第五十話
その体躯は、アラクネ化したベルをほうふつとさせるものだった。しかし、彼女よりも肌の血色が悪く瞳は赤黒く輝いている。
「……ロイ」
ベルが小さく声を漏らす。
「人間といるってーーことはよぉーーー。おめぇーーーは、ベルフェゴール様を裏切ったーーーっていうわけだよなぁーーーー?」
「……っ」
「ベルフェゴール様から名前を借り受けたおめぇーーーがよぉーーーっこれはーーー殺されてもいいってーーーことだよなぁーーー!」
ロイと呼ばれた蜘蛛男は、口から糸を周囲に撒き散らす。地面に付着すると、その場がグツグツに溶けていく。
「……っ、また腐食かよ!」
さすが腐食を冠する沼の主の影響県にある魔物。ワンパターンだが、しかしそれが中々に効果がある。
少なくとも、一撃でもかすったらダメな攻撃だということは、その威力からも伝わってくる。
避けている最中に、ウィンドウが表示される。
『ロイはベルのかつての恋人。今やベルフェゴールに忠誠を誓い、その想いは届かない。ベルはこの戦闘には参加できません』
ベルの方を見ると、彼女は腕を抱いて震えていた。涙を流している。
つまるところ、あの屋敷での追いかけっこで見せた強力な彼女は使えないということだ。
仕方ないよなと、剣を構える。ミサキは弓を番え、ロイに撃った。
甲殻に当たった矢は、弾き飛ばされる。どうやら生半可の攻撃じゃ、通用しないようだ。
だったらと、ヒカルは地を蹴る。右足でロイの甲殻を蹴り、さらに上へと飛ぶ。
狙うわ胴体部分。そこなら柔らかく、刃が通るだろうと振り下ろした。
折れる音が聞こえた。刃がそのまま飛んでいき、遠くの地面へと突き刺さる。使い物にならなくなった剣は、赤いポリゴン片となって消えた。
「人間風情がよぉーーー! 俺様を傷つけようとすんなぁーーー!」
前脚で吹っ飛ばされる。肋骨が折れるような軋み音が響き渡る。地面を二、三回転がってから体の動きは止まった。
体力バーは一撃で半分以上削れている。
「ひ、ヒカルさん!」
サクラが慌てて駆け寄って、回復呪文をかけてくれる。
お礼を言って、ヒカルは立ち上がる。所持品から新たな武器を取り出して構える。
「参ったな……」
小さく息を吐く。手持ちの武器では、通用しそうにない。今もミサキが矢を放っているが、まったくもって効果は見られなかった。
ベルはいまだに打ちひしがれている。彼女からは攻略情報を聞けそうにない。続いてアキの方に目をやろうとして、自然と他人に頼っている自分に気がついた。
「はは……」
小さく笑い、剣を構える。
別に他人に頼ることは悪いとは思わない。仲間なんだから、それは当たり前だ。
しかし、これくらいのボスで頼り切るのはゲームを楽しむとは言えないだろう。
ただでさえ、ロッドウィグが殿を努めてくれているのに。
これ以上お膳立てが必要なほど、自分は落ちぶれているのか? そんなのでモルドレルドと対等に渡り合えるのか?
再びロイの咆哮が、思考をかき消した。彼が周囲に腐食糸を撒き散らし始めた。その一束を剣で掬い上げてから、投げつける。
剣は溶けながら空中を飛んだ。汚染糸がグツグツに溶かし、液体へと変える。その液体がロイの赤黒く輝く瞳に当たる。
「くっ! 小癪な人間がよぉーーー!」
視界が塞がれた彼は、顔を洗うように前足を動かす。しかし、人間よりは便利にできていない形状のため、付着した液体を取ることはできない。
暴れるロイの体力バーは、まったく削れていないこと。それでも、ヒカルは効果がないとは思わない。少なくとも、視界を遮ることができるのだから。
ヒカルは所持品から、未完成の『茨の剱』を取り出し握る。剣先を暴れる大蜘蛛に向けた。
「ミサキ、腐食糸を狙って射抜けるか?」
「……やってみるっす!」
彼女の返事を聞いて、ヒカルは走り出した。
再び甲殻を蹴って、飛び上がる。丁度目から液体を取り除いたロイと目が合った。
「何回来ても無駄だぁーーー!」
腐食糸がヒカルに向かって放たれる。それを見て、ヒカルは口の端を曲げた。
「結局、システムに組み込まれたアルゴリズムに囚われた存在だな」
まだ、人間のほうが何をしでかすかわからない分恐ろしい。
ヒカルに向かってくる腐食糸は、ミサキの放った矢に射抜かれた。そのまままた溶けた矢がロイの顔面にへばりつく。
再び視界を防がれた彼の口に向かって、『茨の剱』を突き立てる。
体力バーは一ミリも削れない。しかし、剣は折れていない。
ヒカルは飛び退き、ロイから距離を取った。
視界が回復した彼は、ヒカルのことを見下す。
「は! 全然聞かねぇーーーーよ! 弱虫人間がぁーーーーー!」
「そうだな」
小さく呟いて、表示されたウィンドウに目を向ける。
『茨の剱:攻撃した対象に永続的な1ドットのスリップダメージを与える。この効果は重複する』
ロイの体力バーに視線を移すと、彼のゲージはほんの少しずつ削れていた。




