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第百十三話

 浮遊感と落下感。視界に近づくのは、川の流れ。

 高いところから川に体を打ち付けると、コンクリート並みの硬さになると聞いたことある。


 呑み込まれる前の走馬灯のようなものはなかった。これがゲームのなかの世界だからかもしれない。それよりもミサキを助けないとと彼女の体を引き寄せた。

 抱きしめ、目をつぶる。


 水しぶきの飛ぶ音が聞こえる。濡れる感覚はあったが、冷たいとか痛いとかそういったものはない。

 代わりに体力ゲージが半分以下まで落ちた。


「……くっ」


 体は思うように動かせない。濁流に呑まれ、流されていく。何とかミサキと離れないようにだけ必死だった。

 人間は足首の高さの水であっても、流されれば立ってられなくなるらしい。


 尻尾を水をかき分けるように動かすが、無駄な抵抗だった。体はドンドンと流されていってしまう。


「ゴホッゴホッ!」


 ミサキが咳込んでいる。そのことが、自分の恐怖を心の中から追いやった。できるだけ彼女が水を飲まないように配慮しながら、ヒカルは流されていく。


 流れている間は、何も思考が回ることができなかった。



 しばらくして、水の流れが穏やかになっていることに気がついた。

 どこまで流されたのか、いつまで流されたのか、ヒカルは覚えていない。


 腕の中に収めたミサキの息が合ったことだけが、安堵感を募らせる。

 ぐったりした彼女の体を抱えて、ゆっくりと立ち上がる。


 崖はすっかりなくなり、代わりに岸があった。現実世界ではよくキャンプとかできそうな場所である。

 ミサキを運びながら、川の外へと出る。ゆっくり息をついて、助かったことに安堵した。


『観測不能地域に来ました。マップは使えません』


 その文字が意味するところは、ここがどこだかわからないといったところだ。取り敢えず、ミサキを安全なところに降ろす。

 彼女は薄く目を開けてから、水を吐き出した。


「……どうして助けたっすか?」


 ゆっくり起き上がって、彼女は顔をうつむかせる。


「どうしてって……」

「別にヒカルなら見捨てても問題なかったはずっすよね?」


 彼女に問われ、考える。少し戸惑う様子を見せてから、ゆっくりと口を開いた。


「合理だよ」


 思っていた答えと違ったのか、彼女は驚いてこっちを見上げる。

 ヒカルは尻尾を揺らしながら、続けた。


「見捨てるより、見捨てないほうが合理的だと思ったから」

「……どういうことっすか?」

「これからもお前たちの関係を続けていくうえで、見捨てたら余計に見損なうだろ? ミサキだけじゃなくサクラまでも。そんな亀裂の入ったままゲームを続けるのは楽しくない」


 ヒカルの言葉を聞き終わった彼女は小さく吹き出した。そして、腹を抱えて笑い出す。

 その様子を見て、顔を真っ赤にして座り込む。服の裾を握り、水気を絞った。


 滴り落ちる水は地面に落ちるとすぐに凍りつく。吐く息は白い蒸気となって漂う。

 ここが現実世界なら、低体温症になって終わってた場面だ。


「もっと気の利いたことは言えないっすか?」


 目尻にたまった涙を拭いながら、ミサキは続けた。


「ミサキを死なせたくない! とか、そういうかっこいいこと言ったら、私は惚れ直したかもしれないっすよ?」

「そんなこと言ったところで、また勘違いされるだけだろ?」

「……勘違い……そうっすね。私はヒカルに自分の理想を重ねすぎたのかもしれないっす」


 肩を落として大きく彼女は息を吐いている。その表情はどこか悲しげである。

 

 ヒカルはゆっくりと立ち上がって周りを見回す。森が続いていることから、どっちに歩けばいいか分からない。


「立てるか?」


 取り敢えず歩くしかないなと、ミサキへと手を伸ばした。

 彼女は一回躊躇していたが、その後すぐにヒカルの手を取った。


 力を込めて彼女を立たせる。動きに問題ないことを確認すると、ヒカルは頷く。


「取り敢えず歩こうか」

「……どっちにっすか?」

「川に沿って上流を目指そう。少なくとも、落ちた地点にはたどり着くと思う」


 その言葉に、ミサキは無言で頷く。

 歩き始めると、数歩遅れて彼女はゆっくりと足を動かし始めた。その顔はまだ納得していないようなでもどこか嬉しいような複雑なものである。


「私は今でもあのとき逃げたのは許せないって思ってるっす」

「そうだな。許されるつもりはないし、謝るつもりもない」

「そこは……いや何でもないっす」


 彼女は黙りこくってしまった。

 ヒカルは落ち着けなさげに尻尾を垂らすと、大きなため息をつく。


「なんすか?」


 彼女の不機嫌そうな声が背中に当たった。


「いや、根本的に考え方が違うんだなって思って」

「……そうっすね」


 しばらく、雪を踏む音だけが響く。

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