第六十話
「はぁ……はぁ!」
サクラは息を荒げながら走っていた。彼女が手を引っ張るのは小さな少女だ。
三対の黒い羽に悪魔の尻尾のようなものを持った子。髪はショートカットで、雪のように白く染め上がっていた。赤い瞳は、どこか不思議な色が宿っている。
こんな雪の中だというのに、彼女の露出度は高い。幼い四肢は、それでもきっちりと赤身が指していた。そのことが、余計に不思議な雰囲気を与えてくる。
「すまんのぅ小娘」
裸足の少女は、サクラの手を握りながら言う。
「うちの調子が良ければ、あんな子犬共なんてすぐに蹴散らせてやるのに」
「今はそんなことは気にしないでです!」
「しかし小娘よ。お前の手は震えておるぞ? 怖いのではないか? うちなんぞ置いて一人逃げればよかろう」
「それは嫌です!」
サクラはしっかりと少女の手を握り返し、足を動かした。
知能と運ビルドの彼女は、少女の手を引っ張って逃げれるほど速くない。何か考えなくてはと、頭を動かし続ける。
一匹の狼が追いついた。少女に向かって大きく口を開く。
サクラは思わず足を止め、杖を前に差し出した。
光が包み、防御膜が形成される。狼の牙は膜に食い込んで離れなくなる。
「爆!」
サクラが唱えると、防御魔法が砕け散る。
近くの狼を巻き込むどころか、雪まで巻き上げて視界を一時的に塞ぐ。
思わぬことに目を見開いたが、彼女はすぐに行動に移した。
少女の手を引っ張って、木の陰に隠れる。
視界が晴れたあと、二人の姿を見失った狼がしばらくキョロキョロしていた。口を手で塞ぎ、呼吸を抑える。
しかし、ここで臭いを嗅ぐように彼らの鼻が音を鳴らしていることに気がつく。
かつて、ヒカルが臭いにも索敵として反応していると言っていたことを思い出した。
サクラは寝転がり、土や雪を擦り付けるようにその場に転がった。
「何をしておるのだ小娘?」
「に、臭いを上書きしているです」
「なるほど、原始的だが中々に面白い」
もちろん、現実的にはこんな対処法がうまく行くとは思っていない。しかし、ここはゲームの世界。ある程度は誤魔化せるのではないか。
その可能性にかけた。
少女も真似するように土や雪拾い、体中に塗りたくっていた。
狼たちは依然として鼻を動かしている。そこかしこを見渡し、低く唸っていた。
涎が落ち、足音が聞こえる。雪や草木を掻き分けて、サクラたちを探している。
サクラがヒーラー職を選んだのは、安全だからっていう理由だった。しかし、それはとんでもない。
サクラが倒されればパーティが崩壊するリスクがつきまとう。いつも彼女の前でみんなが傷ついていく。そして一人になれば何もできない。
泣きたくなるが、今はその場合ではないと寸前で止めた。
近くまで足音が寄ってくる。息を止めながら動きも止める。心臓の音がやけに耳について、聞こえないか心配になってくる。
狼の鼻が、すぐそこまで迫ってきていた。もう少し前に出てくると、見えそうな位置だ。
──お願い、気が付かないで。
目を瞑りながら、心の中で祈る。
大きな遠吠えが響いた。それに反応するように、狼たちが向きを変える。
群れは駆けていき、一斉にいなくなった。
助かった。その思いで、大きく息を吐いた。
「こ、小娘油断するでない……!」
少女の小声の叱咤が耳につく。
思わず顔を上げると、残っていた水色に輝く毛並みを持った狼がそこにいた。
赤く獰猛な目は光っている。唸るたびに鋭い牙が見え、涎が雪の上に落ちる。
「……ひっ!」
喉の奥から叫び声が漏れた。へっぴり腰になりながら、どうにか逃げないとと足を動かす。
狼は遠吠えをしてから、サクラへと飛びかかる。歯が彼女の肩に食い込む。
体力バーはみるみるうちに削れていく。こんなところで死んでられないと、杖を構えてなんとか回復魔法を発動する。
しかし、焼け石に水であった。
狼の攻撃力とサクラの回復力は比べものにならない。
「うちのために死ぬのは見てらんないし、仕方ないの」
少女はサクラの肩に牙を突き立てる狼に手をかざす。すると、一瞬のうちにして、狼の体が消え去ってしまった。
サクラは何が起きたかわからず、目をぱちくりさせる。助けてくれた少女は、雪に埋もれるようにうつ伏せになっていた。
「あ、あの大丈夫です!?」
「ち、力を使い果たして動けん……」
少女の手を引っ張る間も、他の狼が戻ってくる。なんとかしてこの場所を離れないとと言う気持ちが焦りを生む。
「う、うちをおいて逃げろ」
「そんなことできないです!」
譲らないサクラ。そんな彼女に、次の狼の牙が飛んでくる。




