵に描いたような偏屈爺さんのようだな」
「そ、そうです?」
『誰が偏屈だ! お前らがいつも厄介事しか持ってこんからだろ!』
ヒカルの声が聞こえていたようで、やばいと口元を片手で覆う。その後すぐに、なんでNPCに気を遣わないといけないんだと小さくため息をついた。
「だめじゃ、出てこんなぁ」
「どうするんだよ⋯⋯?」
「こうなったら、うちでも対処法は知らん」
頼りにならないルシを半眼で見つめる。
「何じゃその顔は?」
彼女の問いに、わざとらしく大きくため息をついてみた。
ルシはイラッとしたのか、右の目の下をピクリと動かしていた。
「役立たずな傲慢少女」
「⋯⋯ほう、喧嘩か? なら、喜んで買おうぞ」
「俺がいなかったらやられてたくせに偉そうだな」
「人が好意で勧めてやったのに、恩義はないのか!?」
「好意でもちゃんと結果が伴わないと意味ないだろ? こっちは早くこの状況をどうにかしたくて、時間を潰してまでついてきたのに」
その言葉に、ルシの青筋がはっきりと浮かんだ。地団駄を踏みながら、指をさしてくる。
「おのれ、調子に乗りおって! いつか痛い目に──」
彼女の言葉が途中で止まった。ヒカルの頬が、サクラの掌に叩かれたからだ。
体力が1ミリほど削れる。赤いポリゴン片が血の代わりに散る。
彼女の緑のアイコンがほんの少しほどオレンジに近寄った気がした。目を凝らさないとわからないが、しかし確かな変化だ。
「最近のヒカルおかしいです」
その言葉が心の中にはっきりと浸透する。信じられないって顔でヒカルは目を見開く。
「何してんだよ?」
頬を叩かれた痛みはない。ただ、“彼女が自分の不利益を被ってまで自分を殴った”ことが信じられないだけだ。
「人を攻撃することがどういうことか知ってるのか?
」
「知らないです。でも、知らなくていいです」
彼女はそっぽを向いて、ドアの前に立つ。
サクラはドアを優しくノックする。
『なんだ! 帰れと言っただろ!』
「おじいさんすみませんです」
声の主が変わったことで、彼の声が途絶えた。しかし、サクラは静かに続ける。
「私の友達が具合悪いんです。村の女の子です。この子だけでも、休ませてくれないです?」
少しの無言のあと、ドアがゆっくりと開かれる。
ドワリンドは一通り全員の顔を見渡してから、ヒカルの担いでいるベルへと視線を固定する。
どこか申し訳なさそうに眉を動かしてから、長い髭を触る。
「入れ」
静かに言うと、ドアを開け放った。
サクラは頭を深々と下げてから、こちらに微笑みかける。
ヒカルは殴られた頬を無意識に触っていた。尻尾を垂れ下がらせる。
痛みを感じないはずの頬は、じくじくしているような気がした。
「ふん、サクラに感謝するんじゃな」
鼻を鳴らし、勝ち誇ったような笑みをルシが浮かべる。
ヒカルはそんな彼女に小さく舌打ちをする。
「⋯⋯別にお前の手柄じゃないだろ?」
「ふん、うちが紹介しなかったら、そもそも出会うことすらできんかったじゃろ!」
「お前、何もかも自分の手柄にしないと済まないタイプか?」
「なんじゃと!」
また言い合いになりかけたとき──
「ヒカル?」
桜の声が聞こえて、尻尾の動きを止める。ルシの勝ち誇ったような顔を無視して、家の中にベルを担いで入る。




