第百九話
「大きな声が響いてたけど、大丈夫です?」
サクラに小首を傾げながら尋ねられ、ヒカルは立ち上がった。目尻にたまった涙を拭い、「大丈夫」って答える。
彼女は視線をミサキの部屋の入り口に移す。
「ミサキちゃんと喧嘩したんですか?」
「……いや、そういうわけじゃ」
「うそです」
断定され、サクラに見つめられる。
居心地が悪くなり、ヒカルは視線を落とした。その様子を見て、彼女が苦笑を浮かべた。
「私はヒカルの判断が間違ってたとは思わないです」
サクラはしゃがみ込み、ヒカルと目線を合わせる。
「もし、勝てたとしても皆が傷ついていたと思うです。だから、私は無茶しようとするミサキちゃんを止めました」
カルマ値が溜まるのを分かっていたとしても。それでも、あそこで止めなければいけなかった。それが私の友達としての責任だった。サクラはそう言う。
その言葉にヒカルが自信を取り戻そうとしたとき、大きくただしという言葉を付け加える。
「ヒカルの気持ちも肯定できるように、ミサキの気持ちも肯定できるですよ」
「でも、それじゃあ──」
「もちろん、そんな曖昧じゃあミサキも納得しきれないと思うです。ヒカルも納得できないと思うです」
小さく息を吐き、丁寧にサクラは言葉を紡いでいく。
「もうこれは、どっちが正しいかっていう話じゃないです」
サクラは立ち上がり、ミサキの部屋をノックした。
「ミサキちゃん! 私のカルマ値回復するの手伝ってです!」
その声に、ミサキの返事はない。しばらくしてから、サクラは再び強く叩いた。
「早くしないと、ミサキの中学校時代の話をヒカルにしちゃうですよ!」
瞬間、中から慌てるような音が聞こえる。そのまま勢いよくドアが開かれる。ミサキの目には焦りの色があり、軽く呼吸が乱れていた。
サクラとヒカルを見比べると、すぐに怒るように唇を震わせる。瞳に宿る光は、明らかに嫌悪感を示すような色合いだった。
「なんなの? ゲームで個人情報を教えるなんてご法度なんだけど?」
ミサキは腕を組みながら、靴底で地面を叩いている。
「そうなのです? 私、初心者だからまったく知りませんでした」
一方、サクラはいたずらを思いついた子どものような笑みを浮かべていた。ミサキは鬱陶しそうに頭を掻きむしり、キッとにらみつける。
「あのさ、私の相手するくらいならヒカルと二人でいけばいいじゃん? 私のこと、どうせバカだって思ってるんでしょ?」
「そんなこと思ってないですよ」
「思ってるよ! いつもいつも、サクラは人の気持ちを知らないくせにズケズケズケズケ踏み込んで! 私がどれほど落ち込んでてもいつも笑ってて! なのに、普段はオドオドとしてて!」
「それはミサキが頼りになるからです。私のことを助けてくれると思ってるからです」
そのサクラの答えに、彼女の足の動きはさらに速くなる。廊下に響き渡るのは、一定のリズム音だった。
「私はそんな人間じゃない!」
その言葉を聞き、ヒカルは小さな声を漏らした。
先ほど自分が怒った内容とまったく同じことを言っていたからだ。
サクラは微笑む。ヒカルに一瞬ちらりと目線を移してから、ミサキの顔を見直す。
「そうだね、ミサキちゃんは格好良くないです」
「……」
「いつも勝手に暴走して、自分の理想を押し付けて、間違ったことが大嫌いで、なのに自分のことしか見えていなくて、他人の価値観を理解できない人間です」
羅列される言葉に、ミサキは片眉を上げた。腕を組み、鋭くサクラを睨みつける。
「……私を怒らせたいの?」
「ううん。事実を述べただけ」
「……やっぱり私を怒らせたいの?」
その言葉を無視してサクラは続ける。
「ヒカルも、人のこと考えないし自分が正しいと思ってるし、感情を理解しようとしないし、それなのに自分が怒られるとひどく不貞腐れて挙句の果てには泣き出すどうしようもない人間です」
急に口撃がこちらへ来たことに、ヒカルは立ち上がって尻尾を不服そうに揺らした。
何をと言いかけたところで、彼女がちらりと見つめてくる。その目には、何も言うなと語ってるような気がした。
「私だって、すぐ他人任せにしちゃうし正しいと思ったことは曲げないし感情が止められないときがあるし、それなのに自分の考えを押し付けようとするです」
冷静に自分のことを言うのが恥ずかしくなったのか、彼女の顔は真っ赤になっていた。
その言葉を聞いていたミサキは、ゆっくりと口を開く。
「何が言いたいの?」
「他人は、自分が思っているより綺麗じゃないってことです。よく隣の芝生は青いって言うですよ」
その言葉を聞いて、ミサキの足の動きが止まった。




