第百十六話
マップを開くと、通常通り表示されるようになっていた。やはり地形が分かるのと分からないのでは、大きな差がある。
「やはり撃ってこないっすね?」
ウィンドウを操作しているヒカルの横に並びかけて、ミサキはハッとする。
回復役のサクラを真ん中にするフォーメーションが崩れたことに気が付いたのか、元の位置に戻っていった。少し不服そうなのは気のせいだろうか。
「撃ってこないなら撃ってこないでそれでいいよ」
「結構冷静に言ってるっすけど、私たちバカにされてるってことっすからね?」
「ミサキちゃん……」
サクラが気まずそうな笑顔をミサキに向けた。
「私、ムカつくことはやっぱりムカつくっていうっすよ? ヒカルがバカにされてるのに、無視なんてできないっすよ」
「でも、長距離狙撃相手に今どう対応するんだよ? こっちから迎え撃つこともできないだろ?」
「むー……」
不服そうな声を漏らすミサキを無視して、個人チャットをアキへ飛ばす。
『アキ:なんやわれ?』
「いきなり物騒だな」
『アキ:冗談や。何か話あるん?』
アキが言うと冗談になっていない。苦笑すると、右からミサキが左からサクラが覗き込んでくる。
「……なんやわれ?」
「え? どうしたっすか? キャラ変?」
「あはは、似合ってるですよ?」
「その苦笑いは似合ってないときにしか出ないんだよ」
ヒカルが返すと、サクラは申し訳なさそうに頭を下げた。ミサキの方はさらに距離を詰めてウィンドウを覗き込んでくる。
「……おい、プライバシー」
「二人も女の子侍らせてるのに、誰とチャットしてるっすか?」
「……なんか、いろいろ誤解がある言い方だな」
アキと数回やり取りしてから、ヒカルはウィンドウを閉じる。顔を上げると、小道はもうすぐ抜けそうだった。
「ほら、行き道で渡った吊り橋なくなってしまっただろ? アキに連絡とって村で何とかしてくれないかって頼んだんだよ」
「えーいいんすか? アキさん銭ゲバそうっすよ?」
「み、ミサキちゃん!」
サクラに怒られて、彼女はやる気のない返事をしながら後ろに下がる。
「ま、あれはあれで信頼できる人間だからさ。少なくとも、『クロス・オーソード』の連中よりはよっぽどね」
「も、もう、ヒカルまで!」
サクラに睨まれて、ヒカルは視線を元に戻す。
森を抜けると、暖かな風が一気に吹き込んだ。先ほどまでの寒さが、どこかに行く。
足元は新緑の草が伸び、一面に花が咲く。
森の中にある花畑は、陽光の輝きを受けて神秘的な光を纏っている。
鼻をくすぐる甘い匂いは、まるで別世界に来たかのようだ。
ここなら咲いているといった教会の人間の言葉がようやくわかった。ここら一帯は、元の気候で構成されているのだ。
「雪の境目があるっすよ!」
ミサキが地面を見つめながら、驚いた声を発する。
「どうして、こんなことになってるです?」
サクラは驚いたように目を開いていた。
「……さぁ、俺にも分からん」
ヒカルは興味深そうに尻尾を揺らす。
こんな異常な気候が成立するのは、ゲームだからと言ってしまえば全て説明がつく。しかし、この世界での意味を考えると、何かがあるかと思って仕方ない。
一面に咲く花々は、元々のこの一帯の景色を映し出すように、みずみずしく咲いていた。
「取り敢えず早く採集して終わろうっす!」
ミサキが走り出し、そのあとにサクラが続く。遅れてヒカルが一歩踏み入れた。
──ズブリ。
右脚が膝まで地面に吸い込まれる。まるでコンクリートに固められたかのように動くことができない。
周囲の花が枯れ、空が紫色になる。空気の圧迫感が増し、呼吸ができなくなる。
揺れる視界の先に、サクラとミサキが溶け落ちた。まるで泥くずのように、形を保たなくなっていた。
思わず手を伸ばす。しかし、届かない。声も出ない。
右脚だけでなく、左脚まで沈んでいく。
気がつけば、腰のあたりまで体が地面に吸い込まれていた。
枯れた花々からは目がギョロリと生える。並ぶ目玉が全部こちらを見ている。
『見つけた』
その男とも女とも取れない声には、聞き覚えがある。
『やっと見つけたぞ、こんなところにいたか。よもや我にこんな手間を取らせるなんて本当に忌々しい。我の次期肉体を奪っただけでなく、こんなクソの地まで覗かせるとは本当にぶっ殺してやりたいぞ』
「おまえは……」
『我が話してる途中で口を開くなと、前も言わなかったか?』
忘れるはずもない。この声は、かつてベルを操り襲いかかってきた第七の柱、沼の主──ベルフェゴール。
『我の至福の時間を奪ってまで探させた罪、どのように贖ってもらおうか?』
その声は、ヒカルの心臓をわし掴むのだった。




